「………………どうしよう」
あれから『篠崎美咲』という名前を手掛かりに新聞資料を漁っていた真奈美だったが、どうしてもあの小さな記事以外見付からない。『篠崎美咲』は偉人でも有名人でもない、ただの一般人だ。新聞資料ではこれ以上、めぼしい物は見付からないと見限った真奈美は、先程見付けた新聞記事をコピーし、その間に今度はスマホでネット検索してみる。『篠崎』という名字では引っかからなかったが、『美咲』で過去に投稿されたある一文を彼女は見付けた。
妻の美咲との離婚が決定しました。今後は一人息子の親権を巡って、争うことになるかと思います。どうしてこうなっちゃったんだろう。
その投稿が指す『美咲』が本当に『篠崎美咲』なのかは分からない。そもそも『篠崎美咲』の記事だって、本当に今回の怪異に関係しているのか分からないのだ。でも、と真奈美はその投稿を見て直感していた。『篠崎美咲』はあの幽霊そのものである、と。理論的な説明も上手い説明も彼女にはできない。これは最早ただの勘としか言えない。その不確かな勘を頼りに、彼女はそのコメントを投稿したアカウントのメディア欄をタップした。ずらりと画像だけが一覧として出てきた画面をスクロールしていく。すると、ある画像が目に留まり、彼女はその画像をタップして拡大する。
それはあの梅の木だった。昼間の清々しい青空を背景に白梅が咲いている。近くには大きな川が流れており、それが土手に咲く梅の木だと分かるアングルだった。その画像が投稿された日時を確認すると、それは今から約四年前に投稿されたもののようだ。もしやと思い、その画像と共に何か文章が投稿されていないかメニューから該当の記事へ飛ぶ。そこには『篠崎美咲』を指しているであろう文が記されていた。
今日は離婚した元妻の七回忌。あの頃、自分の不甲斐なさで失ってしまった彼女への贖いとして、毎年お墓参りの後にはここに来ています。息子ももう高校生。話し合って、再婚してもいいと言ってくれました。ぼくもそろそろ前を向こうと思います。
息子が高校生ということ、七回忌という言葉、そして、約十年前の事故。これらに関連性があるとしたら、時期もおおよそ合っている。他にも何か手掛かりになるようなコメントは無いかと、その画面を離れようとした真奈美だったが、ふと、その投稿には続きがあることに気が付いた。下にスクロールすると、続きの文章が表れる。
この梅の木は生前、彼女が好きでよく家族三人でピクニックに来ていました。……戻れるなら、あの頃に戻りたい。自分がもっとしっかり彼女を支えていれば、あんなことにはならなかったんじゃないかと悔やまれます。
「……」
その文章は真奈美から見ても、本当に心の底から反省しているように思えた。他に事故と関連がありそうなものは無いかと、先程の投稿と合わせてスクリーンショットを撮る。更に過去の投稿を辿ろうと指を動かそうとした真奈美だったが、ふと視界の端に映った窓ガラスに自分の姿がはっきり映っていると分かるくらい、外が暗くなっていると気が付いた。絢と友香里を見送ってから彼女が思っていたよりだいぶ時間が経っていたようだ。巫女さんの時間が無いという発言を思い出した真奈美は、慌てて新聞資料と自分のスマホをしまい、鞄を引っ掴んで図書館を出た。
はっと意識を取り戻した涼佑は、ゆっくりと立ち上がる。すぐにそう遠くないところで女の悲鳴が上がり、咄嗟にそちらへ振り返る。そこには今にも白い女を刺し殺そうとしている靄に操られた巫女さんの姿があった。
「何やってるんだ!? 巫女さん!」
一見、巫女さんが操られているとは分からなかった涼佑は、慌てて巫女さんの手から白い女を庇う。彼女と対峙して初めて彼女自身の意識が無く、右半身だけが黒い靄に侵され、動いていると分かると、涼佑は真っ直ぐその靄と向き直った。どことなく、見覚えのあるその姿に涼佑は殆ど無意識にその名を口にしていた。
「カエセ」
「……お前、まさか、樺倉望……なのか?」
「カエセ」
「なんで巫女さんを――乗っ取ったってことなのかっ!?」
「カエセ」
そこで背後にいる女性を気にする涼佑は、靄に向かって宣言する。
「この人には指一本触れさせない。この人は別に悪意があってこんなことをしていた訳じゃないんだ」
「カエセ」
「お前の思い通りには……」
「カエセ」
「……何を言ってるんだ?」
「カエセ」
涼佑が何を言っても、樺倉望らしき靄は「カエセ」しか言葉らしいものを発さない。返せなのか、帰せなのか、孵せなのか。何を指しているのか分からず、涼佑は戸惑う。
「カエセ……って」
その時、靄から細くも黒い腕が一本伸びてきて、ぽん、と涼佑の肩に手を置いた。そのままぐい、と彼の体を自分の方に引き寄せ、また靄は同じことを口にする。
「カエセ」
涼佑を返せ。その意図に気付いた彼は警戒心を顕わにし、ぎろりと靄を睨み付ける。
「お前、そんなにオレを殺したいのか? 自分の手で殺したいから返せってことなのか?」
「カエセ」
ぎゅう、とまるで愛しい者をもう絶対放さないとでも言うように靄は涼佑を抱き締める。否、それは段々と力が込められ、最早巻き付いていると言っていい程の力になる。それに舌打ちをした涼佑は、巻き付かれながらもその下から両腕を出して、巫女さんの体を抱き留めた。巫女さんは気絶しているようで微かに寝息が聞こえる。そのままの体勢で、涼佑は白い女へ振り向いた。
「ごめんなさい。オレは呪われてるから、あなたと一緒にいることはできません」
白い女は、その醜悪な光景に何も言えない。息子に似ていると思った少年に纏わり付く蛇の呪いと大事そうに抱えられた巫女の姿に、自分が入り込む隙間など最初から無かったのだと思い知らされる。
その時、頭上から梅の花びらと共に少年達の楽しげな声が降ってきた。見上げると、そこには狂い咲く梅の花に紛れて、涼佑と同い年くらいの少年達の一部が浮かんでいた。ある者は部活でレギュラーを勝ち取った時、ある者は好きな女の子と両思いだと分かった時。そして、ある者は友人達と怪異退治に乗り出した時。少年達の記憶がそこに大事に保管されていた。その光景を見て涼佑はまた口を開く。
「きっと、あなたは寂しかったんでしょうね。オレ、あなたの腕の中で守られている時、『ママが守ってあげる』って聞こえてきて……。だから、息子さんを亡くした人なのかなって思ったんですけど、そうだったら奪うのは他人の記憶じゃなくて、他人自身の筈だと思って――」
ふと、女の方を見ると、その背後にはあの襖が一枚。それに気が付いた涼佑が「あの襖……」と溢すと、白い女も彼と同じように振り返った。
「あ、れは……」
「聞いて! 『篠崎美咲』さんっ!」
出し抜けに真奈美の声がこの空間全体に響く。涼佑が声の源を探そうと周囲を見回すと、二人の間に切れ目が出来、そこから現実の光景が映し出された。そこには新聞記事とスマホを掲げた真奈美達の姿が見える。
「あなたは旦那さんと離婚してから、ずっと息子さんと会えなかった。あなたが生前、心の病に罹っていたから息子さんの生育に影響が出ると思って……でも、本当は会いたくて、だからここにいたんですよね? ここでひき逃げに遭ったあなたは亡霊になってからもずっと息子さんを待っていた。でも、もう息子さんも旦那さんもこの町にはいないんです! どうか、恨みを消して、息子さんのところに行ってあげて下さい! そして、みんなを返して下さい……っ!」
そう言って頭を下げる真奈美達を、白い女はただ呆然と見つめていた。