朝霧の中から現れたロクスが一歩前へ進み、冷ややかな声で言った。
「彼女から君たちが今日出発することを聞いた。私も同行する。」
その声には抑えた感情と冷静さがにじみ出ていた。フィオラは得意げな笑みを浮かべ、軽快に口を開く。
「どうや?驚いたやろ?ロクスはんとはあんたら、昔からの付き合いやって聞いたで!」
カーライルは眉をわずかにひそめ、ロクスに鋭い視線を向けた。その瞳には深い疑念が刻まれ、容易には解けない緊張感が漂っていた。
ロクスはさらに一歩前に進み、低く静かな声で続けた。
「王命だ、カーライル。天剣の騎士団は各領からの来賓を護衛する任務を負っている。デュフォンマル領の御令嬢、アルマ様の護衛も王家からの正式な指示だ。」
その言葉には、騎士としての揺るぎない責任感が込められており、彼の琥珀色の瞳の奥には微かな揺らぎが見え隠れしていた。
「護衛対象の名簿が騎士団に届いたとき、アルマ様とお前の名前を見つけ、私はすぐに志願した。他の者に任せるわけにはいかなかった。」
ロクスの声には、忠誠心と共に個人的な決意が感じられた。それは、単なる任務ではなく、彼自身の過去と向き合い、守るべき者を守り抜くという強い意志だった。
さらにロクスは、カーライルを見据えながら言葉を続けた。
「この話を事前に伝えれば、お前が反発するのは分かっていた。どうせ勝手に王都を出て、私の同行を避けようとするだろう。だから今日まで伏せておいた。」
その言葉が放たれると、場に重い沈黙が広がった。カーライルは無言でロクスを睨み、その瞳には疑念と困惑が浮かんでいた。一方、ロクスはその視線を冷静に受け止め、微動だにしなかった。
やがて、ロクスは胸元に下げた銀色の円環のペンダントを握りしめ、低く穏やかな声で口を開いた。
「私が護衛に手を挙げた理由は単純だ。お前が今、そしてこの先どのような道を歩むのか、それをこの目で確かめる責務があるからだ。十年前に立ち止まったお前が、今再び動き出した。その歩みを見届ける義務が、私にはある。…円環に還った、彼女に代わってな…」
彼の声には、過去に抱えた後悔と、それを超えて前に進もうとする決意が入り混じっていた。琥珀色の瞳に静かな光が宿り、その言葉は長い年月の重みを伝えていた。
カーライルはしばらく何も言わず、ロクスの言葉を静かに受け止めていた。長い沈黙の中、彼の中に眠っていた記憶が目を覚ましたかのように、過去の日々が次々と思い出される。共に戦い、共に苦しみ、そして別れたあの日々――それらの情景が胸に蘇り、深く沈めていた感情が再び疼いた。
ロクスはその沈黙を破るように、冷静でありながらどこか鋭さを帯びた声で言葉を続けた。
「どんな言い訳を用意しようとも無駄だ。王命を辞退することはできんぞ、カーライル。それに加え、第三王子様からの言付けもある。『アルルマーニュ殿には特に慎重な護衛を。王都崩壊の混乱で逃亡した危険人物がいる。その中には、先日の事件を引き起こした監査官も含まれている。細心の注意を払うように』ということだ。」
アルマとカーライルは思わず視線を交わした。監査官――特級ポーションを暴走させ、第三王子を狙ったあの男が逃亡したと知り、二人の胸には冷たい不安が広がった。
ロクスは無言で書簡を差し出した。赤いマナで刻まれた文様が浮かび上がり、霧の中で淡く揺らめいている。その光は場の空気を引き締め、王家の威光を強く印象付けていた。
場には重苦しい緊張が漂い、言葉を交わさなくても三人の間に伝わるものがあった。その沈黙は、過去と未来が交錯する時間を映し出すかのように、霧の中に静かに佇んでいた。
一方で、アルマの心には別の感情が湧き上がっていた。「第三王子からの直々の言付け」という言葉が繰り返し胸に響き、婚儀の申し出が思い出されるたび、彼女の頬が赤らみ、視線が揺れる。その高まりを抑えようとするものの、表情に戸惑いと緊張がにじみ出ていた。
三人はそれぞれの思いを抱え、朝霧に包まれた道の上で言葉を失い、立ち尽くしていた。互いに視線を交わしても、その奥にある心の内を見通すことはできず、霧の中に未来がかすんでいるようだった。