——終戦調印式の日。
その日、ノエルは思いがけない相手と出会った。
「ボロミア……? ボロミアよね!? わあ、無事で良かったぁ〜」
「ノエル……? そうか、そうだよ。いないわけないよね」
ボロミアは落ち着き払っていた。
いつものボロミアなら、ノエルより先に見つけて駆け寄ってきて、うるさいくらい喜んでみせるところだ。
ノエルは調子が狂ってしまう。騒がれたらツッコミを入れようと思っていたのに。
「あ、えっと……久しぶり。さっきも言ったけど、無事で良かった。前線に、いたんでしょ?」
ボロミアは一瞬、表情に影を落としたが、すぐ笑った。
「ああ、ありがとう。大変だったけど、このとおりピンピンしてる。ノエルも元気そうでなによりだよ」
ノエルはボロミアの一瞬の影に、なにか悲しい気配を感じてしまう。
けれどボロミアは明るい様子で、大袈裟な身振り手振りで話し出す。
「君たちの噂は戦場にも聞こえていたよ。国内で物が作れるなら、もう戦う意義がないってスートリアの勇者たちも投降してきてくれたくらいだ。君たちの活動が、戦いを止めたんだよ。これはとても凄いことだ!」
「ボロミア……」
「さすが僕の憧れの魔法使いだ。これ以上ない人助けだよ。君は、どんなおとぎ話の魔法使いと比べても引けを取らない、凄い魔法使いだ」
その様子は以前の彼のようで、しかし、演技がかって見える。
「どうしたの。あなた変よ、ボロミア」
「なにが変なもんか。僕はいつだって、こんなだったじゃないか」
「全然、違うわよ……!」
ノエルは思わずボロミアを引き寄せた。その体を、そっと両腕で包み込む。
「あなたは、そんな無理に笑うやつじゃなかった」
抱きしめられたボロミアは、諦めたように呟く。
「ごめんよ……君は、やっぱり優しいな……」
「ねえ、どうしちゃったの……?」
「僕はもう、おとぎ話の優しい魔法使いにはなれないんだ。君に憧れてたのにな」
ノエルは優しく引き離される。
「守れなかった友だちがいる……。殺めてしまった人が、いる……」
ノエルは息を呑む。戦場にいたなら当然だ。それを初めて実感してしまう。
「ずっと君が好きだったけど、戦場で思ったんだ。君が僕の隣にいなくて良かったって。君を僕と同じ人殺しにしないで済んで、本当に良かったって……。おとぎ話の優しい魔法使いに、そんなことさせちゃいけないもんな」
「でも……でも、それでも、あなたは資格を失ったわけじゃない。人を助けたい気持ちは、同じなんでしょう? それなら——」
「同じじゃないよ、ノエル。純白の君と、血に汚れた僕の間には、決定的な一線が引かれてる」
穏やかに、けれど強い意志で言われて、ノエルにはもう反論できない。
「でも、おとぎ話の魔法使いになれないわけじゃないって、気づかせてくれた人がいるよ」
どこか明るい、自然な声色にノエルは顔を上げる。
「スートリアの勇者で、カレンさんっていうんだけどね。守るべき人たちのために、悪人と戦う生き方もあると教えてくれた」
ボロミアは清々しい表情で語る。
「今回は要人護衛や、返還する捕虜の護送が任務なんだけど、もうひとつ大切な仕事があるんだ」
「どんな仕事なの?」
「……君たちが作った盾は、もの凄く助けになったけど、同時にこう思われたんだ。この技術が兵器に転用されて、同胞に向けられたりしたら……?」
「アタシたち、そんなの絶対作らないわ」
「君たちはそうだろう。でも技術が広く普及すれば、考えるやつは出てくる。例のモリアス鋼だって人助けに絶大な効果があるが、逆のことだってできる。だから国際ルールを作るんだ。それを破る者を取り締まる国際的な部隊も必要になる」
「ボロミアも、その部隊に?」
「ロハンドール代表だ。名誉なことだよ。スートリアからはカレンさんが参加する。メイクリエからは誰が来るかな? まだ発足もしてないけど、その準備も僕の仕事なんだ」
「人を助けるために、人と戦うんだ……?」
「そう。僕は、おとぎ話に出てくる怖い魔法使いになる。悪人にとっての恐怖に」
「……それ、アタシも手伝——」
「ダメだよ、ノエル」
「でも」
「僕を助けなくていいんだ。君は純白のままでいて。これまでどおり、君はその優しさで人を救っていって欲しい」
ボロミアは、にこりと笑う。
「その代わり、僕は激しさで人を守る。君たちが作った物に宿る、高潔な精神を守る。いや、守らせてくれないか、この僕に」
そう語るボロミアの姿こそ、ノエルには高潔に見えた。
かつてはノエルに付きまとって、嫌がらせまでして自分のものにしようとしたボロミアが。
改心したと思ったのに、バカな小細工はやめずアプローチしてきたあのボロミアが。
今はひどく魅力的に見えた。ショウとは違った種類の、誇り高い男だった。
「……うん。守って」
ボロミアは嬉しそうに頷く。
「お任せあれ。じゃあ、そろそろ行くよ。さようなら、ノエル」
「待って」
去ろうとする背中に思わず声をかける。ボロミアは振り返る。
「今のあなた、とても素敵よ。学院にいた頃からあなたがそうだったら——アタシ、あなたの求婚に応えてたと思う。軍人なんかにさせずに、一緒に人助けの旅に連れ出してたと思う」
「それは……素敵な
儚げにボロミアは笑う。
「でも、ありがとう。君のその言葉は、この先ずっと心の支えになるよ」
「……うん。たまには、会いに来てよね」
「行くよ。ショウとお幸せに。君の相手があいつなら、安心して任せられる」
「あなたも、幸せになるのを諦めないでね」
「僕ならもう、大切な物を守れる幸せに包まれてるよ」
最後に見せたボロミアの表情は、彼の言うとおり、幸せに満ちた笑顔だった。