樺倉望は葬儀場一階隅にある自販機の前に置かれた簡易的な硬めのベンチに座って、涼佑が下りてくるのをひたすら待っていた。黒い合成皮革の柔らかいクッションを使っている筈なのに、尻が痛くなるような造りのベンチは、もうだいぶ温かくなっていた。
焼香を上げてからずっとここで待っているのに、涼佑どころか誰も来ないことにもう諦めて帰ろうかと望は思っていた。折角ここまで来たのに、と些か残念に思いながらも帰ろうか、それとももう少しだけ待ってみようかとぐずぐず迷っていると、階段を下りてくる足音と共に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あ、のぞピいた!」
その元気な声にびくり、と望は肩を震わせる。声がした方を見ると、そこには望にとってはいつものことだが、一番会いたくない人物がいた。内心で彼女は相手が涼佑ではなかったことに落胆する。
梶原理恵。望にとって、目障りでしかない同じクラスの女子生徒だ。いつも派手な見た目のグループにいるリーダー的存在で、望とは見た目も性格も正反対な子だ。日頃から見た目に気を遣っているらしく、髪こそ染めていないものの、いつも化粧をしていて華やかな印象を受ける。そんな子が何故、自分なんかにやたら構うのか、望には全く理解できなかった。それ故に卑屈な彼女は、理恵がただ暇潰しに自分を構っては、陰で笑っているんだと思い込んでいた。
「捜したんだよぉ。のぞピってば、いっつもウチのこと避けるんだから。ねぇ、たまにはおしゃべりしようよ。のぞピのこと、もっと知りたいなって……」
まだ話の途中だというのに、理恵を煩わしく思った望は無言で立ち上がり、その場から逃げるように立ち去ってしまう。これ以上、自分と正反対の理恵に構われる謂れは無いと思っていたからだった。構われれば、構われる程、彼女の中で自分に対する惨めさが増してしまう。内気で卑屈な自分を面白半分で構っては周囲に良い人アピールをしているんだろうと望は確固たる理由も根拠も無く、彼女を軽蔑していた。尤も、彼女自身に軽蔑しているという意識は無く、自分の方が下に見られていると思っていた。
華やかな彼女を見ていると、自分が否が応でも周囲から比較されているような気がして居たたまれない。だから、せめてもの意趣返しに頭の悪そうな女と話すことも無いと思った望は一旦、外へ出る。
彼女の後を追おうとした理恵だったが、迷惑そうな目を向けられて足を止めてしまう。その隙に望はさっさと葬儀場を出て行った。また追いかけようかどうしようかと迷っている理恵の姿を遠巻きに、同じクラスの青谷真奈美が静かに見つめていた。
「どしたの? 真奈美」
「真奈美、受付終わったよ」
いつも彼女と一緒にいる白石絢と遠藤友香里に話しかけられるも、元来寡黙な彼女は暫し沈黙した後に「何でもない」とだけ言って視線を外し、会場へ向かった。
その後も焼香を上げに来る顔に礼をし、話したそうならその都度、対応していく涼佑とその家族。と言っても、涼佑やみきは学校の友達とだらだら喋っているだけだったのだが、会場に現れたある女生徒を見て、驚いた。
「え? あれ、青谷じゃないか?」
「青谷……って、隣のクラスの?」
「おう。涼佑、知り合いだったとか?」
「いや、別に」
直樹はてっきり涼佑と真奈美に親交があったのかと思っていたが、涼佑の様子を見る限り、その可能性は極めて低いと知る。だとしたら、何故彼と殆ど関わりが無い彼女がこの葬式に来るのか、まるで分からなかった。
青谷真奈美はいつも二人の友人達と一緒にいることが多いオカルト好きな女生徒だ。学校では笑ったところを見たことが無いと言われる程表情に変化が無く、常に無表情。長い黒髪を下ろしたまま、何故かいつも青や紫の蝶々ヘアピンを付けているのが特徴的な、ミステリアスを体現したような少女だった。
しかし、今はいつものヘアピンをしていないところから、葬式のことを考えて来てくれたのだと分かり、何だか意外だなと涼佑は思った。ぺこりと礼をする彼女達に涼佑も畏まって礼を返す。特に言葉を交わすことは無く、真奈美達は静かに焼香を上げて帰って行った。
「なんで隣のクラスの奴が来るんだろうな」
「さあ……」
通常、同じクラスの生徒が来るのならばまだ分かるが、真奈美達は隣のクラスだ。どうして彼女達が来てくれたのかは全く分からないが、その姿が涼佑と直樹の心に焼き付いて離れなかった。
「じゃあ、おれ帰るわ」と言って直樹も帰り、母に「少し休憩してきたら?」と言われた涼佑とみきは昼食の時に入った広い会場へ戻る。焼香を上げる来客の対応で、ずっと椅子から立ったり座ったりしていたので、足が痛くなってきている。椅子に座ってポケットからスマホを取り出すみきに声を掛け、涼佑はトイレに立った。
トイレから帰って来る途中に涼佑は背後から呼び止められた。聞き覚えの無い少女の声に不思議に思った涼佑は振り返る。そこには一番早く焼香を上げに来た少女・樺倉望が所在なげに立っていた。昼食の時もこっちを見ていたなと思い浮かべた涼佑は、少々不気味に思いながらも「どうしたの?」とできるだけ優しく声を掛けてみる。望は何か言いたそうにしながらも、何故かもじもじとしていてなかなか言い出さない。相も変わらず、涼佑は彼女の顔を見ても、やはり見覚えの無い子だなと思っていた。やがて、勇気を振り絞ったような表情で、望は口を開いた。
「あの、ね……涼佑くん」
「うん」
「その…………………私、あなたのことが、好きですっ。付き合ってくださいっ!」
「………………………………は?」
一瞬、涼佑は自分が何を言われたのか全く理解できなかった。頭の中でたった今言われた言葉をただ繰り返し、反芻して漸く意味を理解すると、明らかに嫌悪の表情と目つきを望に向けた。向けてしまった。内心、しまったと思った彼だが、もう時既に遅し。みるみるうちに絶望の表情へ変わっていく望を目の当たりにして、内心で慌てて取り繕うように嫌悪を引っ込め「ごめん。オレ、今そういうのに構ってられないから」とだけ言って、さっさとその場を立ち去ろうとしたが、突然腕を掴まれる。まさか触れられるとは思っていなかった涼佑は、ただただ驚いて振り返った。涼佑の腕を掴んだ望は目に涙を溜めて真っ直ぐ彼を見つめ、か細く呟いた。
「こんなに好きなのに、なんで……?」
その一言で全てが決まった。こんな忙しい日、しかも祖母の葬式という本来なら、色恋沙汰など遠慮して然るべき時の告白。もうこれだけで涼佑の中で望は『非常識で自分勝手で無神経な人間』と断ぜられた。それだけで彼が彼女の告白を断る理由としては申し分なかった。望のか弱い力で掴まれた腕を振り払って、前へ向き直った涼佑は静かに告げてその場を離れた。
「それに、オレ。こういう時にそういうことしてくる子は、ちょっと無理だから」
振り払われた手はそのままに、去って行く涼佑の背中を見つめていた望は悔しそうに唇を引き結び、ぎゅっと空を握る。その目は悲しみから一転して、怒りが目覚め始めていることに、望自身も気が付いていない。
「なんで……」
「あ、いた。のぞピ、こんなとこで何してんの?」
また彼女を見つけた理恵が傍に寄ってくるが、望にはまるで見えていないようで、何事かぶつぶつ呟いたかと思うと、そのまま理恵を無視して今度こそ葬儀場を後にした。ここまで来て話しかけても尚も無視されてしまったことに傷付いた理恵はもうそれ以上、彼女を追うこともできずに小さな背中を見送るしかできなかった。
会場に戻ってきた涼佑の足音を聞いて顔を上げたみきは、不思議そうに小首を傾げて言った。
「お帰り。どこ行ってたの?」
「ん? トイレだけど」
「長っ。どんだけ? お兄ちゃん、何してたのよ」
一瞬、望に告白されたことを言おうかどうしようか迷った涼佑だったが、先程のことを思い出しても不快感しか胸に込み上げるものが無かったせいか、それ以上口にしたくなかった彼は「別にいいだろ」と言いつつ、みきとは少し離れた席に座る。徐にポケットからスマホを取り出して最近流行っている曲について話題を振り、みきを丸め込むのだった。