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 真奈美達が巫女さんがいなくなったと気付く少し前。彼女は大人しく入り口のベンチで、スマホ片手に真奈美達の誰かから連絡が来るのを待っていた。こうしてただ待っているだけというのはつくづく自分の性分と合わないなとは思いつつも、動こうと思っても右半身が重くて言うことを聞かない今の状態では、それもままならない。気持ちばかりが逸ってしまう状況でも体が重かったお陰か、真奈美達に当たり散らさなかったのは我ながら英断だなと、巫女さんが一人で納得していると、不意に隣に誰かが立っている気配を感じた。自動ドアが開く音がしなかったと思い、ばっと弾かれたようにそちらへ振り向こうとした彼女だったが、相手の顔を見る前に振り上げられた腕とその先に持たれた拳銃を認めた瞬間、鈍い音と鋭い衝撃を最後に彼女の意識はそこで途切れた。




 巫女さんがいなくなったと焦る絢と友香里に、真奈美は至って冷静に二人は梅の木へ行くように言った。当然、巫女さんを放って置けない二人は反発する。


「なんでよ、真奈美!? 巫女さんを捜しに行った方が――」

「私達は何のために調べ物してるの? 絢」

「そ、れは……でも、だって……!」

「もし、このまま巫女さんが戻らなくても、私達は涼佑君や直樹君を元に戻さなくちゃいけない。巫女さんがいなくなったのは確かに不安だし、心配だけど。きっと巫女さんなら、自分より涼佑君達を優先しろって言うと思う」

「でも、真奈美! 今の巫女さんは――」

「分かってる。今の巫女さんは涼佑君の体を預かってる。魂と体、両方揃わなくちゃ涼佑君は生き返れない。だからこそ二人には梅の木で待機してて欲しいの。私はここで調べ物して、巫女さんを捜しに行く」

「だったら、私が巫女さんを捜しに行く!」

「ちょっ……絢っ!?」


 友香里が止める間も無く、再び絢は飛び出して行く。彼女を止めようかどうしようか迷い、逡巡した真奈美だったが、ここでさっき自分が下した判断を覆してしまっては結局、時間の無駄になると思い、直ぐ様友香里に言い渡した。


「ごめん、友香里。友香里だけでも梅の木に行って。私も後で――」


 その時、二人のスマホから通知音が鳴り、ほぼ同時に確認すると、絢から画像だけが送られてきたようだった。それは一枚の小さなメモで、ノートの端を鋏で丁寧に切り取ったようなそれには鉛筆でただ一言「梅の木で待つ」とだけ書かれている。明らかに作為的なものを感じるが、このメモが巫女さんのことを指しているのだとしたら、合点がいく。画像にはメモの他に、それを持っている絢の手と巫女さんが座っていた簡易ベンチが映っているからだ。友香里と顔を見合わせて頷き合い、真奈美は彼女に先に行くよう促し、友香里も絢の後を追って図書館を出て行く。残された真奈美は手元の資料に再度目を落とし、小さく呟いた。


「この記事だけじゃ足りない……」


『篠崎美咲』という名前と顔写真を手掛かりに、真奈美は頁を捲った。




 段々と意識が浮上してきた巫女さんは、そっと目を開けた。次第に背中を撫でていく冷たい夜風の感触を感じ取っていき、微かに唇に付いたざらざらとした土の味に、今度こそはっきりと覚醒する。起きあがろうと身を起こしたその時、反射的に口に入ってしまった少量の土をんぺっと吐き出してから、彼女は辺りを見回した。すぐ傍には制服と刀が入った紙袋が無造作に投げられたような形で置かれている。


「……どこだ? ここ」


 言ってしまってから、彼女はある一点に釘付けになる。梅の木だ。以前と同じように桃色から更に濃く、紅くなった花をつけている。ただ静かに風に揺れるその姿は歓喜に震えているようだ。あの霊の気配は微かに感じ取れるが、まるでガラス一枚隔てているような閉塞感もある。巫女さんはゆっくり立ち上がって紙袋から刀を取り、梅の木へと近付こうとした。しかし、強い向かい風が吹き付けてきて、彼女は思わず足を止めてしまう。相変わらず右半身がずん、と重いせいでバランスを崩し、彼女はその場に尻餅をついた。


「くっ……! やっぱり、ダメか。涼佑……っ!」


 このまま何もできずに自分も彼も死ぬしかないのか。遂に右半身が全く動かせなくなり、そのまま座っていることすらできなくなった彼女は、ただその場に体を横たえる。それにつられるようにして目蓋も段々重くなってきた。まずい、と意識だけでも抵抗しようと試みるが、体は最早彼女の意思を反映しようとしない。意識が暗闇の中に落ちる直前、巫女さんの視界に絢と友香里の姿が遠くに見えたのを最後に、彼女は闇の中へ意識を投じていった。




 懐かしい響きの唄が聞こえる。どこか遠くから微かに聞こえてくるその唄は、幼い頃に母がよく歌っていたような気がする、と涼佑は思った。いや、でも、母さんが歌っていたのって、こんな唄だったっけ……? ふと、そう思ったが、ぎゅっと抱き締められた感触に安心を覚えて、彼はそんなことどうでも良くなってくる。母さんが嬉しそうなら、それで良いと思ったのだ。


「かあ……さん……」


 涼佑の声に女は歌うのを止めて、愛おしそうに腕の中の涼佑を優しく撫でた。その目は本当に我が子を大事に思っている母親のものだ。


「大丈夫。ママが守ってあげるから。さあ、もう少し眠りなさい」

「…………うん」


 眠い。体が鉛のように重くて、目を開けていられない涼佑はまたすぐ目を閉じて寝入ってしまった。女はそんな彼をもう一度、大事そうに抱え直してまた子守唄を歌おうと口を開きかけた。その時、背後から一閃。確実に女を狙った一撃は寸でのところで彼女に触れること叶わず、驚いた女は涼佑を抱えたまま背後を振り返った。


「お前……」


 そこには刀を持った巫女さんがいた。しかし、常の凜とした立ち姿ではなく、抜き身の刀を持った腕が意思を持っているかのように、持ち上がっているだけだ。彼女の右半身からは黒い靄のようなものが立ち上り、目のような二点の赤い光がギラギラと光っている。巫女さん自身の意識は無い。幽霊巫女の仕業ではないと確信すると、その靄に蛇の口のような裂け目が出来て、確かに言葉を発した。


「カ、カカ……カッ……カ、エセ」


 ぐい、と靄が巫女さんの体を操り、刀を突き付けてくる。女はすぐそれが腕の中の涼佑を指しているのだと分かった。分かったと同時に、彼女はぎゅっと殊更に涼佑を抱き締める力を強め、靄に向かって独りごちる。


「非道い呪いね。……穢いわ」


 無理矢理自分の結界に土足で入ってきた汚らしい侵入者に、女は侮蔑の眼差しを向ける。元々この人間に憑いていたのは分かっていたが、こうして目の当たりにすると、その穢さにぞっとする心地がした。靄は女の独り言を聞いていたのか、はたまた偶然か、それが合図だったかのように巫女さんの体を操って肉薄し、女に向かって刀を振り上げる。その愚直なまでに真っ直ぐな太刀筋をひょいと避けて、女は吐き捨てた。


「この子に触らないで」


 げしっと巫女さんの背中を蹴って無理矢理距離を取らせると、巫女さんの体はよたよたと数歩進んだところで転んだ。今のうちに閉め出してしまおうと、背中を向けて更に距離を取ろうとした女の白装束の裾をいつの間にか近付いたのか、靄が再び振り上げた刀によって虚空の地面に縫い付けられる。くん、と裾が引っ張られる感覚に一瞬気を取られたその隙を突いて、靄は女に飛びかかった。


「いやっ……! 放して! 穢らわしいっ!!」

「カエセ、カエセ、カエセカエセカエセカエセカエセカエセッ!!」


 涼佑を奪われまいと抵抗するうち、女の手から彼の魂が零れてしまい、涼佑は小さな光の塊から元の彼自身の形へ戻る。周囲に咲き誇っていた梅の花は黒ずみ、ぼろりと落ちると、涼佑の意識は今度こそはっきりと目覚めた。

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