佐世保という街は東京や他の地方都市に比べて圧倒的な利便性の劣悪さを誇る。北へ抜ける道路は実に三本のみで険しく、山肌のすぐ手前まで敷き詰められた住宅地がそこには並び、南側の不均一に抉れた海岸線と島々が隕石デブリのように浮かぶ港湾は往来に途方もないエネルギーを浪費する。
ただ、人の動きを抑制する気質は、兵隊にとっては都合が良かったりする。攻めにくい地形は環境が敵を阻み、また攻撃の方向を限定できる利点が大きい。機動力が物を言うようになったこの時代の戦闘で、この街に基地が敷設される理由も頷ける。
敵の侵攻を察知したアークユニオン軍は外地へと繋がる三本の幹線道路へ楕円に繋がる三真智の防衛線を形成、そのラインに兵力を展開した。第三戦車大隊隷下、五個中隊は交代で北西へと抜けるハイウェイと山林部手前の隆起、丘の上に切り立つ線路沿いの市街地で結集し、敵を迎え撃つ。
シルフ中隊の中隊長『ラヴェンタ』はハッチから顔を出し、肌を外気に浸して足元を確認するように戦車の周囲を覗き込む。敵との接触、インターセプトにはまだ遠い。
「先にトラップの気配はありません。巡航速度を維持」
彼女が跨るのは装甲を施した騎兵、主力戦車とも呼ばれ、その名は『M1A1エイブラムス』。かつてアメリカ軍や西側諸国に多く配備され、戦前や大戦初期にかけて活躍した戦闘車両である。
桜の花が散り行く春先のそよ風に髪を靡かせ、背後に従える戦車達に眼をやると、後ろに控えている二番車の中隊員、現実世界でのクラスメイト『秋葉 御子』こと『オタサー』と顔を見合わせた。
「部下への気配りも結構ですけれど、眼は背中ので十分ですわよ。ラヴィーは前に集中してくだされば、それでいいですわ」
「あっごめんなさい。なんか先を任されるなんて久々で」
背の順や名前順で並んだ時も、真ん中あたりだったし、人の前に立つのなんて滅多にない機会。味方を置いてけぼりにしていないか、確認する癖が出てしまった。
「わた、俺なんて背の順じゃ常に一番前だったよ。あっ小学校の頃の話だけれどね」
「拙者も、背はあまり伸びなかった」
「牛乳飲んでるかーチビ共ー」
「その言葉にはいささか反論させていただくよカーリング。今は理想のモデル体格なんだぞ」
「その点、俺はバスケットゴールを破壊したことのある背丈と怪力を持っていた」
「自慢か?」
「あぁそうとも」
「まだ酒はー」
「飲んでねぇーよ。人を常に酒盛りしているどうしようもない奴だと決めつけるなよ」
いや、嫁さんを放置して呑み耽ってる時点で、その弁論は無茶が過ぎる。ラヴィーのツッコミは小さな嘆息となり、口から漏れた。
「はいはい皆さん。軽口もいいですけれど、そろそろ作戦地帯ですわよ」
「おっと、そうでした。あと2キロで丘の最上に到着します。シルフ7、8は稜線手前でドローンと対戦車ミサイルの用意を」
「シルフ7了解」
「8、コピー」
「シルフ6、5も後衛で主力戦車の火力支援。2、3、4は私に続いてください」
「かしこまりました」
「御意」
「了解だよ」
後ろの4両、偵察用の光学レンズと上空偵察用ドローン、対戦車ミサイルや大口径のライフル砲を積んだペリカン型の車体を持つ装甲車が隊列から離れていく。
自分達が戦闘態勢へ切り替わるのは上りの稜線が終わり、北へ向かうトンネルと鉄道路線がまだ先に延びる中腹。建物は疎らで上手く利用すれば遮蔽にも大いに役立つ。
だが建物の隙間を埋めるように植えられた人の背丈ほどの藪、ススキ。雑草が芽吹き生えた草原は、頭痛の種だ。そこに携行ロケットランチャーを持った敵が居たら、戦闘で無類の火力、防護力を誇る戦車だってひとたまりもない。
そんな初々しい深緑が揺れる街に無頓着な履帯の重苦しい音が差し掛かると、ラヴィーはしきりに藪の中へ双眼鏡のレンズを水晶体に浸した。
「車長用ディスプレイが無いと、偵察も一苦労だな。おいラヴィー狙撃手に頭飛ばされるぞ」
砲手席でその紺碧に輝く双眸を照準機にピタリと付けたジャックが、皮肉の後に冗談めかしな警告を言う。
「弾が避けてくれますよ。私って結構、運が良い方なので」
「お前が欠けたら誰が指揮を」
「大丈夫です。多分」
「多分って」
「それに、キューポラじゃ真下とかが見えなくて」
「地雷と潜伏歩兵の探知は頼りにしてるぜぇ、姉御」
「か、カーリング……はぁ、わかった好きにしろ」
良く言い直せば、彼は心配性で、慎重なのはいい。それを遠まわしにボギーの口癖を登用しながら揶揄うカーリングはマイペースというより、完全に凍り付くまで空気が読めない、いわゆる鈍感という奴だ。
だがボギーだけ彼らのじゃれ合いに混ざろうとしない。演習じゃかなりのやり手だと思っていたのに、この期に及んでは閉口しっぱなしだ。
「ボギーさん、サボの装填、お願いします」
「えっ、あっはい!」
不意を突かれて裏声で返事をしたボギー。大丈夫かなこの人。
「なんかラヴィーが凛々しく見えるぜ」
「私が?」
「言ってなかったか。装填席にいるこいつも、実戦は初めてなんだよ」
「お、おおお落ち着いて」
「ボギーさんが一番落ち着いてください」
「演習だって実弾だったんだ……ふぅー」
暗示と深呼吸で飛び出してきそうなほどの心音を抑えるボギー。そんな彼への驚きと共感が入り乱れた。
「なんだ……私一人じゃ、なかったんだ」
「んあ?」
「いえ。なんでも」
「シルフ8よりシルフ1、北側のトンネルに敵の機甲部隊が接近。熱源の数は9、中隊規模です」
「さぁてお仕事の時間です。シルフ1からィールドマスターへ、シルフ隊はこれより作戦行動に入ります。エンゲージ!」
敵を捕捉した彼女達は戦闘態勢を整える。大和紛争、後にプレイヤー達から『大和事変』と呼称される紛争が、一人の少女の引き金によって幕が開く。