フィオラの告白が一区切りついた瞬間、ロクスの表情にわずかな変化が現れた。それまでじっと耳を傾けていた彼の瞳が、一瞬だけ遠くを見つめるように焦点を失い、心の奥深くに眠っていた記憶が静かに呼び起こされるようだった。フィオラの言葉をきっかけに、ロクスもまた、自らが抱える過去と向き合うべき時が来たことを悟った。その眉間に微かに寄る皺と、瞳の奥で揺らめく影が、彼の内心の葛藤を物語っていた。
短い沈黙を挟んだ後、ロクスは穏やかながらも力強い口調で切り出した。
「実は、私も聞きたいことがある。」
その声には、これまで語ることを避けてきた真実を切り出そうとする重みが込められていた。低く落ち着いた響きの中に、慎重な選択と決意がにじんでいた。フィオラはその言葉に少し驚いたが、すぐに真剣な眼差しをロクスに向けた。二人の視線が交錯し、場の空気がさらに静まり返った。
「あいつ──カーライルは、今どんな様子なんだ?」
ロクスの言葉は、過去の記憶に触れるかのような柔らかな響きを帯びていた。「君が助けを求めたということは、彼は君にとって大切な存在なんだろう。今の彼がどんな状態なのか、君から聞きたい。」
フィオラは一瞬言葉を詰まらせたが、カーライルとの最近のやり取りを思い出しながら、いつもの調子を装って答えた。
「あんちゃんはな、ウチに恩返しせなあかん人なんや。あのダンジョンで絶体絶命の時、ウチが助けてん。それでや、十倍返ししてもらわんと割に合わへんやろ?何も返さんと死なれてもうたら困るから、救助要請出したんや。」
フ彼女は笑いながら冗談めかして答えたが、その言葉の裏には、カーライルに対する感謝と信頼が透けて見えた。その軽やかな言葉の中に隠された真意を、ロクスは見逃さなかった。
「それに、なんやかんや頭が切れるやん。あんなん、いざって時に心強いに決まっとる。」
フィオラの軽い言葉が続く中、ロクスの表情は少しずつ変わっていった。彼の瞳には過去の記憶が浮かび上がり、十年前のカーライルとの出来事が蘇っていた。
「そうか…」ロクスは低い声でつぶやいた。「あいつは確か、あの時『もう二度とダンジョンには潜らない』と言っていたはずだ。それが…動き出しているとはな。」
その言葉には驚きと感慨が入り混じり、彼の胸中に複雑な感情が広がっていた。過去に絶望と無力感に苛まれていたカーライルが、今、再び動き始めているという事実が、ロクスの中で大きな波紋を呼んでいた。
フィオラは彼の反応を見て、首を傾げながら軽く尋ねた。「ロクスはん、あんちゃんのこと知っとったん?」
フィオラの何気ない問いが、静かな時間を一瞬止めたように感じられた。ロクスは瞳を細め、遠い記憶を辿るように目を伏せ、しばしの沈黙の後、静かな声で答えた。
「十年前だ。私たちは、ある出来事をきっかけに袂を分かった。」
その声は低く、深い思索を含んでいた。ロクスの言葉には、過去への未練と、それに向き合ってきた年月の重みがにじんでいた。彼の表情に浮かぶ微かな影が、その言葉以上に多くを語っていた。
「ずっと気にかけてはいたが、もう会うことはないと思っていた。それを、君から彼のことを聞ける日が来るとはな。」
ロクスは視線を落とし、遠い過去を見つめるように静かに息をついた。その言葉の奥には、単なる旧友への思いを超えた深い情が込められていた。過去にどんな苦い記憶があろうとも、彼にとってカーライルは、今も心のどこかで繋がり続ける存在だった。
その時、二人のやり取りを切り裂くように、広場に響く重々しい声が空気を震わせた。
「団員全員に告ぐ!王妃様から復興作業と来賓対応に関する重要な伝達がある。直ちに広場に集合せよ!」
その力強い声は風を切るように広場全体に響き渡り、瞬く間に厳かな緊張感を生み出した。周囲では騎士たちが甲冑の音を響かせながら次々に集まり、広場の静寂を破る音が次第に大きくなっていった。
ロクスはその様子を一瞥し、重い息をついた。彼の表情には一瞬、疲れと過去への想いが浮かんだが、すぐに引き締まった顔に戻り、フィオラに向き直った。
「団長からの召集だ。どうやら、今日はここまでのようだ。」
ロクスは静かに立ち上がり、フィオラに手を差し出した。その手には、短いながらも共有した時間への感謝と、これからも支え合うという決意が込められているようだった。
フィオラはその手をしっかりと握り返し、快活な笑顔を浮かべた。
「こちらこそ、ロクスはん!お疲れさんやで!これからもよろしくな!」
その言葉には軽やかさの中に、しっかりとした友情の絆が感じられた。別れ際、ロクスはふと真剣な顔つきに戻り、警告を付け加えた。
「一つだけ忠告しておこう。王都やその周辺では、夜に女性一人で出歩くのは避けたほうがいい。この混乱に乗じて魔法刑務所に収容されていた者たちが逃亡している。未だ行方不明の者が多い。次は、救助が間に合わないかもしれない。」
フィオラは一瞬、考え込むような表情を浮かべたが、すぐに明るい声で応えた。
「おおきに、ロクスはん!そんなん言われたら、さすがのウチも夜遊びは控えるわ!気ぃつけるで!」
ロクスはわずかに口元を緩め、静かに頷いた。その瞬間、二人の間には新たな絆が芽生えた。それは、戦場での仲間意識を超えた信頼と共闘の証だった。
騒がしさが広がる広場の中、ロクスは人波へと消えていったが、フィオラの胸には確かな決意と信頼が残っていた。