その夜、宿屋の部屋は柔らかな灯火に包まれ、静けさと温かみが漂っていた。窓の外には夜の闇が広がり、カーテンがわずかに揺れて穏やかな風を感じさせる。カーライル、アルマ、そしてフィオラの三人は、これからの行動について話していたが、会話は次第に途切れがちになり、室内に静寂が訪れていた。その沈黙を破るように、フィオラがゆっくりと口を開いた。
「…ウチ、王都に残って復興を手伝うことに決めたんや。」
その言葉は、静かな部屋に波紋を広げるように響き、カーライルとアルマの視線がフィオラに集まった。普段の快活な雰囲気とは異なり、彼女の瞳には揺れ動く葛藤と深い影が漂っていた。
「ロクスはんも、ウチが悪くないって言うてくれたけど…なんや、どうしても納得できへんのよ。」
フィオラの声には、心の奥底に沈んだ迷いと罪悪感がにじんでいた。肩をすくめながら重々しく息を吐く彼女の様子に、カーライルとアルマは言葉を失った。
「罪悪感も消えへん…」彼女は無理に笑顔を作りながら呟いたが、その笑顔にはどこか影が差していた。
「…まあ、王都に残って中級ダンジョンに潜って素材を集めたり、新しい魔具を開発するのも悪くないかなって思ってるんやけどな!」
明るく装う彼女の言葉とは裏腹に、その微笑みが作り物であることは明白だった。カーライルとアルマには、フィオラが自らを責め続けているのが痛いほど伝わってきた。
カーライルは無言でフィオラを見つめた。その眼差しには、彼女の苦しみを理解しようとする静かな思いやりが込められていた。何も言わず、ただその決意を受け止めることで、彼女を支えようとしているようだった。
一方、アルマもフィオラの横顔を見つめながら、その重荷を敏感に感じ取っていた。彼女もまた何かを言おうとしたが、適切な言葉が見つからず、ただそばにいることを選んだ。
「でもな、これもウチなりのけじめやと思うねん。それでええんや。」
フィオラの声には、選び取った道への強い覚悟が滲んでいた。その言葉を受けて、アルマは少し明るい声で冗談を交えながら応じた。
「また、いつでも私の領地に遊びに来てね。安全な初級ダンジョンもあるし、息抜きにはちょうどいいわよ!」
その軽やかな言葉にフィオラは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに和らいだ表情を浮かべ、穏やかな微笑みを返した。
「ふふ、そやな。もうあの厄介なミラーゴーレムも出てけえへんやろしな。」
その笑顔は、先ほどまでの緊張を少しだけ解きほぐし、彼女の心にかかっていた重荷がわずかに軽くなったように見えた。
そのやり取りを静かに見守っていたカーライルは、じっとフィオラを見つめ、低く落ち着いた声で感謝の言葉を口にした。
「世話になったな、フィオラ。」
カーライルの声は静かで落ち着いていたが、その響きには深い感謝と敬意が込められていた。その一言は、言葉以上の重みを持ち、フィオラの心に静かに染み込んだ。彼女は一瞬照れたように肩をすくめるが、その仕草には、自分の努力が認められたことへの照れと喜びが感じられた。
部屋の中に短い沈黙が広がり、穏やかな灯火の揺らめきがその静けさを包み込んだ。しかし、すぐにフィオラが軽快な声でその静寂を吹き飛ばした。
「…よっしゃ!これでお別れムードは終わりや!ほな、打ち上げやろ!冒険者酒場行って盛大に飲んだくれようや!」
その明るい声は、部屋の重くなりかけた空気を一気に跳ね飛ばし、カーライルとアルマの顔に自然と笑みを浮かばせた。フィオラの提案には、過去を乗り越え、新たな未来へと踏み出そうとする彼女の強い意志が感じられた。
三人は夜の静けさに包まれた街を抜け、酒場へ向かった。荒廃した街の中で、冒険者たちが集う酒場だけは明るく灯りが輝き、外まで笑い声が響いていた。中へ入ると、熱気が三人を包み込み、冒険者たちが酒を酌み交わしながら戦いの話や復興への期待を語り合う賑やかな光景が広がっていた。
フィオラは周囲の熱気に臆することなくカウンターへと進み、晴れやかな声を響かせた。
「初級の闇酒、ボトルで頼むわ!闇なんてウチが全部飲み干したる!」
その一言に周囲の冒険者たちは一斉に笑い声を上げ、「いいぞ、ねえちゃん!」と歓声を上げた。フィオラの明るさと力強さが場の空気をさらに盛り上げていく。
彼女はその勢いのままカーライルを指差し、笑いながら声を張り上げた。
「ほら、こっちには愚痴聞きのプロがおるで!三枚の銅貨でどんな話でも聞いてくれる名人や!」
突然の紹介に、カーライルは軽く眉を上げたが、すぐに肩をすくめて苦笑を浮かべた。そして、飄々とした態度で応じる。
「カーライルだ。デュフォンマル領で愚痴聞きやってる。銅貨三枚で愚痴を置いてけ。値切るのはなしだ。」
その言葉に冒険者たちは再び笑い声を上げ、カーライルの周りに集まり始めた。誰もが酒を片手に自慢話や愚痴を持ち寄り、酒場の熱気はさらに高まっていく。
その光景を見守るアルマの顔には、自然と穏やかな笑みが浮かんでいた。フィオラの陽気さとカーライルの飄々とした姿が作り出す温かな雰囲気が、彼女の心を軽くし、さっきまでの緊張を和らげていた。
この夜、酒場はただの飲み交わす場ではなく、冒険者たちが新たな希望を見出し、仲間との絆を深める特別な場所となった。フィオラの笑い声とカーライルの軽妙なやり取りは、そこにいる全員を少しだけ明るい未来へと導いているようだった。