ボロミアが加わって数日。なかなかの成果が上がっていた。
「……終わりました。もう大丈夫です」
ソフィアの声を聞いて、「ふぅ〜」と息をついてボロミアはレンズの魔法を解除した。
「どれどれ、ほう。よく出来てるじゃないか。さすがノエルの認めた職人さんだ」
ボロミアの視線の先には、ソフィアが書いた図面がある。
ボロミアの視力に合うレンズを魔法で調整し、上手くいった物を図面に書き起こしていたのだ。
この他、視力検査表の見え方の違いから、度数違いのレンズも魔法で作り出して、それらを図面に残していく予定だ。それらの図面を元に、通常の眼鏡サイズのレンズを設計していく。
そこまで行けたら、次はいよいよ製作だ。
ちなみに、老眼鏡のほうも同様の作業をしているが、ばあやも屋敷の仕事があるため進捗はそこそこだ。だがそれも、魔法使いがふたりになった分、予定より早く済むだろう。
「う〜ん、やっぱりボロミアくんがいてくれると違うな」
「そうねー、アタシひとりでやってたときは、この二倍以上時間かかってたもんね。やっぱり交代しながら作業できるの強いわー」
そんなことを言いながら、ノエルはおれと腕を組み、半身を預けてきていた。
「って、おおい! 人が仕事してる横でいちゃつくんじゃあない!」
ボロミアが唾を飛ばして抗議してくる。
「いいじゃない、休憩中くらい。アタシたち、婚約者同士なんだし〜」
「おれはちょっと様子を見たら、すぐ戻ろうと思ってたんだけど……」
正直、ボロミアよりも、無言の無表情で、じぃ〜っとおれを見つめるソフィアが怖い。
もちろん許可は得ている。
ノエルは以前、ボロミアに婚約者がいると宣言して遠ざけようとしたわけだが、よりにもよってその相手がおれということになってしまっていた。
婚約者がいようがお構いなしなボロミアを見る限り、その場限りの嘘だったと明かしても同じことだと思うのだが、ノエルの希望で婚約者の演技を続けることになった。
「だってあいつ、アタシに婚約者がいないって知ったら、もっと激しく色々やってくるに決まってるもん」
とのことなので、アリシアや屋敷の家人たちにも話を通して婚約者のフリをしているわけなのだが……。
おれは小声で、ノエルに耳打ちする。
(ちょっとやり過ぎじゃない?)
(そ、そう? ごめん)
ノエルはさり気ない動きで離れてくれる。
初日は、ほどほどの距離感で演技もしやすかったのだが、二日目には接触が増え、今日には遠慮がほとんどなくなってしまっている。
ボロミアへの当てつけにしては、エスカレートしすぎている気がする。
ノエルはどういうつもりなのだろう?
……もしかしたら……。
「じゃあ、おれは工房に戻ってるから」
ソフィアとボロミアに、これ以上睨まれないうちに退散する。
部屋を出るとすぐ、背中に「ぽふっ」と軽い衝撃があった。
背後から抱きついてきたのは、ソフィアだった。
すー、はー、と大きく息をしている。
あれ? 匂い嗅がれてる?
「ソフィア? どうしたの?」
「ショウさん成分を充填中です」
「そ、そっか。ほどほどに、ね?」
「そうですね。ほどほどに、ですよ。ショウさん?」
離れてくれたので向き直ると、ソフィアは黄色い綺麗な瞳でおれを見上げていた。
「優しくされすぎて、逆につらくなるときもありますから」
そう言って儚げに笑むと、ソフィアは作業部屋に戻っていった。
それがどういう意味なのか、おれが理解したのは、さらに数日後だった。
◇
アリシアの屋敷の一画。おれに与えられた寝室でのことだ。
ベッドに腰かけて手紙に目を通していると、ドアがノックされた。応じると、入ってきたのはノエルだった。
生地が薄く、肌の露出も多い寝間着姿だった。その胸の谷間に視線が吸い込まれ、どきりと胸が高鳴ってしまう。
悟られないように、手紙に視線を戻す。
「それって取引先候補からの手紙?」
「ああ、冒険者ギルドからだよ。望遠鏡のレンズ、安くたくさん手配できるなら是非欲しいってさ。まずは二百セット依頼してくれてる」
おれはその他の内容に関しては隠した。
かつて所属していた『フライヤーズ』が解散したことや、弱体化したのを見計らってジェイクを捕縛したものの、投獄先から逃げられたこと。おれが生きていることは、まだ明らかにしないほうが良さそうなこと。
他の誰にも話すような内容じゃない。
代わりに、もう一通の手紙を取り出す。
「オクトバーさんからも来てるよ」
「へえ、どれどれ?」
ノエルはおれの隣に、密着するように座る。ふわり、といい香りが漂う。
おれはたまらず声に出す。
「ノエル、近すぎだよ。ボロミアくんはここにいないんだ。婚約者のフリなんて今はしなくていい」
「あはは……やっぱり、ダメ?」
小さく笑ってみせるが、ノエルは離れようとしない。
「どうしたんだ、ノエル。最近、変だよ」
「……うん、そうだよね。わかってる。ごめん……。アタシ、甘えちゃってる……」
ノエルは俯いて、小さな声でこぼしていく。
「ショウが、ソフィアのこと好きだって宣言した日にさ、諦めたつもりだったんだよ。だけどさ……婚約者のフリしてたら、やっぱり……気持ちが溢れ出して止まらなくて……」
そしてノエルは顔を上げ、その紅い瞳でおれを覗き込む。
「アタシ……アタシも、ね? あなたのこと、好きなの……」