鳥の囀りも消えた山間の街に軍靴の音が歪なリズムを刻んで旋律を刻んでいた。トンネルを抜けた枯草色と濃緑色の迷彩を塗装した大和国防軍混成戦車中隊の面々は、佐世保基地に揚陸された敵地上部隊の撃滅の任を受けて、こんな辺境の土地に訪れていた。
オリーブグリーンのツナギ服に身を包んだ兵士達は、まだ期限の遠い撤退刻限を言いことに無線で口を開いている。上官やリアルでの愚痴。この先に待ち伏せが潜んでいるなんて知る由もなく。
先頭を走る直線的なくちばし状の車体に流線を描いたマフィン型の砲塔を持つ『74式戦車』から頭を出した車長の男性プレイヤーは、昇り坂を力強く踏破するディーゼルエンジンの喉を駆動音に酔いしれた。
「佐世保まで残り10キロ。このペースで行けば30分以内には包囲が完了するな」
「ですが中隊長、敵は我々の動きに対応してくるでしょうか?」
「政治的な突っかかりを残す中で、軍は迂闊に動けんだろう。刻限を破っての戦力配置は向こうさんだってしている」
現実的な観測で事を進める敵の中隊指揮官は、冷静な分析を砲手へ話す。だが、この場所を読み違えていた彼らに、死神の大鎌の刃がすでに喉を撫でていることに気がつけていなかった。
渓谷に広がる小さな集落へ道は続く。大型車両が通れる一番高台のそこを超えると、佐世保の街は眼と鼻の先に見える。初動作戦でこの場所を叩けば、極東の安定と平穏は手に入るも同然であった。
だが、全車がその小さな町に差し掛かって間もなく、三両目の車体から耳を劈く爆音と装甲板を焼き尽くす業火の光が唐突に空へ狼煙を上げた。不穏なゴングの轟きに国防軍の兵士達は思考を停止させた。
「三号車被弾!」
「90式が一撃でだと!? どこからだ!」
「わかりません。対戦車ミサイルの警報もありません」
「全車散開! 敵の奇襲だ奇襲」
無線に飛び交う混乱。その最中にも健在だった戦車の吐息が吹き消され、弾き飛ばされる。列なっていた隊列が二手の方角へ別れた。残骸をものともせず、その足は止まらない。
「敵部隊が二個部隊に分裂」
「戦力差は否めない……か。シルフ7はドローンのレーザー誘導を頼りに74式戦車を集中して攻撃してください。90は私達が引き受けます!」
「了解」
すでに二両の戦車をスクラップに変えた少女が、最前線から丘の稜線の影へ下がり、車体と砲塔を纏めて射線から隠す。
900メートル弱先の下方を長閑に走っていたのが悪い。それもトンネルを抜けたら丘から遮蔽物が限りなく少ない傾斜地で、あれだけの大行進は自殺とも取れる。先制攻撃で味方に追い風を吹き込んで、流れを作った彼女は自らの部隊も二分する。
「シルフ1より2から4へ。小隊戦闘を行います。第一班を私とオタサー、第二班をブレザーさん、コバルトさんに編制し、敵主力戦車を挟撃します」
「こちらシルフ2、反対側に回り込んだ敵はどうしますの?」
「74式は私と後方のストライカーで抑えます。90式戦車の装甲を貫通するには、側面か背後を取らないといけません。出来るね、オタサー?」
「出来る……ですか? やりますわよラヴィー!」
声音にも自信が満ちたオタサーの返答にラヴィーは微笑む。
前線での戦力差は4対7、しかも約半分は同世代の複合装甲を持つ世界最高クラスの戦車で、山間にひっそりと佇むこの街とこの密度では回り込めるほどのスペースはほとんど残っていない。
けれどそれを可能にするエイブラムスのガスタービンエンジンからなる俊足と、スペースを嫌と言うほど活用してきた彼女の経験則なら、スペースを作ることなど造作もなかった。
「左の90式軍団をアルファ、右の74式と90式の混成部隊をブラボーと呼称し、アルファを稜線の上、現在シルフ3、4がいる位置まで引き摺り出します」
「なぁるほど。仔猫ちゃんの十八番でってわけね」
「そんな達者な物じゃありませんよ。でも、初戦は味方への流れも繋ぐ大一番ですから、やれることは全部やっておきたいんです」
「承った。隊長」
「仔猫ちゃんの宴に彼らも招待してやらんとな。了解だ」
「ではシルフ中隊、初陣の作戦、スタートします!」
口火と共に作戦のスタートが切って落とされる。二両はさらに後ろへ下がり、空色と砂漠塗装の淡いクリーム色の戦車二両は左に道を外れ、ススキ畑の中へと突っ込んでいった。
その後に、南北で砲撃戦が繰り広げられた。丘の天頂へ導かれるがまま前に繰り出した敵戦車と、その下から仰角を上げて見上げるようにコバルトとブレザーは建物の影から僅かに姿を見せて撃ち合う。
戦闘の光と煙が一つ、二つと増えていく。硝煙と砲弾を吐き出す主砲の轟音はこの地の閑静な世界をぶち壊す。飛び交う砲弾は色も光も形も見せず、殺意だけを乗せて飛ぶ。
「次弾は対戦車榴弾! 撃破しちゃ、あのお嬢様に手柄を立てられないだろう?」
「素直に正面は抜けないと言えばよかろう。ブレザー殿」
「緊張をほぐそうと思ったんだがね。伝わらなかった?」
「いや、その気遣いがかえってそのお嬢にプレッシャーをかけると思っただけだ。他意はない。シルフ3と同じく、次弾はヒート弾を」
「以後気を付けるよ。お侍さん」
「指摘でもない。そんなことより、拙者たちは手を動かすぞ」
「はいよ! っとそうだ。一つやりたいことがあったんだが、いいかい?」
「なんだ、こんなときに」
「いやいや、この前の演習で仔猫ちゃんがやってたことさ」
気まぐれにブレザーが無線で提案すると、コバルトは口を閉じて沈黙する。それを同意と受け取らんばかりに、彼女は声を吹きかけた。
「目標アルファ群左舷戦車、弾種、榴弾」
二両は背中合わせに並んだ建物を遮蔽にして、目の前を過ぎる砲弾を見逃したと同時にそこから這い出る。稜線からは下がり掛けた二両の戦車。その正面装甲を目掛け、二人はタイミングを合わせて撃鉄を下ろす。
「「撃てッ!」」
腹の底へ響く120ミリ砲の砲声。ヘッドホンをしていても、それは鼓膜だけではなく、五感でその刺激を推し伝える。
逃げるように、だが正面を向きながらバックする90式戦車の砲塔へ弾丸は命中する。しかし正面装甲の表面だけを貫くだけで、車内にその爆轟が及ぶことはなかった。
「こっちは複合装甲だぞ、あいつら、初心者かっ? 舐めやがって!」
「お、おい待て!」
正面の複合装甲には空間があり、対戦車榴弾の圧力で装甲を融解させ、内部に衝撃だけを伝達する常套句は効果が無い。敵の戦車長はそれを挑発と受け取り、頭に血が登っていく。
痺れを切らして畳みかけるべく、敵の三両は稜線から飛び出した。
「敵は二両で、一気に畳みかける!」
「血気盛んな奴だが、ここで逃せば次はない。総員、彼に続け!」
男の一人が味方の尻を叩く。データリンクに敵の動きを追っていたドローンから情報の更新が入り、ラヴィーは追従していたオタサーへ側面攻撃の準備を示唆する。
「シルフ2は二人に合流して」
「でもお一人で抑えるのはやっぱり厳しいのでは?」
「後ろに援護もるから大丈夫。多分だけど」
「うちの中隊長は不確定要素だらけなんだとさ。だが、お前の手首を捻ったんだ、信用していいぜ」
「ってもう、ジャックさん」
「わかりましたわ。それではご武運を」
自ら孤立を選んだラヴィーを装甲板越しに不安な表情で鼓舞して、オタサーの戦車はススキ野原を出ていった。双眼鏡を手にラヴィーは隆起した道路の影に戦車を停車させ、敵の動きを伺う。
「敵は四両。こっちの位置を悟られたらアルファの三両もこっちを向くだろうな」
「その可能性はゼロに近くなりましたよ。たった今」
「釣り糸に食いついたみてぇーだな」
「ボギーさん、ブラボーへの第一射はサボで行きます。装填、お願いします」
「了解です姉御」
耐圧扉を開き、弾薬庫から細長い弾心の露出するサポッド弾を取り出したボギーは、最初の砲撃で開きっ放しにし、鼻を刺すような臭いを充満させていた閉鎖機にそれを押し込んで完了の報告を叫んだ。
弾とボギーさんの熱意は入りました。後はそれに応えられる戦いをするだけ……。ラヴィーは眉間に皺をよせ、深く呼吸を整える。
そして、秘密話でもするかのように無線へ呟いた彼女は、後方の対戦車ミサイルを満載に今か今かと出番を待つ装甲車のクルーを呼び出した。
「シルフ7、シルフ8、聞こえますか?」
「ばっちりです中隊長」
「ご所望は?」
「先頭の74式戦車を潰して下さい。発射のタイミングは任せます」
「了解、さっそくこいつの出番ですね。TOW―FF、レディ!」
山肌で隠された装甲車に積載された短足な円柱の柱と長方形を型取ったコンテナ型のミサイル発射機が空を仰ぐ。
収められているミサイルコンテナの中身は、演習で使用した『TOW―2』とは異なり、射手がターゲットを狙い続ける必要があった従来型に対し、このミサイルは一度定めた目標を自動で捕捉し、誘導することができる。
加えてそのミサイルに最初の目標情報、諸元を送るのがシルフ8の操作するドローンである。幸い、空から降り注ぐ監視の眼に敵は気づいていない。
「シルフ8からシルフ7へ。先頭の74へ照準、目標捕捉。諸元はデータリンクを参照してください」
「諸元を確認。トップアタックで発射する。ライフル!」
発射の符号を説き、シルフ7のストライカーからガスが一気に抜ける破裂音が鳴る。飛翔するミサイルは綺麗な細い白煙を棚引かせ、山肌からロケットの如く舞い上がった。
「ミサイル着弾まで20秒」
「稜線から砲塔だけを出してブラボーに攻撃を仕掛けます」
「わかったぜラヴィー」
「20メートル前進、2両目に攻撃を仕掛けます。発射は火器管制に従ってください」
「あいよ!」
灰色の燃料臭い排気を上げて、僅かに前進したラヴィーの戦車は稜線から頭と火砲だけを出す。まだ冷え切らない銃口は微かに陽炎を残し、まるで戦闘不能になった敵の生霊が発射はまだ待ってくれと懇願しているようだった。
でも、戦う意思があるのなら、ここで最寄りの野戦病院までお引き取り頂くしかない。前進し、砲口をちらつかせたラヴィーの戦車は、寸瞬の間も持って、煌びやかに銃撃の閃光を発する。
「徹甲弾、撃てぇッ!」
——ドダァァァン!
銃身がバネのように、波のように押し返り反動を殺す。閉鎖機から弾底部分の黒い缶詰が落ち、それは熱を帯びて湯気を放っていた。
槍は音速の五倍で走り、マフィンのような可愛らしい砲塔の正面装甲をいとも易々と貫く。途方もない運動エネルギーを宿したサボット弾は強固に築いたはずの鋼鉄の丸み掛かる壁を穿孔し、衝撃波はプレイヤーを青い結晶へと分解した。
ミサイルも同じく、その前にいた戦車の天井を正確に射貫く。
「三両目のスコアだな」
「サボット装填! 急いで!」
「装填!」
ゆっくりと開いた閉鎖機に両手で抱えた砲弾を再び入れ込んでゲートを閉じる。一連の動作はアドレナリンが齎す興奮と没頭で無駄がない。
「装填完了っす!」
「一方的なラブレターの文末は無秩序に笑う火薬の爆発で締めますよ! ミサイル、次弾は?」
「コンテナの換装、いつでも行ける!」
「残り、どちらに照準を?」
「74式に合わせてください。90式はこちらでやります。右に45度旋回して、次は別所から顔を出してください!」
「スィー、ラヴィー!」
その場でキャタピラを交互に前後へ駆動させ、車体の方角を変える。同じ地点から攻撃しては、モグラ叩きと同然。敵にパターンを読まれれば、攻撃による隙が生まれてしまう。
斜めを向き、稜線を駆け上がる。
「主砲ミサイル、一斉射!」
「おっらぁぁぁ!」
スポーツ観戦でヒートアップでもしているのではないかというジャックの雄叫び。砲弾と空高く打ち上るミサイルは、生きていたはずのプレイヤー達をこの戦場から退場させる。
弾けた砲塔だった物と分離し置き去りにされた車体だった物は、灼熱に焼かれた末、黒焦げのオブジェクトになってしまう。それまで人がいたとは到底考えられない代物は、咽び泣くようにいなした彼女達へ「なぜ殺した」などと主張しているようだった。
「シルフ8より中隊各車、目標群ブラボー、四両すべて撃破。アルファ群の反応も消えています」
「シルフ隊全車へ、作戦通りです。ふぅーひとまずは凌いだって感じ、ですかね」
「まだ油断するなよ」
「あっはい。それじゃ、シルフ3と4の位置まで後退します」
脱力したラヴィーは砲手席から掛けられたその声に慌てて姿勢を戻す。増援の反応はなくとも、まだ硝煙に火を灯す可能性はゼロじゃない。
彼の予感、経験則は的中する。それが寝覚めの悪い悪夢の始まりでもあった。