戦争なんて、部隊なんて、仲間なんて、一度死んでしまったら、もうどうでもよくなってしまえた。ゲームの世界だろうと、自らに許しを与えてくれる人なんて、あそこには誰もいないのだから。
逃げ出した先は現実世界だけだった。それはモカのすべて。人としての生命を育む本物の居場所。それだけに眼が覚めた途端、偽物のあの世界であった出来事が余計にぶり返してくる。
必死になって戦車を横付けして、重傷を負うオタサーを助け出そうと手を伸ばし掴み取ったら、彼女の腕だけがモカの手元に返ってきた、あの光景。湧き上がった怒りという毒は一時の暴走の果てに味方へ混乱を招き、最後は自滅に近い死に方をさせられた。
悔しくて堪らなかった。最初はベッドの骨組みに拳を打ち付けて、麻痺のあった体で暴れた。力尽きて、状況が飲み込めた時、思考の世界に迷い込んで、自責を背負いこんだ。
結果があの様だ。きっと怒鳴ったカーリングは呆れて酒を汲んでいる頃合だろうか。黙りこくったジャックとボギーも、あんな風に逃げ出した私を、きっとどうしようもない弱虫と罵っている。
味方ですら自分を被虐しているのではと思いこんだ。だが、それ以上に、無力で非力な自分が悪いのだと、言い聞かせていた。
モカはログアウトして自分のベッドに意識が戻った途端、魘されたように冷や汗を掻いて眠りにつく。月明りが射し込んだ藍色に染まる寝室で、頬に涙の爪痕を刻みながら。
ウォーフェア・オンラインから離れた数日間。街を作っては壊しまくっていた日常が終わり、登校日が訪れる。
異変を隠すように愛想笑いを母に作ってモカは家を出てきて、静寂な教室に一人入ると眼鏡を外し、席について突っ伏した。
朝の教室なら、こうしていても気に留める人はいない。仮にいたとしても、夜更かしで眠気に屈したのだとしか思われない上、迷惑も掛けていないだろう。勝手に考察して、ラヴィーはじっと瞼を閉じる。
楽しかったあの日々に戻れれば、また倖せになれる。けれど、時の足は前にしか進まない。裕翔に、御子に何を言われようと、戻るに戻れない状態はもどかしいけど、それでも喪失をするのは嫌だ。
でも、二度目のチャンスがあるのなら。いや無駄だ。結果は変わらない。ああ言って逃げ出したのだから。もうあそこに私の居場所は。
「おはようございます。モカ」
光のない長い暗澹に呼ぶ声が耳に届いた。良く通るソプラノボイスに頭を上げると、長いストレートヘアらしき束を肩の後ろへ払い、膨らんだブレザーの稜線とスレンダーな腰のラインに眼を落しながら、自分よりも体躯の大きいクラスメイトの誰かが立っているとぼやけた視界で認識する。
「おはようございます……えっと、ちょっと待ってください」
「眼鏡、あるわよ」
「すいません……ありがとうごさいます」
彼女から眼鏡を差し出されるも、それを鮮明には確かめられず、手が机の上を弄るようにジタバタと動く。見かねて掴んで、導かれた手はようやく眼鏡を掴み、眼元に帰還した。
そうして見えた顔は、先週の夕方、屋上で固く誓いを交わした少女『湯河原 静流』であった。普段は無口でクラスメイトと話している場面を見かけず、その視線はいつも文庫本に集中していることから、普通の高校生とは一線を画した大人びたオーラを持っている。あくまでモカのイメージでの話だが。
「あっおはようございます静流さん」
「今日は早いね」
「今日も、ですよ」
何気なくはにかんでモカの以前まで日頃だった遅刻を餌に揶揄うが、それも作った笑みで訂正する。
「首尾はどう?」
「首尾?」
「進捗よ。なんだから疲れているような表情をしているから」
「……わかるんですか?」
見透かされているようで、モカの揺れる明快な声音が転調する。最初の戦闘で味方が撃破され、挙句は自らの戦車も……とは口に出せず、ただ暗い顔を表現して、目線を落とした。
「ひしひしと伝わってくるもの。差し詰め、やられたとか?」
「そ、そんなことないです! 別に何もないですよ」
「話したくなければいいの。勝手な想像だから、気にしないで」
わかりやすい娘。静流は心の影でクスっとはにかんで、口先を尖らせて眼鏡の奥に潜む瞳に視線を合わせようとしゃがむ。
「先週、約束したの、覚えてるかな?」
「覚えてます。けど、もう私は」
「約束、破るんだ……」
「……守る義務なんてないですし」
静流の剣幕が一瞬だけ険しくなる。モカは慌てて弁解しようとするが、表情は熱いやかんに水を掛けたように冷めて、元に戻る。
「まぁ……それでもいいわ」
「ごめんなさい! 私」
「そうよね。私とあなたの距離じゃ、その程度だもの」
「……はい」
「気にしないで。けれど、もしかしたらって思ってた私が間違っていた、かもしれないから」
立ち上がってポケットから枯草色のブックカバーを施した文庫本を取り、立ち去ろうとする静流。
モカは引き留めるように何か言葉を探し、問い詰めた。
「じゃ、じゃあ。湯河原さんは、もし自分の仲間を、戦友を眼の前で死なせてしまったとき、どうしますか?」
「……死なせる? 何を言っているの?」
背を見せて何歩か歩き、向き直ると口の端を上げて言った。
「……あの戦場では誰も死なないわよ?」
引き出したかった答えとはズレていたが、ほくそ笑んで放った静流の顔が抑圧した。あの笑顔は尋常に見えて、狂気にも見えた。だから、トリガーは重くないと言わんばかりに、末恐ろしい笑みだった。