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(71)朝霧の旅立ち

冒険者酒場での盛大な打ち上げから二日が経ち、死霊の軍勢襲来から三日目の朝。王都は冷たく重い朝霧に包まれ、城壁や街並みが霧の中にぼんやりと浮かび上がっていた。曖昧に溶けるその輪郭は、まるで現実と夢幻の狭間にあるかのようだ。低く垂れ込めた暗雲が街全体を覆い、静寂の中にわずかな重苦しさを滲ませている。


戦いの爪痕は街の至る所に残り、崩れた建物や剣戟の跡が、惨劇の記憶を物語っていた。王都はまだその傷を癒せずにいる。


カーライルとアルマは、霧に包まれた重厚な門の前に立っていた。背後には荒廃した王都が広がり、目の前には未知の道が続いている。カーライルは無言で剣の柄を握り、その冷たい感触を確かめながら固い決意を表情に浮かべていたが、その奥には戦いの疲労と虚無感が影を落としていた。


隣に立つアルマは、ふとカーライルの横顔を見上げた。彼女の瞳には不安が微かに揺れるものの、前へ進もうとする意志の強さが感じられた。そんな二人を見守るフィオラは、一歩前に出ると、懐から小さな護符を取り出し、カーライルに差し出した。


「これ、餞別や。急いで作った即興の魔具やけど、きっと役に立つはずや。」


護符は冷たい朝の光に照らされ、柔らかな輝きを放ちながら静かに揺れていた。フィオラの声には、仲間を思う気持ちがしっかりと込められている。


「ゴーストと縁がありすぎる言うてたやろ?これやったら、闇属性の何かに襲われても守ってくれるはずや。前の魔具は近付いたら教えてくれるだけやったけど、それやとあんちゃんが対応できへん時もあるやろ思てな。」


彼女の言葉には、仲間を守るための配慮と優しさが滲んでいた。カーライルは無言で護符を受け取り、じっとその光を見つめた。護符の輝きに触れるように、その記憶にゴーストたちとの戦いが蘇り、一瞬表情に影を落とす。


「…もうゴーストは勘弁してほしいもんだな。」


カーライルは苦笑しながらも、その笑みに戦いに疲れた本音が覗いた。その様子を見たフィオラは軽く笑い、彼の背中をポンと叩いた。


「ほな、せいぜい大事に使いぃな!それ壊したら次はもっと高くつくで!」


カーライルは肩を軽くすくめ、「ったく…お前は商売上手だな」と呟いた。その口調にはわずかな苦笑が混じっていたが、その奥には安堵の色が見え隠れしていた。そんな彼の様子を横目で見ていたアルマは、小さく微笑みながら霧の向こうに目を向けた。


フィオラは静かにアルマの方へ向き直り、小さな花を模した指輪を差し出した。指輪のクリスタルは朝の柔らかな光を受けて、控えめながらも神秘的な輝きを放っている。


「これな、ミラーゴーレムのクリスタルで作ったんや。魔法を跳ね返す力がある指輪やで。花びらの数が八枚やから、跳ね返せるのも八回までやけどな。強い魔法やと、一気に散ってもうかもしれん。気ぃつけて使いな。」


その言葉に込められた想いは、まっすぐにアルマに伝わった。フィオラの優しい眼差しと穏やかな声色には、仲間を守りたいという願いと、アルマへの深い信頼が滲んでいる。


アルマは静かに頷きながら指輪を受け取り、花びらをそっと指でなぞった。「ありがとう、フィオラ。本当にきれいな指輪ね…大切に使うわ。」彼女の声には感謝と友情への深い思いが込められていた。


フィオラは微笑みを浮かべながら言葉を続けた。「ただな、身に付けてるだけやと、ただのアクセサリーで終わりや。使う前に自分のマナを込めることで、反射の仕組みが起動するんや。間違って自分の魔法を跳ね返したら困るやろ?せやから、安心して使えるように設計してるんや。」


アルマは納得したように微笑むと、「気配りが流石ね、フィオラ。」と応じた。その一言に、フィオラは照れくさそうに肩をすくめながらも満足げに笑みを浮かべた。


「ウチに任せとき!次会うときには、もっとすごい魔具を作ったるからな!」明るく力強い言葉が、場に漂っていた別れの寂しさを吹き飛ばし、和やかな雰囲気を取り戻す。


アルマが指輪を見つめながら微笑むと、フィオラは一呼吸置いて、少し真剣な表情で皆を見渡した。


「ところで、もう一つ伝えたいことがあるねん。」


その言葉に、冷たい朝の空気が緊張感を孕んだように感じられた。その静寂を切り裂くように、霧の向こうから一人の男が姿を現す。青い制服に身を包んだ彼は、肩まで流れる灰色の髪を風に揺らしながら、ゆっくりと歩みを進めてくる。その鋭い琥珀色の瞳は、場をまっすぐに見据え、一瞬で空気を凍りつかせるような威圧感を放っていた。


彼の制服は袖や襟に金糸の精緻な刺繍が施され、胸元には天剣の騎士団を象徴する盾の紋様があしらわれている。その刺繍は朝の光を受けてわずかに輝き、彼の威厳を際立たせていた。腰に下げた剣の鞘には彫り込まれた紋章があり、その重厚な意匠は圧倒的な存在感を放つ。胸元に光る銀色の円環を模したペンダントは、冷徹な雰囲気を漂わせながらも、彼の内に秘められた揺るぎない信念を象徴しているかのようだった。


男の片目には眼帯がかけられ、残された鋭い瞳がカーライルを捉える。その眼差しは冷静さの中に深い洞察を宿し、まるで全てを見透かすようだ。カーライルの赤いコートと彼の青い制服は、場の中央で鮮烈な対比を成し、さらに緊張感を高めていた。


「ロクス…どうしてここに?」


カーライルの声には驚きと戸惑いが混じり、その揺らぎが霧の中の静けさにくっきりと響いた。彼の言葉が朝の冷気に溶け込むように、重く静かな余韻を残していた。

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