気を引き締め直した涼佑はあの影のことは頭の隅に追いやった。とにかく今は繋ぎ目を探すことだけに集中しようと辺りに目を配りつつ、友香里と共に慎重に先へ進む。こんな状況下では何が起こっても不思議じゃないと素人なりに警戒を怠らない。このトンネルが繋がっている状態だとしたら、普通に考えれば直樹達と鉢合わせになる場所が繋ぎ目だろう。それまでに何も起こらないことを祈りながら、彼らは歩いて行った。
警戒した割には何も起こらず、涼佑達と直樹達はあっさり鉢合わせすることになった。涼佑は直樹達にもここまでで何か変わったことは起こらなかったかと訊いてみたが、特に何も無かったようだった。
「じゃあ、ここが繋ぎ目ってことか?」
四人で周囲を見回すも、それらしいものは見当たらない。てっきり涼佑は線のような物があるのかと思っていたので、また彼は巫女さんに訊いてみる。
「なぁ、巫女さん。繋ぎ目かなっていうとこまで来たけど、何も――」
「いや、ここだ。これにはちょっとコツがいるからな。涼佑、今から私の言う通りにしろ。いいな?」
「……ああ、うん」
人の話を聞かない巫女さんの言うことには、涼佑がやることは二つ。一つ目は懐中電灯を直樹達の方へ投げる。二つ目は、それが終わったらあるイメージを思い浮かべる。イメージ自体はトンネルでも舟でも何でもいいが、とにかく巫女さんと端と端で渡り合って交代するイメージを持て、というのが彼女のお達しだった。そういった知識が皆無な涼佑には、全く意味が分からない。懐中電灯を投げることとイメージすることに何の関係があるのかと考えそうになったが、たとえ意味不明な行動でもそうしないと帰れないと聞かされればやるしかない。直樹達には今から彼がやることを話し、危ないから少し離れてるように言うと、二人とも不思議そうに首を傾げていたが、意味が分からないなりに従い、少し後ろへ下がってくれた。涼佑も友香里と一緒に少し下がって、懐中電灯をしっかり握る。
「これで本当に帰れるのか?」
「心配するな。私を信じろ」
「ん~……頑張る」
「信用するのに、頑張るってなんだ」と突っ込んでくる巫女さんを無視して、涼佑は勢いを付けて懐中電灯を前方へ高く投げた。弧を描いて飛んでいく懐中電灯。どうせそのままアスファルトに落ちるだけだろうと彼は思っていたが、一番高い地点に到達した途端、「ぎゃっ」と獣のような声が響き渡り、懐中電灯はそのまま垂直に落下した。
「え?」
「ほら、涼佑! 私と交代しろ!」
巫女さんの言葉は今の涼佑には届かない。彼は目の前の光景に釘付けでそれどころではなかった。ある一点を凝視し、身動きができない。彼の視線の先には有り得ないものが居座っていたからだ。
トンネルを塞ぐように居座っていたのは、大きな腹をした動物だった。オスかメスかまでは分からないが、毛色から何となく狸なんじゃないかと涼佑は予想する。しかし、その狸は厭に巨大で、でっぷりとした腹が目立ち、あまりにも腹が大きいからトンネルの天井に付いている頭が圧迫されているようにも見えた。そして、何より不気味なのは、その腹から狐や兎などの小動物の頭がぼこぼこと生えていて、悲痛な鳴き声を上げていることだった。何これ、何これ何これ何これ。冗談のような、意味不明過ぎる光景に涼佑の頭の中は真っ白になって、もうそれしか言葉が出てこない。
「何、これ」
「動物霊だ。大方、餓死した奴らの集合体だろう。涼佑、早く交代しろ! 食われるぞ! こいつらは今、正気じゃない!」
巫女さんの鬼気迫る声を聞いても、涼佑は半ば夢の中にでもいるような心地で目の前の景色をじっと見ている。狸っぽい生物なのか、幽霊なのか最早よく分からないものが彼の頭目掛けて腕らしきものを振り下ろし――
そこまで考えて、涼佑の体は唐突に本能的に動いた。人間、本当に間近に死が迫ると本能で動くんだな、と頭の片隅で呑気に考えてしまう。そんなことを考えつつも、足を無理矢理動かして後方に下がったせいか、体のどこかを捻ったようだ。脇腹にじんわりと遅れて痛みが広がるが、そんなことに構ってはいられない。さっきまで彼が立っていた場所に小さいクレーターができている。その悪夢みたいな現象を目の当たりにして、改めて涼佑の背筋に寒いものが駆け抜けた。おい、これ、ドッキリでも何でも無いのかよと未だどこか夢見心地だった情感が一気に吹き飛ぶ。同時に、さっきまで一緒にいた友香里や直樹達のことを思い出して、慌てて周囲を見回し、彼らの姿を捜す。
「周りなんて気にしてる場合か! それに、あいつらならここにはいない!」
「どういうことだ!?」
「説明してる暇は無い! このままじゃ、お前死ぬぞ!」
『死ぬ』と聞かされてはなりふり構っていられないと、涼佑は狸の振られる腕を何とか間一髪で避けつつ、やけくそに「ああもう!」と自然と出た言葉を続ける。
「これで死んだら、呪ってやるからな!」
狸の動きに注意し、時折振ってくる腕をどうにかこうにか避けながらも、彼は頭の中でイメージを作り出す。何でもいいと言われていたので、この際だからトンネルにしようと頭の中に思い浮かべた。トンネルを通って、その向こうにいる巫女さんと入れ替わる。トンネルの向こうの彼女と入れ替わるイメージをした途端、不意に体が引っ張られる感覚がして、涼佑の体は宙へ放り出された。
いや、放り出されたのは体ではない。そうだったら、彼自身がトンネルの天井に付いている筈は無い。地面に立っていた涼佑の姿がみるみるうちに変わっていく。身長は彼より小さく、黒髪を一つに結ってお札で結んでいる。真っ白な着物と目の覚めるような緋袴。たすき掛けをして腰に提げた大振りな刀を抜いた巫女さんは、不敵に笑った。
「嗚呼、この感覚……久しぶりだな。現世に来たのは。さて、こいつは肩慣らしに丁度良い」
「細切れにしてやろう」と刀を振るう、その凶悪とも取れる巫女さんの笑みを最後に、涼佑の意識はぷつりと途絶えた。
どこかから涼佑の耳に動物の悲痛な鳴き声が届いた。きゅうん、きゅうんとまるで助けを呼んでいるような声に導かれるようにして、彼は目を覚ました。
目を開けると、そこはひどくカラフルな空間だった。一面緑や茶色、時々黄色と灰色、黒という具合で塗りたくられた空間の中に、ぽつんと穴があった。一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった彼はここに来る前のことを思い返してみるも、こんなところに来た覚えは全く無い。周囲を見回しても誰もいない。涼佑はたった一人で、小さな動物が入れるくらいの穴の前に放置されていた。
周囲に人影らしいものは無いので仕方なく、彼は地面に膝を付いて――上下左右色のみの空間なので、地面というものがあればの話だが――穴を観察してみる。暗い穴の上にはいつの間にか木の根っこが張っており、その表面には狸の絵が描いてある。この穴に何の意味があるのかは彼には全く分からない。けれど、この向こうに行けば、この変な空間から出られるような気がした涼佑は殆ど迷わずに穴を潜ろうと頭を入れた。
穴を通り抜けると、また同じような色に塗られた空間に今度は穴が三つ。それぞれには狐、兎、狸の絵が描いてある。そこでも狸の鳴き声に導かれて、彼は一番左の穴を選んだ。この穴の根っこにはお腹を鳴らしている狸の絵が描いてあった。その穴を潜ると、今度は真っ黒い空間に出て、扉が一つ。
扉の表面には、地面に倒れた狸の絵。その絵を見た瞬間、彼はここまでの穴の意味を理解した。これは、恐らくあの狸に実際に起こった出来事を指している。あのカラフルな空間には緑と茶色、時々黄色と灰色、黒が混じっていたのは、この狸が見ていた景色の色だろうか。だとすれば、今彼がいるこの真っ黒な空間は、死んだということなのではないか。
ぞっと涼佑は怖気を感じた。さっきまではあんなに色とりどりの空間だったのに、この空間は正に『何も無い』、空っぽそのものだからだ。何も無いこの先には何があるのか、気になる上にいつまでもこんなところに居たくないと思った彼は目を瞑り、思い切って扉を開けた。