天剣の騎士から名を呼ばれた瞬間、カーライルは呆然と立ち尽くした。その声が自分を指していると理解するまで、数瞬を要した。そして、戦場の空気が突如として変わり、異様な重圧が辺りを包み込んだ。夜の闇にさらに濃密な暗黒が重なり、息をするたび胸を締め付けるような圧迫感が全身を支配する。空気は冷たく脈動し、大地そのものが脅威を放つ生き物のように感じられた。
突然、地面が低く唸りを上げ、足元から不穏な震動が這い上がる。その音もなく現れたのは漆黒の円柱だった。夜空を引き裂くように天へそびえ立つその姿は、光を拒絶し、周囲の景色を歪めるほどの存在感を放っていた。目に映るだけで、見る者の心に底知れぬ恐怖を植え付ける。円柱は静止しているようで、周囲の空間をわずかに揺らめかせ、現実そのものが壊れていくかのような錯覚を引き起こした。
王都の各所では次々と同じ黒い柱が立ち上がる。五本の柱が夜空に刻む影は、不吉な五芒星を描くように配置され、光すら届かぬ深い闇が全域を覆い始める。柱の存在だけで戦場全体が恐怖に飲み込まれ、冒険者や兵士たちの士気を冷たく打ち砕いた。
同じ時刻、王城では第三王子の盤面にも異変が起きていた。赤いマナで描かれていた王都に、突如として五つの黒い点が浮かび上がる。その黒点は単なる印ではなく、不吉な脈動と冷たい光を放つ存在そのものだった。五つの点は、結びつければ巨大な五芒星を形作るかのような形状を浮かび上がらせ、不吉さを一層際立たせる。
そして、五本の柱のうち一つが、カーライル、アルマ、天剣の騎士の目の前にそびえ立った。柱は静寂の中で音もなく揺らぎ、暗黒の奥底から何かが生まれようとしているような、不気味な気配を漂わせている。そして、その闇の中から姿を現したのは── デスサイズ。それは、まさに死神そのものとしか言いようのない姿であり、その登場は戦場に絶望そのものをもたらした。
デスサイズの体は異形であり、瘦せ細った骨のような体躯は闇の中で不気味に輝く漆黒のマントに包まれている。そのマントは、闇そのもののように光を呑み込み、風もない戦場で絶えず揺らめいていた。その動きは流動的で、見る者の視界を歪める。輪郭は曖昧で、視線を向けてもその存在を完全に捉えることができない。存在するというだけで恐怖を増幅させるその姿は、目に見える災厄そのものだった。
頭部は骸骨を思わせる冷たく無機質な造形をしているが、その眼窩には底知れぬ闇が宿る。そこから漂う冷たい死の気配は、視線を向ける者の心に深い戦慄を刻みつけた。その眼差しに囚われた者は、血が凍るような感覚に襲われ、逃れられぬ死の運命を直感させられる。
だが、それ以上に異様な威圧感を放っていたのは、デスサイズの手に握られた巨大な大鎌であった。その刃は闇そのものから生まれたように鈍く光りながらも、周囲の光を吸収してしまう。刃先の鋭さは異常で、冷たい威圧感と共に空間そのものを切り裂くかのような迫力を纏っている。その柄の長さは尋常ではなく、デスサイズがそれを振るうだけで冷たい風が戦場に吹き荒れ、その風には命を奪う凍てつくような冷たさが含まれていた。
カーライルはその姿を見上げ、ようやく声を振り絞る。
「…デスサイズ…!」
カーライルはその名を絞り出すように呟いた。その名が響いた瞬間、戦場の空気はさらに冷たく張り詰めた。王都の冒険者たちの間で語り継がれる恐怖の存在。幾度も近郊のダンジョンで目撃され、多くの命を奪った死神が今、目の前に降臨していた。
デスサイズは冷静にその巨大な大鎌を振り上げた。その動きは音もなく、静かな迫力を持ちながら、天剣の騎士を狙って一気に振り下ろされた。その一撃には容赦もなく、逃れる術は存在しないように思えた。騎士は本能的に身を翻し回避を試みたものの、刃先が兜を掠め、鈍い金属音が戦場に響き渡る。兜は夜空を舞い、地面に叩きつけられて止まった。
兜が外れると、天剣の騎士の素顔が明らかになった。冷たい夜風が額を撫で、隻眼の琥珀色の瞳が暗闇の中で静かに光を放つ。その目には長年の戦いの痕跡と揺るぎない決意が刻まれており、灰色の髪が夜風に揺れるたび、その精悍な表情がいっそう際立った。
その瞬間、カーライルの胸に封じ込められていた記憶が一気に溢れ出した。過去の断片が鮮やかに蘇り、全てが繋がる。胸の奥から抑えきれない思いと共に名が漏れる。
「…ロクス…!」
その名を口にした瞬間、カーライルは理解した。忘れ去ろうとしていた過去が、今、無情にも現実として突きつけられたのだ。逃げ続けていた運命に、ついに正面から向き合わざるを得ない瞬間が訪れていた。