数日が過ぎ、週に二日ほどしかない学校の登校日がやってくる。
ゲームでの動きは紛争一歩手前の国に派遣された挙句、訓練も演習もない退屈な日々、半ば軟禁とも言える状況に陥っていた。軍隊が暇なのは平和な証拠、なんて言ってた人がいたけれど、ゲーム内では戦うことを醍醐味にしているのだから一触即発なんてもどかしいと、モカは焦れていた。
曇った丸いレンズの眼鏡を袖で軽く拭き、寒空を下の通学路を踏みしめていると、背後から彼女を呼ぶ声がする。
「おはよーモカ。今日は早いね」
「一文字違う、今日『も』でしょ。おはよ、裕翔」
明るい声音で話し掛けた主はクラスメイトの『舘 裕翔』、モカをウォーフェア・オンラインで誘った上、戦闘機乗りにならなかった腹いせで散々振り回し、戦闘狂に変えた張本人。
顔は二枚目俳優顔負けの優男を思わせる美形なのだが、ゲーム内ではかなりの鬼畜でやっていることは三枚目である。
その微笑み詐欺師……いかんいかん、ブレザーにコートを着込んだ彼にモカは皮肉たっぷりの愛想笑いを冗談交じりにはにかんで振り向く。
「この前の演習、凄かったよ。相手の戦車乗り、相当悔しがってたよ」
「演習の日の夜も聞いたよそれ。出番がなくてうずうずしていたって話も」
「あの熱狂は直接話さないとって」
「好きねぇ」
子供のように裕翔は無邪気にはしゃいでいた。
「演習では謙虚さの欠片もないのにね」
「揶揄わないでよ。謙虚なんかじゃない。事実だもん」
ほっぺを膨らませ、怒りがちな不満を表すモカ。しかし裕翔は止まらない。
「次の実戦、上から見てるよ」
「高みの見物って訳か。そういうことか」
「ターゲットポッドなら、モカの顔まで見られるよ?」
「……変態」
「変態まで言う?」
「普通、女の子を戦闘機のカメラで見ようなんて思わないけどね」
「そうかな?」
こいつ天然か? あっけらかんと首を傾げる彼に、モカはしっかりと変態の定義を解説していた。
それは届いていないようだけど。
「こんなことを聴くのは野暮だけど、裕翔って私のストーカー?」
「へっ? す、スト」
「あーごめん。そんな度胸はなかったね。聞くの間違えた」
「い、いや。そんなつもりはないよ」
変に顔を赤らめる裕翔だが、モカの疑惑の目はすでに視線と同じくしてプイっと明後日の砲に逸れていた。
「まぁいいや。久々に学校へ早くつけるし、自習でもしようかな」
「う、うん。それがいいや」
「ん?」
「どうしたの?」
裕翔が言ってたことに今更引っ掛かりを覚えるモカ。プイっと目線を引き戻す。
「相手の戦車乗りが悔しがってったって、どういうこと?」
「演習相手のかい。直接聞いたまでだよ」
「ちょ、直接って、知り合い?」
「え? うん。というかうちのクラス」
「……オタサーって人……で間違いないよね?」
「一言一句、間違ってない」
口を半開きにして、静止してしまう。広大なネットの海、ゲームの中でローカルネットの人間と繋がるなんて、思いもしない。
「世の中狭いねー」
「狭いどころの話じゃないと思うけど」
「着いたら紹介するよ。モカのトリック、まだ解けてないみたいだから」
「ネタバラシは次に会ったときにする予定だったんだけど、なかなかオタサーさんとタイミングがかみ合わなくて」
「リアルが忙しくて、ログインどころじゃなかったみたい。でも今度の戦いには何が何でもって言ってたから、欠場ってことはないと思う」
「オタサーさん、いや部隊のみんな私よりも経験あるし、頼りにしている。というか私一人じゃ何もできないから、頼りにしっぱなしなんだけどね。他力本願って奴かな。はははぁ」
自虐が心に刺さる。思っていても軽々しく口にするものじゃないな自爆するから。
「あれでも十二分に証明されたと思うよ。モカのやってきたこと、無駄じゃなかったと感じてる」
「何もしてきてないよ。私には、何もない」
辛気臭そうに表情を俯かせて否定するモカ。周り、とりわけ裕翔にしか見せないそんな謙遜はもはや異常。自分自身の行動、実力を素直に自認することが出来ないのだ。失敗や失望に対しての恐ろしいまでに巨大な恐怖で。
それに自覚がなかった。モカは他人からの些細な褒め言葉でさえ、迂闊に受け取れなかった。その程度だと幻滅されたくない。
すると裕翔がそんなげんなりとした空気を読んで、より明るく振舞おうと表情を咲かせて話題を変えた。
「も、もうすぐ進級だけどさ、来年も図書委員を引き続けてやるの?」
「来年はまだわからない。でもゲームが面白いから、やらないかな」
現状ならまず間違いなく面倒事とは縁を切るだろう。元々、クラスで誰もいなかったから仕方なく引き受けていただけだから、愛着なんてものは端からない。
モカは足を早めた。まるでもう話は止そうと言っているように。
「それじゃお先にね。あーそれと、私って裕翔からかなり気に入られてるのね」
笑っているようで悲しげな表情をするモカに、裕翔はしばらく口走ることを躊躇った。
しばらく黙っていると、モカの背中が遠くなっていくのを感じた。そして彼女の耳には届かないように小さな言葉で言う。
「気に入ってる……だけじゃないよ。この瀬戸際で抑えている感情は」
モカと同じような切ない笑みが現れ、離れて行く背中を傍観するだけの彼は、心の中で素直な気持ちを吐露できない意気地なしと自分を罵ったのだった。
そして二人の通学路は静かに終わりを迎えた。