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 そのままの状態で屈んだ涼佑はその跡をじっと見つめ、それが何なのかよくよく観察しようとした。何かを引きずった跡のようで、その跡はアパートから出て住宅街の奥へ続いている。少し離れたところにいた真奈美が涼佑の様子に気付き、静かに近付いてくる。


「何か見付けたの? 涼佑くん」

「ん? ああ、いや、何かここに引きずったような跡があって……」


 しかし、真奈美が同じところを見ても、特にそんな跡は無い。「どこ?」と訊いてくる彼女に、涼佑は改めて自分が見ている物は他の人には見えないのだなと思い、その事実が何だか一歩人間から遠ざかったような感覚を伴う。彼自身、自分が呪われた時から人間味から遠ざかったとは薄々勘付いていたが。それに加えて、彼女は涼佑が目を瞑っていることにも言及してきた。何故、そうするのかと訊いてくる彼女に涼佑は正直に答える。


「何か今、巫女さんがオレにそういう視界を見せてくれてるから、オレの目は瞑ってた方がよく見えるんだ」

「……そんな話、聞いたこと無い。メモして良い?」

「え? ああ、いいよ」


 興味深そうにスマホのメモアプリを起動して丁寧にメモをする真奈美。ちゃんと細かく内容をメモしたと確認し、納得するように彼女はうんうんと頷いてスマホを仕舞った。それ以上は人間の目では手掛かりが掴めそうも無いので、真奈美は早々に諦め、自分が先導するから涼佑は赤い跡を教えて欲しいと提案する。


「そっちの方が多分、効率良いし、良いよ。じゃあ、真奈美。先導よろしく」

「うん。私には見えないからちゃんと教えてね。涼佑君」

「ああ、分かったよ」


 目を瞑った涼佑の先を真奈美が歩き、彼の指示で赤い跡を追う。時折、障害物や不思議そうな顔をしていく通行人、通りがかった野良犬や野良猫の存在を涼佑に教え、二人はそれらを回避しながら追跡していった。

 追跡の結果、唯一の手掛かりだった赤い跡は住宅街の中で途切れており、それ以上はどこへ向かったのか一切分からなくなっていた。そのことを真奈美に教えると、涼佑は目を開き、目の前にいる筈の彼女を見る。真奈美は少し残念そうな顔をしてぽつりと訊いてきた。


「もう、見えないの?」

「うん。ここら辺で跡が途切れてて、この跡を付けた奴がどこにいるかは――」


 その瞬間、一瞬辺りが赤黒く染まったと思うと、真奈美の姿はかき消えていた。何が起こったのか理解できない彼は戸惑いの声を発して辺りを見回す。


「はっ? え? 真奈美? どこ行った!?」


 彼女の名前を呼んでも返事は返ってこない。それどころか、彼女がいたという痕跡も気配も全く消えている。まずい、と本能が警鐘を鳴らし、涼佑はどうすればいいのか分からず、巫女さんを呼んだ。呼ばれた彼女は、傍らに現れるやいなや、すぐに交代しろと彼に言う。言われるがまま、それに涼佑が応じると巫女さんは腰に提げた太刀を抜き去り、構える。


「『開け』。私を招け」


 何も無い目の前の虚空に彼女が刀を突き立てると、虚空にひびが入り、もう一度突き立てて更にひびを広げ、終いに彼女はそこに指を突き立てて左右にこじ開けた。その向こうの空間は空は赤錆び、建物には大量の血を被ったような悍ましい光景が広がっている。その中で、真奈美は捕まりかけていた。真奈美を捕まえようとしている者を見て、巫女さんは「やはりか」とだけ呟き、そのまま足を踏み入れた。




 最初に異変に気が付いた真奈美は、その場から動かなかった。否、動けなかった。気が付いたら、目の前にいた筈の涼佑の姿は無く、周りの景色も血に塗れた恐ろしいものに変わっていることに気付いた彼女は、努めて冷静さを失わないように自分の手の甲を抓り、痛みで何とか正気を保っていた。

 今まで責任が軽いもので占い、一番重いもので除霊の真似事のようなことはやってきたが、こんな周囲の景色まで変えてしまう程の力を持った霊を相手にしたことは無い。オカルトの知識がある分、彼女はこの事態の重さと命の危機を勘付いていた。但し、あくまでも勘付くだけだ。実際に体験してみないことにはどれほど、危険なものなのか分からない。


「どうしよう。涼佑君とはぐれちゃった」


 内心で彼女は相当焦っていたが、他人から見ればあまりいつもと変わりないように見える。ただ、いつもよりほんの少しだけ早口になるのが、彼女の焦りと恐怖を如実に表していた。ここはもう現実世界とは明らかに違う、彼女にとっては謂わば、異空間や異世界と同義だ。どこから何かが襲ってくるかもしれないと思い、警戒している彼女の目にあるものが飛び込んで来た。


「……か、しま、さん」


 振り返った彼女とは反対側の丁字路。そこにそいつは立っていた。否、立っていられること自体がおかしい格好でいた。

 元は女の胴体なのだろうそれに、辛うじて右腕と左足のみが付いている。本来、頭があるだろう場所には当然のように何も無い。血の気の無い青白い胴に対して、まるで今?ぎ取ったばかりのような健康的な桃色の肌をした右腕と、反比例するかのように皺が刻まれた、若い女性の体には合わない細い左足。その左足だけで立っているので、非常に不安定で左右にゆらゆらと揺れていた。ぼうっと突っ立っているその姿に、真奈美は却って現実感が無く、恐怖はあまり湧いてこなかった。冗談のような光景にただ思考は完全に止まり、そのせいで恐怖が麻痺していた。だからだろう。その『鹿島さん』らしい化け物がこちらに近付いていると最初は気が付かなかった。一歩一歩、ぺたん、ぺたん、と裸足の足音を厭に大きく響かせて確実に距離を詰めてくるそれに、真奈美が漸く気付いたのは、最初の地点から半分程、進んだ時だった。


「あ……」


 逃げなきゃ、と思うのに彼女の両足はまるで地面に縫い付けられたかのように動かない。その間にもぺたん、ぺたんとひょこひょこ歩きの格好で『鹿島さん』は迫ってくる。『鹿島さん』が歩く度、胴体の切り口からは真っ赤な血がぽたぽたと滴り落ちていく。その光景を見つめながら真奈美は頭の中で「ああ、そういえば、三人目の被害者は年配の女性だったな」と今の状況には関係の無いことを腰が抜けてその場に座り込んでしまいながら考えていた。

 そうこうしているうちに『鹿島さん』はもう真奈美の目の前に来ていた。その首の無い体をまるであたかも頭があるかのようにぐう、と近づけて品定めをするように取って付けた右手でぺたぺたと不器用に彼女の体や頬に触れる。そして、その手が彼女の首に掛かったところで、真奈美の背後から誰かが足を突き出し、『鹿島さん』を蹴り飛ばしたのだった。




 気を失った真奈美を守るようにして、巫女さんは彼女の前へ躍り出た。その手には一振りの太刀が握られ、先程蹴り飛ばした『鹿島さん』を睨み付ける。


「こんなもんで消滅しないよな?」


 蹴り飛ばされた衝撃でバラバラになったパーツを『鹿島さん』は胴体だけでにじり寄り、集めようとしたところで、巫女さんの足により踏まれて阻まれる。ぐっ、ぐっ、と何とか彼女の足の下から逃れようとしているが、胴だけなので、大した抵抗にならない。そこを巫女さんは容赦なく刀で串刺しにし始めた。


「どこだ? お前の核は。早く出せ」


 ざくざくと遠慮会釈無く、突き刺される刀から早く逃れようと『鹿島さん』は身を捩って巫女さんの足を振り払い、右腕を付けると、左足に向かう。後少しで左足を掴める位置まで迫った『鹿島さん』だったが、それも巫女さんの足で腹を蹴られて転がされ、敢え無く失敗に終わった。


「生者からパーツを奪い取るなんざ、図々しい。お前みたいな奴が楽に消えられると思うなよ」


 それだけ冷たく言い放つと、『鹿島さん』に馬乗りになった巫女さんは、またざくざくと刀を突き立て始めた。

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