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(2)歩み出す二人

カーライルはマスターの頼みに渋々頷いたものの、「なぜ自分が」という思いは拭えなかった。深いため息をつき、酒場の重い扉を押し開けると、冷たい夜風が肩を刺す。彼は小さく呟いた。


「嬢ちゃん、一体どこまで行ったんだ…」


怒りに任せて飛び出したアルマの姿が頭をよぎる。彼女がそのまま引き下がるとは思えない。周囲を見回すが、その金色の髪は見当たらない。


(墓地に向かった可能性が高いな…ゴーストの話にあれだけ執着してたんだ。)


考えをまとめると、彼は歩き出した。しかし冷え込む夜道を進む中、次第に焦燥感が胸をよぎる。あの若い少女が何をしでかすか分からない。


「金髪の少女を見なかったか?」


通行人に声をかけるが、驚いた顔や無視ばかりだ。苛立つ中、ようやく一人の中年男性が立ち止まり答えた。


「ああ、見たぞ。小柄な金髪の子だろう?向こうの墓地に行ってた。」


「墓地か…予想通りだな。」短く呟き、カーライルは足早にその方向へ向かった。


だが進むうちに不安が頭をもたげる。(準備もなしに突っ込んでるとしたら厄介だ…)考えた末、彼は足を止め、近くの魔石屋へ向かった。幸運にも店はまだ開いている。


「銅貨二枚で買える魔石を頼む。」


店主は無言で小さな漆黒の魔石を差し出す。代金を置き、礼もそこそこに店を後にした。手にした魔石を握りしめ、カーライルは再び墓地へ向かう。


街外れの墓地は霧と静寂に包まれていた。月光が厚い雲に隠れ、古びた墓石が不気味に影を落とす。冷たい風が木々を揺らし、その擦れる音が耳に刺さる。


(ここにいるはずだ…)


慎重に進む中、霧の奥で微かな光が反射しているのを見つけた。胸が高鳴る――あそこだ。急ぎ向かうと、黒いローブを纏ったアルマの姿が浮かび上がる。金色の髪がわずかに揺れ、その背中には儚さと圧倒的な存在感が漂っていた。


アルマは静かに詠唱を始めていた。その声は静寂に溶けつつも、重厚な力を感じさせる。カーライルは彼女を見つめ、低く呟いた。


「やっぱりここか…」


カーライルは立ち止まり、短く息をつく。光景に一瞬見入ったが、浮かべたのは苦笑だった。目の前の少女の動きに注意を払う。


その瞬間、アルマの手元に白い光が現れた。光は静かに広がり、墓地全体を包み込むように穢れを払っていく。冷たさと温もりを併せ持つその輝きが、周囲の闇を押し返していく。


アルマの金色の髪が光に包まれ揺れ、詠唱は徐々に力強さを増していく。彼女の言葉が空気を震わせるたび、墓地全体が緊張感に満たされていく。


「天から舞い降りる清き光よ、聖なる光の矢となり、大地を照らし、すべての邪悪を打ち払え!聖光雨ホーリーレイン!」


アルマの声が響いた瞬間、空に裂け目が現れ、無数の白い光の矢が降り注ぐ。墓地を覆う闇を一掃し、潜んでいたゴーストたちは次々と消え去っていった。光は墓地全体を力強く包み、その場に浄化の余韻を残した。


カーライルはその光景を無言で見つめていた。動じることなく冷静に状況を見極めながらも、その瞳には複雑な思いが浮かんでいる。


「上級の光属性魔法か…」彼は低く呟く。「見事だが、これだけじゃ根本的な解決にはならん。ゴーストはまた現れるだろう。」


その言葉にアルマは驚き、振り返った。怒りと困惑が混じった瞳で彼を睨むが、すぐに冷静さを取り戻し鋭い口調で問いかける。


「さっきの愚痴聞き屋ね。助言はしない主義だったんじゃないの?」


カーライルは肩をすくめ、淡々と答えた。「助言じゃない。ただの独り言だ。」

視線を再び墓地に戻しながら続ける。「そもそも、墓場のゴーストの原因は土葬された遺体に残るマナだ。」


アルマは黙って彼の説明を聞く。彼の声は冷静だが、鋭さがある。


「この地では古くから土葬が文化だ。ゴーストを完全に防ぐには遺体に残るマナを解放して火葬するしかないが、それを簡単に受け入れられるとは思えない。」


アルマは驚いた表情を浮かべた。「そんなの、どうにもならないじゃない。」


カーライルは小さくため息をつき、ポケットから黒い魔石を取り出す。それをアルマに見せながら静かに言った。


「根本を変えられないなら、別の方法を考えるしかない。この石を使えばゴーストの発生を一時的に抑えられる。」


アルマは魔石をじっと見つめた。その表情には疑念と期待が入り混じる。「それで、本当に抑えられるの?」


「使い方次第だ。」カーライルは薄く笑みを浮かべた。「ただし、銀貨一枚分の価値はある。それをどう受け取るかは嬢ちゃん次第だな。」


アルマは一瞬顔をしかめたが、短く頷き、「…わかったわ。後で払うわよ。約束する」と静かに答えた。


カーライルは笑い、魔石を差し出した。「よし、ならこれに光属性のマナを込めてみろ。お前さんならできるだろ?」


アルマは少し不満げだったが、黙って魔石を受け取ると深呼吸をし、魔力を集中させた。純白の光が魔石を包み込み、その輝きが強さを増していく。


「十分だ。」カーライルは言うと、コートから使い込まれた小さなハンマーを取り出し、魔石を観察して最も脆そうな箇所に一撃を加えた。軽快な音と共に魔石は砕け、細かな粒子となる。


「これで準備完了だ。」


カーライルは光属性の魔石の破片を手に墓地のあちこちに撒いていく。その動きは無駄がなく、慎重さと経験が滲んでいた。


「ゴーストってのは地中から湧いてくる。」カーライルの低い声が静寂を切り裂いた。「こうして地表に光属性のマナを帯びた破片を撒けば、やつらの出現を防げる。」


細かな破片が夜風に乗って散らばる様子は、どこか儀式めいた厳かさを帯びていた。墓地を包んでいた不気味な雰囲気が次第に薄れ、穏やかな静けさが広がっていく。


「年に一度くらいマナを補充すれば維持できる。これなら、いちいち魔法使いを呼ばずに済むだろう。」


アルマは驚きと感心の入り混じった表情でつぶやいた。「すごい…こんな方法があるなんて。」


碧眼は柔らかに輝き、地面に散らされた魔石の破片に釘付けになっている。淡い光が闇夜に浮かぶ様子に目を奪われたまま、しばらく沈黙していたが、ふと微笑みを浮かべて顔を上げた。


「あなた、いろんなこと知ってるのね…」尊敬の色を含んだその声に、カーライルは軽く肩をすくめ、いつもの調子で答えた。


「まあな。酒場で冒険者の愚痴を聞いてりゃ、嫌でも耳に入るもんさ。たとえば、ダンジョンでモンスターを寄せ付けない安全地帯を作る方法もな。魔石に光属性のマナを込めて撒くって話だ。」


それは彼にとって日常的な話だったが、魔法学院育ちのアルマには新鮮で実践的な知識に映ったらしい。


「そうなんだ…そんな使い方もあるのね。」彼女の目は輝きを増し、魔石の破片を見つめる。その表情には新たな知識に触れた喜びがにじんでいた。


そんな彼女に、カーライルは微かに笑みを浮かべた。「命を守るために知恵を絞る。それが冒険者ってもんさ。」


アルマは再び魔石に目を向け、真剣な表情で考え込む。そしてやがて顔を上げ、柔らかく微笑んだ。「助かったわ。本当にありがとう。今度また愚痴を聞いてちょうだい。」


カーライルは肩をすくめ、意地悪そうに口元を歪めた。「銅貨三枚を忘れずにな。アドバイスが欲しいなら銀貨も用意しておけよ。」


その皮肉混じりの言葉に、アルマは思わずくすりと笑った。「ええ、忘れないわ。」


カーライルが薄れゆく魔石の輝きに目をやると、墓地の空気がどこか柔らかく変わるのを感じた。アルマは静かに深呼吸をし、墓地を一瞥してから歩き出す。カーライルも無言でその後を追った。


月明かりが雲間から漏れ、夜道を淡く照らす。冷たい風が二人の間を通り抜け、足音だけが静寂を刻む。長い沈黙の後、カーライルがぼそりと呟いた。


「…それにしても、なんで俺たち、こんな風に並んで歩いてるんだ?」


アルマは軽く振り返り、肩をすくめて答えた。「お酒は飲めないけど、酒場で炭酸でも飲みたくなったの。今日くらい、自分へのご褒美よ。」


その軽い調子にカーライルは違和感を覚えながらも、深く追及はしなかった。再び静寂が訪れ、足音だけが夜道に響く。


しばらくして、アルマがぽつりと呟く。「それに──」


「──それに?」カーライルが問い返すと、アルマは振り返らず笑みを含んだ声で答えた。「これからいろいろ頼ることになると思うから、私の名前、ちゃんと覚えておいてね。アルマよ。忘れないで。」


その無邪気な響きに隠れた真剣さを感じ取り、カーライルは小さく息を吐いた。


「俺はカーライルだ。忘れてもらっても構わんけどな。」


ぶっきらぼうな返事に、アルマは笑い声を漏らす。「何よそれ。自己紹介としては最低ね。」


夜風がふわりと吹き抜け、アルマの金髪を揺らす。その姿に、カーライルは一瞬だけ彼女が神秘的な存在に見えたような気がした。そして思わず自嘲気味に笑う。


「本当に、何を企んでるんだか…」


アルマは肩越しに振り返らず軽く返した。「企んでるだなんて失礼ね。ただ、この街を良くしたいだけ。それが領主の娘の務めでしょう?」


その声には確かな誇りと意志が宿っていた。そして、どこか悪戯っぽさも含んでいる。


「それに、冒険者の愚痴ばかり聞くのも飽きたでしょ?これからはもう少し面白い話が聞けるかもよ。」


カーライルは軽口の奥に潜む彼女の決意を感じ取り、思わず口元に笑みを浮かべた。


「…どうなるか、楽しみにしておくさ。」


短く答えた声には、どこか期待の色が混じっていた。彼女の進む先に何が待っているのか――その未来への興味が芽生え始めていた。


月明かりの下、二人の影が地面に長く伸びる。足音は次第に遠ざかり、静寂の中に溶け込んでいった。

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