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第3話 10月30日 翔吾

 伊藤翔吾は石川県小松市から金沢市へと戻って来ていた。両親は協議離婚で親権は父親が勝ち取った。現在は金沢市寺町のプラザ寺町というマンションに父親とふたり暮らしだ。部屋は2階だが高台に建つこのマンションからは犀川さいがわが見下ろせ金沢城址公園の桜を楽しむ事が出来た。


(あの辺りだよな)


 翔吾は両親の離婚問題が原因で小学校就学前から聖マリアンヌ愛児園で暮らしていた。その愛児園は金沢城址公園から程近い長町武家屋敷跡の一角に建っていた。


(10月30日)


 愛児園を退所したのは小学校5年生の10月31日、自分の誕生日だったからよく憶えている。その前日、仲の良かった女児と5年後の10月30日に会おうと約束を交わした。


(今日だよな)


 翔吾の記憶はおぼろげだがその女児は教会の礼拝堂に描かれた天使によく似ていた。それは白桃に良く似た丸い輪郭、桜色の頬で薄茶の巻髪だった。然し乍ら面差しが全くもって思い出せない。


(どんな目だっけなぁ、丸か、いや細かったか)


 名前はうろ覚えだが苗字が自分と同じだった事は憶えている。


(なんとかちゃん、なんだったけ)


 翔吾は別れの日の事は鮮明に憶えていた。目が真っ赤に腫れ上がる迄に泣き、最後はなかなか手が離せず親が無理矢理に2人の腕を引き離した。


「ドラマじゃねーんだよ」


 女児は女親に手を引かれて車に乗り込み、翔吾は父親の車の後部座席に放り込まれた。走り去る車のリアウィンドーにはその女児が貼り付いて号泣していた。


心の声A(なんであんなに泣いたんだろ)

心の声B(好きだったんでしょ?)


「わぁぁぁぁ!好きとか!初恋とか!やめてくれぇぇ!」


 高等学校1年生になった翔吾にとってその記憶は小っ恥ずかしく受け入れ難かった。そこで翔吾は別の理由を探すべく動物園の檻の中の熊の様に狭い部屋の中を右往左往した。


、苗字が同じ)


 そこで単純な翔吾はひとつの答えに辿り着いた。


(もしかしてあの子、俺のきょうだいじゃねぇの?)


 離婚したという母親の顔は憶えていない。翔吾は父親に自分の母親について一度尋ねた事があったが「おまえの母親の写真は全て処分した」とこれまでの人生からその存在を抹消していた。


(あの時の女が母ちゃんだとしたら)


 別れの日に女児を迎えに来た女性が自分の母親だとしたらその女児はとしか考えられなかった。ただその女児は大人びて見え自分の事を呼び捨てにしていた。姉かもしれない。


(姉ちゃん?姉ちゃんと会うとか恥ずかしすぎるだろ!)


 姉がその約束を憶えているとすれば愛児園に行っている筈だ。窓を開けると晩秋の冷たい風が部屋に吊るした風鈴を鳴らした。この寒さの中で弟が現れるのを待っているとしたら申し訳ない。然し乍ら、今更姉に会うのも気が引けた。


心の声A(い、行くか!)

心の声B(い、いや!おかしいだろ!)

心の声C(行かなくていいのか!)

心の声D(今更、姉ちゃんとか!)

心の声E(修道女シスターに問い合わせてみれば?)


 翔吾は携帯電話を握ると愛児園の電話番号を調べた。だが画面をタップする指が動かない、何故なら翔吾は色々とこじらせたな男子高校生だった。


「くっそ、そんなん恥ずかしくて聞けるかよ!」


 格好付けの威張りん坊、他人を見下し偉ぶって遠慮はないが実は寂しがりやの引っ込み思案。5年も会っていないシスターに電話を掛け「あ、そこに姉いますか?」等、口が裂けても聞けなかった。


(ーーーごめん!姉ちゃん!)


 翔吾は的外れな憶測で10月30日の再会の約束を反故にしてしまった。



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