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(1)少女の焦燥と霊草

「これが、私の切り札──」


その言葉が耳に届いた瞬間、嬢ちゃんの姿がゆっくりと変わり始めた。酒場で無邪気に愚痴をこぼしていた彼女の面影は、もはやどこにもない。


まず目を引いたのは彼女の金髪だ。淡い光を纏いながら、冷たく輝く銀色へと変わっていく。まるで月光そのものが彼女から放たれているようだ。銀髪は風に揺れ、闇に光の筋を描いている。その姿には少女らしい柔らかさは微塵も残っていなかった。


次に変わったのは瞳。青い瞳がゆっくりと赤に染まっていく。ただの赤ではない。炎が宿ったようなその瞳は、内に圧倒的な力と確信を秘めている。そこには迷いも穏やかさもなく、鋭い意志だけが宿っていた。その視線は鋭く、一瞬たりとも逸らせなかった。


銀髪と赤い瞳。その姿を目にし、俺は思わず息を飲んだ。彼女の周囲の空気までもが変わり、かつての無垢さや弱さは跡形もなく消えている。そこには力を手にした者の威厳と覚悟が漂っていた。


ただ立っているだけで、彼女はその場を支配しているようだった。銀髪が揺れるたびに冷たい輝きが闇を裂き、赤い瞳が光るたびに彼女の秘めた力が広がっていくように感じられる。


「さあ…始めましょうか。」


低く響くその声が静寂を切り裂く。まるで夜そのものが彼女の代弁者となったかのようなその声が、これから始まる戦いを告げていた。俺は無意識に拳を握りしめる。彼女の放つ圧倒的な力に、背筋がぞくりと震えた。もう、あの頃の嬢ちゃんではない──目の前にいるのは、力を覚醒させた新たな存在だった。


時は少し遡る。

あれは墓地のゴースト退治から、一週間ほどが経った時のことだっただろうか─



冒険者たちの酒場は今夜も活気に満ちていた。ダンジョン帰りの冒険者たちが戦果を誇り、失敗を笑い飛ばしながら酒を酌み交わす。笑い声と乾杯の音、楽器の調べが混ざり合い、古びた酒場を揺るがすほどの賑わいを生んでいた。


そんな喧騒を遠巻きに見守るように、カーライルはカウンターの隅で静かに腰を下ろしていた。ジョッキを片手に冷えたビールを喉に流し込みながら、ぼんやりと目の前の光景を眺めている。カウンターの木目に灯りが揺れ、ジョッキの表面で淡く光っていた。


話題は墓地での出来事、そしてその中心にいたアルマに及んでいた。


「領主様の娘さん、墓地のゴースト退治ですごい魔法を使ったらしいな。まるで光の女神様が降りてきたみたいだって、街外れの連中が騒いでたよ。」マスターが感心したように呟きながら、手際よくグラスを拭いている。


その言葉に、カーライルの胸に記憶の波が押し寄せるが、表情には出さなかった。ただジョッキの縁を指でなぞりながら、どこか遠くを見つめる。


「墓地からゴーストも出なくなったらしいな。魔法使いの派遣要請も減って街の予算が助かるって話だよ。」マスターは軽く続け、空になったジョッキを次々と片付けていく。その手際が酒場の日常そのものを象徴しているようだった。


カーライルは苦笑を浮かべ、ジョッキをぐっと飲み干す。頭をよぎるのはアルマの壮大な魔法の光景だが、それ以上に疲労感が重く心に残っていた。


そのとき、店のドアが勢いよく開き、冷たい夜風が酒場を駆け抜けた。ざわめきが一瞬で止まり、全員の視線が入り口に向かう。


月明かりに照らされたアルマが立っていた。その金髪は闇を裂くように輝き、碧眼には怒りと焦りの色が宿っている。小柄な体つきにもかかわらず、その立ち姿には堂々とした威圧感が漂っていた。


「カーライル!また私の愚痴を聞いてよ!」アルマはまっすぐカウンターへ向かい、銅貨を勢いよく放った。


銅貨はカラカラと転がり、カーライルの前で静かに止まる。彼はそれを指で軽く転がしながら、わずかに眉を上げて呆れたように問いかけた。


「またかよ、嬢ちゃん。今度は何だ?」


アルマは鋭い声で応えた。その一言が酒場の喧騒を一瞬で切り裂く。「ポーションの材料になる霊草が、全然工房に届いてないの!」


カーライルの脳裏に、冒険者や工房の職人たちの愚痴が蘇る。霊草――豊富なマナを宿しながらも、扱いが難しく、調合を失敗すれば爆発する厄介な素材だ。


「このままだとポーションが作れなくなって、冒険者たちが買えなくなるわ!」アルマの切迫した声が酒場のざわめきに負けない力強さで響いた。


カーライルは静かにジョッキを置き、アルマを見つめる。「ポーションなしでダンジョンに潜るなんて自殺行為だな。確かに命綱みたいなもんだ。」


「そうよ!ポーションがなければ、冒険者だけじゃない。この街も衰退していくわ!」アルマの熱を帯びた訴えに、酒場の冒険者たちもちらりと視線を送る。


カーライルは短く息を吐き、黙り込んだ。霊草の供給が滞れば、街全体に影響が及ぶのは明らかだ。


「工房で働いてる友達がね、材料が届かなくて、このままだと仕事がなくなっちゃうって…」アルマの焦りと切迫した表情には、嘘偽りのない本気が見えた。


カーライルはしばらく銅貨を見つめ、静かに言葉を絞り出した。「悪いが、今回の話は愚痴を聞くだけにしておこう。今の俺に、銀貨を積まれても有益なアドバイスは出せそうにない。」


冷たい一言に、アルマの表情が一変する。


「…どうして?」声はかすかに震え、普段の強気な彼女からは想像もつかない無防備さが垣間見えた。その瞳には、失望というより期待を裏切られた色が宿っている。


カーライルは肩を落とし、アルマをまっすぐ見据えた。その声は落ち着いていたが、優しさを含んでいた。「嬢ちゃんの情熱は認める。でも、焦りだけでどうにかなるもんじゃない。」


「焦ってなんかない!」アルマは即座に反論したが、その声には揺らぎがあった。


カーライルは銅貨を指先で回しながら淡々と言葉を続けた。「俺はただの愚痴聞き屋で、魔法使いでも領主でもない。助けたい気持ちはあっても、できることには限界がある。」


アルマは一瞬言葉を失ったが、すぐに力を振り絞るように言った。「そんなの知ってる!でも、だからこそ…だからこそ…!」


その言葉に、カーライルはわずかに眉をひそめた。彼女が自分を単なる『愚痴聞き屋』ではなく頼りにしていることが、彼の胸に複雑な感情をもたらした。


静かに息を吐き、カーライルはジョッキを置いて立ち上がる。「分かったよ。俺にできる範囲で手伝ってやる。ただし、無茶だけはするな。」


その一言に、アルマの表情が明るさを取り戻す。「ありがとう!」


カーライルは苦笑を浮かべた。「礼を言うのはまだ早い。まずは情報を集めろ。それを元に動けばいい。」


アルマは力強く頷き、その瞳には再び燃えるような意志が宿っていた。「わかったわ。私も全力で調べてみる!」


彼女の勢いに押されるように、カーライルも軽く頷く。彼女が酒場を飛び出して行く姿を見送りながら、自分の胸に小さな変化が芽生えているのを感じていた。


扉が閉まると、酒場の喧騒が戻る。カーライルは深く息をつき、ジョッキを手に取った。その冷たい感触が現実に引き戻すようだった。


「霊草か…原因は分からんが、調べてみる価値はあるかもな。」小さく呟く彼の瞳には、これまでになく確かな光が宿り始めていた。

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