丁度、図書館からの帰り道にこの記事を見付けた涼佑は、自転車に跨がって自宅への帰路へ着く。ペダルを踏み込み、走り続けていると、行きでも見かけた公園に差し掛かった。何となく公園内へ目を向けると、数人の子供達が遊んでいる姿が目に入る。外見から小学生くらいだろうと判断した涼佑は、羨ましそうに溜め息を吐いた。
「いいなぁ、小学生は。こんなことに巻き込まれなくて――」
ちょっとした愚痴のつもりで呟かれたその言葉が終わろうとしたその時、ひゅっと何か紐状の物が飛んでくるような音が耳に届いた瞬間、涼佑の体は物凄い力で公園の柵に叩き付けられ、首を絞められた。一瞬、何が起こったのか分からなかった彼は、ただ首にぎりぎりと掛かる力に抵抗しようと自らの首を押さえ、足をばたつかせる。
「ごぇっ!? は……が……ぁ……!?」
「涼佑っ!?」
涼佑の目には背後の柵に押し付けられる自分の体ととにかく首に何かが巻き付き、殺そうとしていることしか分からない。しかし、傍らにいる巫女さんには何が起こっているのか分かった。公園の柵近くに生えていた木から伸びた蔦が彼の体を柵に押し付け、首を一心不乱に締め付けていた。有り得ない光景に彼女は涼佑にまだ抵抗する体力があるうちに「代われっ!!」と耳元で叫んだ。
「み゛、ご……ざ……」
涼佑が恐怖と苦しみに顔を引き攣らせ、巫女さんへ手を伸ばす。殆ど無意識的に思い浮かべたトンネルの中を彼女は全速力で向こう側から駆け抜け、涼佑の背中を突き飛ばした。
「ぐっ……! このっ……!!」
現実に自分が顕現されたと感覚で理解すると殆ど同時に、巫女さんは懐に忍ばせてあった短刀を抜き去り、無理矢理自分の首と蔦の間に差し込んで断ち切った。少々乱暴に扱ったせいで顎を軽く切ってしまうが、拘束は外れる。しかし、それも束の間。蔦は尚も彼女へ迫り、再び首へ巻き付こうとする。それを自分の首へ届く前に斬り伏せ、彼女は自転車に跨がり、逃走を図った。
未だ少し呼吸がし辛い首筋を擦りつつ、涼佑の家へ向かう。その間にも植物の蔓や蔦、駐車場に渡してある立ち入り禁止のロープ、文房具店のテープやナイロン紐などありとあらゆる紐状の物が全て巫女さんの首を絞めようと独りでに動き、襲いかかってくる。それらを躱し、斬り払い、踏み潰しながら彼女は逃げ続ける。逃げながらも彼女は頭の中でこの怪異の正体は何かと考えていた。今までの経験と知識から彼女が導き出した答えはなかなか出てこない。確か、元は大した力も無い妖だったような気がすると思った瞬間、頭上から細長い影がすう、と落ちてくる。反射的に振り向き、上空を仰いだ彼女の目には信じられない物が映った。
千切れた電線。未だ電流が流れているだろう無理矢理引き千切ったような切断面が眼前に迫る。刀で切ってはだめだ。瞬時に判断すると、彼女は地面を蹴り、後方へ飛び退いた。自転車が転がり、電線は勢い余ってそちらへ伸び、電流を浴びせる。自転車を潰してしまったが、命を潰されるよりはましだろうと、彼女は直ぐさま立ち上がり、形代を取り出して念を込めたかと思うと、自転車に貼り付けた。そこで少し落ち着いて周囲を見回すと、もう既に自宅の前に着いていたことを初めて知った。
「ったく、世話の焼ける……」
何とか死守した涼佑の鞄から鍵を取り出し、急いで玄関に入ると、彼女は札を一枚ドアに貼っておいた。剥がれてしまった時の為にもう一枚、目立たないところに貼っておく。そうして玄関からの侵入を防ぎ、急いで他の部屋へも札を貼りに向かう。札自体に怪異の侵入を防ぐ効果は無いが、彼女の思念を家全体に伝える為には効果的だ。窓という窓、裏口のドア等、外部からの侵入経路は全て札で防いでおく。全ての侵入口に貼り終わると、彼女は漸く一息吐いた。
「ぜぇ……はぁ……。もうこんな追いかけっこは二度とごめんだ……!」
それ以上、体の疲労を感じていたくなかった巫女さんは、涼佑に体を返す。普段通りの姿に戻った彼に巫女さんは一応訊いてみることにした。
「どうだ? 涼佑。今回は変な空間に行けたか?」
「いや、全然。普通に寝てたよ。巫女さんは? 何か分かったりした?」
「おそらくだが――」
そこで思案していた巫女さんは殆ど確信に満ちた響きで告げる。
「今回の怪異は蛇帯、だな」
「蛇帯? って、どんなやつなんだ?」
『蛇帯』と聞かされても、涼佑には全くピンとこない。そもそも名称を聞いたのだって、今が初めてだ。そんなオカルトひよこの彼に巫女さんは少し考え、簡単に説明する。
「元は着物の帯に女の情念……それこそ嫉妬だとか恨みだとかが宿って独りでに動き回るっていう、大したことの無い妖怪だが、あそこまで厄介なのは私も出会ったことが無い」
「……やっぱり、その情念って、樺倉のことなのか?」
「分からない。さっきも姿は現さずに私――正確には涼佑を殺しにかかってきた。お前、本当に身に覚えが無いのか? あれは相当だぞ?」
「無いよっ。あるとしたら、やっぱ葬式と通夜行かなかったことぐらいだよっ」
「――普通なら、その程度であそこまで執拗に追いかけては来ないんだが、望本人の思いだけで行動しているから正直、私にも分からん。望なりの理由があるのかもしれないし」
「何だよそれ。そんなはた迷惑なことあって堪るかよ……」
疲れてその場に座り込み、大きく溜め息を吐く涼佑の背を巫女さんは直接触れられないが、ぽんぽんと勇気づけるように優しく叩いて励ました。
「もう少しの辛抱だ。明日、真奈美達の調査結果で何か分かるかもしれないだろ? 元気出せ」
「………………うん」
力なく項垂れる涼佑を内心哀れみながら、巫女さんは努めて明るく振る舞おうと彼の肩をぽんぽん叩いた。そうしながらも、頭の片隅ではあまり時間は残されていないなと冷静に現状を分析していた。
翌日の月曜日。涼佑が待ちに待った放課後に彼は直樹と一緒に真奈美達と情報共有をした。蛇の死骸についてはやはり、誰も分からなかったが、真奈美と絢の証言とスマホで撮影したであろう画像から、望本人が蛇を殺したのではないか、という仮説に行き着いた。二人が撮影した画像には酸化した血が大量に付着したカッターナイフと釘、日記の最後のページが映っていた。しかし、望がやったと分かったところで、じゃあどうして彼女がそんなことをしたのかという点については誰にも分からなかった。
「何かごめんな。休みの間、真奈美達にばっか任せて」
「何言ってんの。あの家には私達が適任だったんだから、しょうがないでしょ。それに、あんたらはこれからが仕事」
「残ってる梶原さんへの聞き込みは、涼佑君と直樹君に任せるよ。頑張ってね」
「多分、今日はまだ残ってると思う」という真奈美の言葉に背中を押されて、涼佑と直樹は彼女達のクラスへ急ぐ。昨日、涼佑を襲ってきた一連の騒動と似たようなことは起こっておらず、家には札が、学校では人が多いから望も手を出しにくいのではないかと巫女さんは言っていた。
「梶原、さんって……いる?」
教室の戸を開けて開口一番涼佑がそう言うと、窓際で楽しそうに喋っていたギャル集団が一斉にこちらを見て「なに?」と不快そうな表情と口調で威圧してくる。一瞬、その強すぎる雰囲気に気圧されて出て行きかけた涼佑だが、代わりに直樹が身を乗り出して「おれら、樺倉のことで調べてんだけど、何か知らない?」と言ってくれた。
「は? カバクラ? って……のぞピのこと?」
「の、のぞピ……う、うん? 多分」
「ふぅ~ん……帰れ。リエが話すこととか何も無いから」
絢って優しかったんだなと思えるくらい強すぎる態度に、涼佑は早くも引き下がりたいという気分になってしまう。でも、ここで本当に引き下がったら、何の解決にもならない。いざ、特攻あるのみと負けずに教室へ入って近付いた。
「帰れって言ったよね? だいたい、あたしら、いじめとかやってないんですけど?」
「どいつもこいつもあたしらを疑いやがって」と吐き捨てるように言うギャル系女子。威圧的な人間というのも幽霊とは別の意味で怖いと涼佑が思っていると、また直樹が仕掛けた。彼はこういった交渉事に強い。
「じゃあ、樺倉とはどういう関係だったんだよ? いじめじゃないって言うならさ」
「それは……」
「別に何でもない。ちょっとメイク教えてたってだけ」
「メイク?」
初めはそれ以上、話したくないという態度だった理恵だったが、拙い言葉ながらも樺倉のことをただ知りたいだけだと言う涼佑を見て、何か思うところがあったのか、少しずつ話し始める。恐らく、このクラスでも涼佑達のクラスと同じような様子だったのだろう。否、もしかしたら、彼のクラスより酷かったのかもしれない。特にいじめ疑惑を向けられていた理恵は、それこそ有りもしない噂の的になっていただろう。詳しい背景は涼佑には分からない。ただ、亡くなった望のことを誰かと話したかっただけかもしれない。
「のぞピはさぁ、メイク映えする顔だから、やれば可愛くなれるのに、いっつも自信無さそうな顔してて、一人でいたし。だから、勿体ないなって」
「それで、教えてたのか?」
「うん。最初は逃げられてたけど、最近になってちょっとだけ喋るようになってくれたとこだったんだ……迷惑だったんかな。死にたくなる程……だったのかなぁ……っ!」
話しているうちに理恵の目から涙が溢れる。泣かせるつもりなんて無かった涼佑達は慌てて、励まそうかどうしようか逡巡していると、「もういいでしょ。これ以上リエ泣かしたら、マジぶっ飛ばすから」と彼女の友達に言われてしまえば、すごすご引き下がるしか無い。
しかし、お陰で分かったことがある。望は理恵にいじめなんて受けていなかった。むしろ、その逆で彼女は望と友達になりたかった。では、やはり、彼女が自殺した理由は日記に書かれていたという『あの人』が原因なのか。真奈美曰く、日記に書かれていた『あの人』への告白を断られてから望の恨みは酷くなっていたように思えるという話だ。ならば、彼女の告白を断った人間など、一人しかいない。