ランサスの街へ行く駅馬車の中、おれの隣にはソフィアがいた。
曰く、「眼鏡が実際に売られている様子を見ておきたいのです」とのことだ。
おれは馬車での移動時間に、取引先候補への手紙を書いていく。
ロハンドール帝国魔法学院のアラン。港町ディストンのサーナイム海運会社のオクトバー。それに冒険者ギルド職員のバネッサへ。
「ラスティンの町で会った、あのバネッサさんですか?」
「そう、あのバネッサだよ。シオンとしては少しは名が通っていたけど、ショウとしては無名だからね。売り込みを聞いてくれそうなのは、バネッサくらいなんだ」
手紙を書き終わったら、次はおれとソフィアの本を開く。
出会ってきた魔物から採取した新素材の特徴を、白紙の本に書き留めてきたものだ。
例えばウルフベアから取った新素材なら、乳白色で、水に浮くほど軽い。武器や防具に使えるほどの強度はないが、日用品としては充分すぎる強度を持つ。……といった具合だ。
書き留めた中から、レンズを作るのに適していそうな素材を探す。
ソフィアは黙って身を寄せて本を覗き込み、一緒に探してくれる。
触れ合ったぬくもりに、おれの心拍数は高まっていく。
ふたりで旅を始めた頃は、毎日のことだった。ほんの数ヶ月前のことなのに、懐かしく思えてくる。
その気持ちはソフィアも同じらしかった。
「旅をしながら本を開いて、今日知ったことを書き込んで、明日調べることを語り合って……。ノエルさんやアリシアさんのいる今の生活もとても素敵ですけれど、ふたりきりで旅をしていた頃も、わたしは好きでした」
「おれもだよ。あの日々を、おれはきっと何度でも思い出す。思えば、おれはあのときから惚れてたんだ。君の腕や情熱だけじゃなくて、君という女の子に……ね」
ソフィアは意外そうに一瞬息を止めた。
「では……この前、わたしをす、好きと言ってくれたのは……恋愛的な意味だったのですね。ショウさんのことですから、てっきりまた違うのかと、迷ってしまっていました」
「ごめん。おれ自身、ずっと自分の気持ちを見て見ぬふりしてたんだと思う。なんていうか……あのとき素直になってたら、無職の女の子に、就職を条件に交際を迫ったみたいな状況になってたと思うし……」
ソフィアは少しばかり頬をふくらませる。
「お陰でわたしは、何度も心乱されてきました。めっ、です。ショウさんは反省すべきです」
「うん……。ごめんなさい」
「なんちゃって」
ソフィアは一転して笑顔になる。
「本当は怒っていません。すっきりしましたから」
「ありがとう。でもごめん。君には別に好きな人がいるのに……。迷惑だよね……」
「それは、どうでしょう」
そこで話題が途切れる。
高鳴る鼓動が心地よく、けれどどこか切ない。
そんな沈黙の先で、おれたちはいつしか、一冊の本を前に「この素材は?」「これがいいのでは?」と、いつものように物作りの意見交換を始めていた。
やがてランサスの街に到着する。
おれはすぐ冒険者ギルドに行き、三通の手紙を大至急届けるよう手配した。
なぜ冒険者ギルドに依頼したかというと、そのほうが速いからだ。
通常の運輸業者に頼むなら安いが、到着までかなり日数がかさむ。
一方、冒険者の中には高速輸送を専門としている者が一定数おり、馬や魔法を駆使して非常に素早く荷物を届けてくれるのだ。
「それじゃ、もう遅いし宿で一泊していこう」
「同室でもいいですよ?」
「また冗談言うんだもんなぁ。そういうのは恋人としようね」
「そうですね。恋人と……」
翌朝には市場を見に行き、眼鏡の販売店を何軒もはしごする。
眼鏡のレンズの中でも特に精巧なのは、宝石を丁寧に削り出して作った物で非常に高価だ。ガラス製の物はそれより劣るが、それでも高度な技術で作られていて、やはり高価だ。
あわよくば作っているところを見られたらいいと思っていたが、工房内は厳重に隠されていて無理だった。しかし、実際に売られている製品や、売り場の様子、視力検査の仕方などを見ることで、イメージは湧いてくる。
「すみません、買い物まで付き合っていただいて」
それからソフィアは、いくつかの油と砥石、研磨剤を買い込んだ。
「いいさ。おれも必要だと思った物ばかりだし。今日ソフィアと来れてよかったよ。あとで買いに来るんじゃ二度手間になってた」
「ではそろそろ帰りましょうか」
「えっ? 帰っちゃっていいの?」
ソフィアは首を傾げる。
「ショウさんは、まだなにかご入用でしたか?」
「ああ、いや……ソフィアにはまだ用事があるんじゃないかと思って……。ほら、前に言ってただろ? 次の仕事が上手くいったら……って」
次の仕事が上手くいったら、ソフィアは好きな人に告白すると言っていた。
試作機の製作もちょうど一段落したわけだし、ソフィアが今回ついて来たのは、そのためでもあると思っていた。
ソフィアが他の誰かの恋人になるのは嫌だが、彼女の幸せを願う者として受け入れるつもりだ。
「そのことなら、はい。昨日のうちに決心を固めました」
「でも今、帰るって……」
ソフィアは黄色く綺麗な瞳でおれを見つめる。柔らかに微笑む。
「つまり、そういうことですよ?」
胸が高鳴ってなにも言えずにいると、ソフィアが一歩、こちらへ踏み出してくる。
艷やかな小さな唇が、大切な言葉を紡ぎ出そうとする。
「わたしが好きなのは——」
「おう! 追放女に、ショウとかいう若造じゃねえか! 仕事サボってデートたぁ、いいご身分だなぁ、おい!」
ソフィアの言葉は、通りがかったケンドレッドの下品な声で中断されてしまった。