月単位で見積もっても貴重な登校日は、親密じゃない限り連絡も取り合わないだろうクラスメイトとの数少ない顔合わせでもある。
四時限目、お昼前でそろそろ腹の虫がなろうという頃、同時に空腹から訪れる睡魔と戦っているのは三つ編みに丸眼鏡という如何にも真面目っぷりを彷彿とさせる風貌の女子『三浦 モカ』であった。
そして睡魔に拍車を掛けるのが社会科の授業。
「えーっ、第三次世界大戦では影響を受けない国はないと言われるほど、その戦闘の規模や日本、世界に与えた影響は大きかったと言えます。遡ること2026年、20年から続いた新型感染症の流行、引き続いた世界的恐慌の最中で中東、東南アジアの小国が連鎖的に経済破綻を起こしていきます。こうして始まったのが『アジア紛争』です。この火種が徐々に他国を巻き込んでいき、第三次世界大戦へと発展していきます。私もこの時はまだ若い教師でした。この国は無関係だと信じ込んで……」
第三次世界大戦について触れる授業て、モカが現在進行形でプレイしているゲームがこの年代をテーマにしている為、内容自体はそこまで眠気を誘うものではない。
問題なのは内容ではなく、この授業を取り仕切る教師の側にあった。亀のようにスローペースで話す語り口調、板書は程々、話し方はそのままに余計な身の上話を割り込ませてくるという恐ろしいコンボで攻めてくるのだ。これは回避しようがない。
モカはシャープペンシルの芯を手の甲に軽く押し、どうにか耐えている。耐えてるのだが、このASMRには十分も持たないだろう。しかし、それももうしまいだ。
タイムアップのゴングはそんなことをふと頭に思い浮かべたところでスピーカーから鳴り響く。
「じゃ、今日はここまで。挨拶を」
クラスの学級委員が号令を掛け、授業が終わる。背伸びをして打ち勝った達成感と靄が取れた爽快感に酔いしれ、モカは授業を完遂する。
そうして飢えた腹の虫を肥やすときがやってくる。バックから布に包まれた弁当を取って、座席に腰を掛けると、気持ちを切り替えたのかエコバックを抱えた裕翔がいつもの調子で話し掛けてくる。それも、後ろに人間を連れて。
「お昼、一緒にいいかい?」
「えぇ、どうぞーっと、そちらは?」
背後に両手を前に組んで構えていたのは、おっとりとした見た目は淑やかで可憐な少女。内側にカールするピアノ線を束ねたようなロングの黒髪と、皺の一切がない整った制服が他とは異なる異彩を放っていた。ただ、そのオーラは鋭くはなく、目線も柔らかい。
「同じクラスの秋葉 御子と申します。以後、どうかお見知りおきを」
言葉遣いに一切のノイズがなく、育ちの良さも相まって金色のオーラが彼女に漂っているようだった。
「三浦 モカです。もしかして裕翔が話してたのってこの人?」
「そうだよ。秋葉 御子さん、シルフ中隊二番車の車長、オタサーさん本人」
「現でその名を呼ばれると、少々お恥ずかしいです」
「そう……あなたが」
言われてみれば、髪型のカールとか面影がある。顔もほとんどいじっていないようだし。モカは眼を見開いて凝視すると、御子はその目線に若干身体を仰け反らせるように引く。
「お顔に何かいらっしゃいますか?」
「あーいや、なんでもないです。図書委員をしてる三浦 モカって言います。えーっとあの世界では『ラヴェンタ』って名前でやってます。よろしく」
「ラヴェンタ……もしかして戦車を青く塗って先日お相手してくださったあの!?」
「あのラヴェンタです」
「あはは。世間様はなんと狭隘なのでしょう。まさか、以前に負かされた方と学友、しかも同級生だなんて」
ゲーム内と一緒で独特な話し方をする。
「よく見ると面影がございますね。違うのは髪型くらいでしょうか」
「ギャップ、ありますよね」
「生真面目でも大砲のついた乗り物に乗ると人が変わったようにお強くなる。そんなギャップに萌えますわ」
「へ? 萌える?」
「えぇ。凡庸に見えても本性は狩人其の物。実によろしい!」
「なんかスイッチ入っちゃったみたいだね」
御子は瞼を見開いてモカの顔に釘付けとなる。凡庸という言葉は褒めているのか、貶しているのかはわからない。モカは苦笑で困惑した様子を垣間見せるも、それを振り切って彼女は眼鏡のフレームに両手を添える。
「鋼鉄の騎馬へ跨る戦神、いえ戦の女神ヴァルキリーのよう。それで三浦さん、あのとき地雷原を突破した方法、教えて下さらないかしら?」
「なっふぁ!?」
蕩けるような甘い声に腰を抜かしたモカは椅子から転げ落ちそうになる。そこをギリギリで踏み留まるが、驚きは隠せない。
「そ、そんな色仕掛けしなくても、教えますから」
「あら、ごめんなさい。私の悪い癖」
「とにかく、お昼食べながらにするから、ね?」
この人、きっと男の人には興味がないんだろう。直感的にモカは思いつつも、崩し掛けた態勢を立て直して弁当を置いた。
弁当を開いて、箸でプルコギに添えられた枝豆を取りながら、あの戦闘の顛末をモカは話した。
「素手で解体したんですの!?」
「声が大きいですって」
「いや失礼しました。でも素手でって」
「少しだけ手先が器用なんです、私。だからこうやって箸で豆を取るのだって造作もない」
「ですが地雷処理ですと専門技能になりますから、相当な鍛錬をされたのでは」
「えっ!? そんなことないよ! うん!」
首を大きく振るが、動揺は避けられなかった。御子はそんな様子を見て首を傾けた。このまま話題から離れれば、と思っていたところに裕翔が横槍をこちらに入れる。
「最初に騙されて特戦群の訓練を受けていて良かったね」
「んにゃ……!」
特戦群とは特殊作戦群の通称で、所謂特殊部隊という奴に属する。アークユニオンは当然、四陣営のどこにも存在する。人間離れした射撃技術の他、サバイバル技術や肉弾戦の訓練を徹底して行った、プロ中のプロ。例えるなら戦闘のトップアスリートとも言える連中である。
お前こっちが隠していることを言うか……。内心怒鳴りそうになるも裕翔の口を封じていなかったのも悪いが、モカは彼に眼を丸くする。怒りと焦りと、諦めの視線だ。
「だからモカさんの経歴に一か月の空白が存在していのですね!」
そして御子の地獄耳はそれをしっかりと聞き取り、もはや後には退けない。モカは白状することを決める。
「……今から言うことはその、部隊の皆さんにはオフレコでお願いします」
モカはそう釘を射して最初の一か月のこともすべて口に出した。それは初めたて、初心者が味わったには聞くに耐えない、地獄絵図。
ゲームを購入直後、モカはミリタリーの知識もない、ましてやシューティングゲームなんて触ったこともなかった全くの素人でアークユニオンを選んだ理由も案内役でもあった裕翔がいる陣営だし、行った先では訓練では失敗が続いていた。ブートキャンプでは教官からそのおかげでガナられ罵られ、散々な目に遭っていた。
そんな彼から悪戯な知識を吹き込まれて参加したのが、特殊作戦群の訓練であり、モカが地雷原を処理するまでに至る成長を遂げた要因。地獄を掻い潜り、辛抱と願望が掴み取った戦車乗りの道は死んでも放したくないと胸に秘めている。
「作戦の立案、敵の行動、編成の予測と地形把握はそこに通じてらしたのですね」
「地形に関しては、前やってたゲームで舐めるように見てたからかな……あはは」
「箱庭を作るのがモカの趣味でもあったんだ。ね?」
「まぁそんなところ。うん」
今度はフォローを入れてくれる裕翔に複雑な気持ちを抱く。
苦笑いで口を滑らせないように注意しながら話していたが、御子の質問は止まらない。もー聞き上手さんだなーこの子は。
「それでどうして戦車は青なのですか?」
「可愛いから?」
「戦車学校を出られてすぐに中隊長を拝命されましたが、やっぱり緊張しましたか?」
「まだ緊張してます」
「部隊にはもう慣れてくださいました?」
「あーんー、カーリングさんとかジャックさんは、怒るとちょっとおっかなさそう」
「裕翔さんと戦闘機って乗ったことございますか?」
「一回だけあります。もう二度と乗らないと誓ってるけど」
記者ですかあなたは。取り乱しそうになりながらもツッコミの言葉を必死に抑える。しかし御子の一撃がそれをいとも簡単に崩壊させた。
「相当仲が良いお二人ですが、もしかして付き合っていたりなどはするのでしょうか?」
脊髄反射で二人が同時に咽る。いきなりそんなこと聞くなよと言わんばかりに。
「あ、あぁ。ごめんなさい! 私ったら恋路には興味が尽きなくてつい」
「だ、大丈夫」「も、問題ないよ」
説得力が皆無な二人だが、モカは「なぜそう思った」と言いたげな目線を御子に送る。
「でも反応に出てしまうってことはよほど親密な関係に」
「ないない。普通に友達だよーもう」
「恋人じゃないよ。今のところはね」
「ちょ、勘違いされるようなこと言わないでよ」
これは私に悪戯を仕掛けてるのか、それとも御子に仕掛けているのか。モカは呆れて冷淡に笑い、裕翔は彼女へ目線を移す。
「ふふっ、傍から見たら痴話げんかのようですわ」
口を押えて笑う御子にモカが目線をやると、薄く開いた目は笑ってなど決していない、軽蔑するような視線だった。
目は口ほどに物を言う。けれど彼女の目線から読み取れるものは、負の感情であることは間違いないが特定はできない。
「と、とにかく、私達はそんな不純な関係じゃないから、勘違いしないように!」
「あら、そうでしたの」
「本気にしないでくださいよ。もう」
「うふふ。ごめんあそばせ」
次は満面の笑みで答える。眼に怒気や憎悪の念はない。
「では、三人の出会いを祝して、乾杯でもしませんか?」
「三人の出会い?」
「はい。素性を曝け出した関係ですもの。それに出会いは尊いものでしょう?」
祈るような仕草で柔らかい声が広がる。無言のままモカは頷くと、咄嗟に裕翔が立ち上って席から離れた。
「じゃあ僕、飲み物買ってくるよ。乾杯をするには名脇役が必要だろう?」
「あっわた」
「私が行きますわ。モカさんはこちらでお待ちください」
「そ、そう? じゃあお願いしようかな」
「はいかしこまりました。それでは」
会釈をして彼の後を追う御子の背中を、何も思わずモカは眺めている。そしてそれを鋭い視線で見つめる一人の少女が数十メートル先に居たことを彼女は察知しない。