そこには朝のニュースと同じ内容で、やはり女性が左腕を失い、救急搬送されたというものだった。そのニュースの一部を直樹が朗読する。
「被害者は二十代の女性で、夜道を歩いていたところを何者かに切りつけられた模様。搬送された時点で女性の左腕が行方不明になってしまっている……だってよ。こわ」
「行方不明?」
おそらくは『鹿島さん』の仕業だろうとは思うが、涼佑はこういった話を聞く度、少し疑問に思っていたことがある。霊は基本的に生きた人間に直接触れることはできない。なのに、こういった体の一部を奪われるという話の場合、殆ど霊から直接危害を加えられるというケースは定番だ、と思える。確証を得るため、彼は真奈美にこういった話の定石というものを訊いてみることにした。
「――なぁ、真奈美。ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「うん、いいよ。なに? 涼佑君」
「こういったパターンの話って、夢とかを通して霊が直接人間に害を与えるって感じだけど、そういう傾向って、その……定番の話なのか?」
涼佑の問いに彼女は少々訝しげな顔をしたが、特に追求することも無く、「うん、大抵はそういうケースが多いかな」と概ね肯定する。定番だと分かると、続けて彼は質問する。
「そっか。じゃあさ、今回みたいに夢を使って現実の人間に害を与えるって、本当に可能なのかな?」
「どういうこと?」
「いや、よく考えたら、ちょっとおかしな話だなって思って。だって、『鹿島さん』って実体が無い霊だろ? 実体が無いんだったら、基本的に実体を持ってる人間に直接危害を与えることはできない筈じゃんか。それがどうして……」
「……『鹿島さん』にだけできるの? ってこと?」
「うん。力のある霊って、そんなこともできるのか。ちょっとオレにはよく分からないんだけど」
涼佑がそこまで言うと、彼と真奈美の会話に巫女さんが割って入ってきたので、涼佑は巫女さんがいるであろう虚空へ意識を向けた。
「そもそもだな、涼佑。お前の言う力のある霊ってのは、どういうもんだ?」
「え? その……怨霊、とか? ほら、有名な怨霊っているじゃん。崇徳天皇の怨霊とか」
「そこと比べられたら、大抵の霊は力の無い奴扱いになるが、まぁいい。要するに長い時間を掛けて霊が恨み辛み、妬みなど負の感情を募らせて成った霊のことだな? 確かに怨霊となれば、実体を持った人間に直接的な害を与えることはできる。だが、『鹿島さん』とやらは怨霊かと訊かれれば、違う。怨霊にしては姿が一定じゃない。姿が一定ではないが、実体に害を与えられる今回の怪異は都市伝説と呼ばれるものだからだ」
「都市伝説って口裂け女とかああいうの?」
涼佑の問いに巫女さんは肯定の意味で頷く。それを真奈美達に涼佑が伝えると、皆「へぇ」と興味深そうな声を上げた。皆が落ち着くのを見計らってから巫女さんは説明を続ける。
「都市伝説とは、普通の霊や妖怪と違って、存在自体が不確かなものだ。人から人へ口を通して伝わった、所謂『噂』によって生かされているとも言える存在だな。そこに個人の魂と呼べるものは無く、不特定多数の人間の『思い』が形になったものだ」
「ああ、だから何が何だか分からない文章が多かったのか」
「何が何だか分からない文章?」
今度は巫女さんの方が訊きたそうに返す。彼女と皆に説明するためにも、涼佑は巫女さんが『鹿島さん』と戦っていた時を思い返した。
巫女さんと交代し、まず最初に目覚めた涼佑の前にあったのは、ネオンの空間とガラス張りのドアだった。周りに時折文字のようなものが浮かぶが、その全てが文字化けしていて、文章として読めないものばかり。辛うじて読めそうな文章はドアに掛かっているプレートに刻まれているものだけだ。近付いて見てみると、そこには『わ上は縺励?鮖ソ蟲カ縺さん』とだけ書いてある。
不思議に思い、声に出して読めるところだけ読んでみると、ドアは独りでに開いたのだという。おっかなびっくり中に入ると、また同じような空間とドア。ドアプレートには『驛ス蟶でシ晁ェャ縺ョせつのカ縺輔sよ』と書いてある。それも音読すると、またドアが開く。
次の空間も同じようなもので、またドアプレートを見ると『繧す☆繧後↑縺?で』と書いてある。その一文を読もうとしたところで巫女さんと『鹿島さん』の戦いが終わり、涼佑は無理矢理追い出されてしまったのだという。
そこまで言うと、傍らにいる巫女さんがこれでもかと眉間に皺を寄せ、涼佑にメンチを切ってきた。
「お前、なんでそういうことを早く言わないんだよ」
「ご、ごめん。あの時は言うタイミングが掴めなくて……」
「まあいい。今更言っても仕方ないからな。……このぼんやり涼佑」
「ごめんって」
涼佑の見た空間というのは巫女さんには未だ謎な部分が多いながらも、殆どの文字が読めなかったのは、不特定多数の人間の『思い』が入り交じっているせいだろうとのことだ。
「人の『思い』は複数が入り交じると、もう特定の形を成すことはできない。だから、実際に怪異そのものを見た者達の意見が違うなんてことはザラにある。都市伝説ってのはそういうもんだ。ま、怪異を見る側の無意識的なイメージも入ってくるから、一概には言えないが。――しかし、お前の見る空間とかドアってのは、本当に一体何なんだろうな」
「さあ? オレにも分からないけど、巫女さんの役には立ってる?」
「ああ、まぁな」
「なら、良いけど」
思ったより呑気な涼佑の態度に、巫女さんは納得し切れないような渋い顔をする。その顔から「いや、良いのか? それで」とありありと読み取れる。しかし、涼佑達だけでは彼の見る光景が何なのか、具体的なことは何も分からないので、ここで自分が食い下がっても仕方ないと巫女さんは『鹿島さん』事件の方へ意識を向ける。
「取り敢えず、今それは置いといて目下は『鹿島さん』にもう一度接触することだ。真奈美の家で待ち伏せる以外はやれることは無い」
「そっか。じゃあ、次『鹿島さん』に会ったら、オレもなるべく早く核に行けるよう頑張るよ」
「そうしてくれ」
「捜査の進捗はどう? 進んでる?」
そう言いながら近付いてきたのは、やはり夏神だった。一見笑顔だが、直樹を見る目は笑っていない。わざわざこちらに近付いてきて遠回しに嫌味を言ってくるとは思っていなかった一同は、少し意外に思った。しかし、それとこれとは別だと思ったのか、直樹も臨戦態勢に入って言い返した。
「おう。お前には関係無ぇだろ。それにこの件に関してはおれらの方が一歩リードしてるしな」
「へぇ? やるじゃないか。遭ったのかい? 『鹿島さん』に」
「教えてやんねー。でも、こっちには巫女さんがいるし、次遭えば、確実に退治してくれるだろーから、おれの勝ちだな!」
「馬鹿野郎」と言いたくなった一同だったが、もう遅い。今まで巫女さんの存在は部外者には何となく伏せてきたのに、ここで暴露するとは思っていなかった涼佑達は、内心で焦り始める。そんな中、涼佑は夏神が密かに浮かべた表情に少し背筋が寒くなった。
「そうなんだ。巫女さんが、ねぇ」
一瞬だけいつもの彼とは違う、何を考えているのか分からない全くの無表情を浮かべた彼に、涼佑は言いようのない寒気を感じずにはいられなかった。何か決定的な間違いを犯したような気になって、心臓が跳ねたような気がしたが、他の面々は気付いていないようだ。それからの時間は、何となく夏神が彼には見えない筈の巫女さんを見ているような気がして、どうにも涼佑は落ち着かなかった。