「……様子がおかしいな」
最寄りのラスティンの町に着いてすぐ、おれは異変を察した。
まだ陽は完全に沈んでおらず、本当なら酒場は賑わい、家々からは夕食の匂いが漂い始める時間帯のはずだった。
なのに民家からは煙突の煙はおろか、人の気配すら感じられない。酒場も同様。鍛冶屋など、工房の火を落としてしまっている。
異様な静けさだ。
二週間ほど前に『フライヤーズ』の仲間たちと訪れたときは、もっと活気があったのだが……。
「どうやら、住民の方々は教会に集まっているようです」
ソフィアが町の中心にある教会を指差す。
灯りのついている唯一の建物だ。人の出入りもある。
ふたりで近づいてみると、教会の門から外の様子を窺っていた女性と目が合った。
「あっ」
まずい。知り合いだ。
女性は目を輝かせて歓声を上げる。
「わぁあ、ちょうどいいところにシオ——んぐっ!?」
おれは素早く駆け寄って、名前を呼ばれる前に口を塞ぐ。
さらに背後に回って羽交い締めにし、そのまま引きずって近くの路地裏に連れ込む。
「んぐっ!? んぐぅうう!?」
「おお、人さらいの瞬間を見てしまいました。プロの手さばき」
などと言いながら、ソフィアもついてくる。
女性の口を塞ぎながら、おれは落ち着かせるようにゆっくりと話す。
「いいかい、バネッサ。今から事情を話すから、シオンと呼ばないでくれ。今のおれはショウと名乗ってる。お願いだから騒がないでくれ。いいね?」
こくこく、とバネッサが頷いてくれるので、手を離して口を開放する。
「なに、いきなりなんなの? 事情って?」
おれは手短に、
「——そう、そんなことがあったのね。ジェイクのやつ、腹黒いやつだとは思ってけど、そんなことまでするなんて……。わかったわ。あいつがあなたの死亡届を持ってきたら、黙って受理する。その後で、こっそりあなたのライセンスを別名義に書き換えておくわ」
「すまないな、助かるよ」
「いいのよ。こういうトラブルから冒険者を守るのもギルドの仕事よ。対策マニュアルもあるくらいなんだから」
バネッサは、冒険者ギルドの職員だ。
『フライヤーズ』が主な拠点としていた大都市リングルベンでは、よく世話になった。無茶な依頼も多かったが、その分、実入りのいい仕事を優先的に回してもらったりと、良好な仕事関係を築けていた。
「けど、こんな町にバネッサがどうして?」
「なに言ってんのよ、この前話したでしょ。今年の定期巡回、あたしが当番なの」
大きな街の冒険者ギルド職員のうち、ある程度の地位にある者は、定期的に周囲の村や町を巡回する決まりとなっている。目的は監査だ。
目の届きにくい地方では職員の不正や、依頼を受ける冒険者の不足といった事態がたびたび発生する。それらの問題を見つけ、是正させるための仕事だそうだ。
「そう言えば聞いた気がする」
「気がするじゃないわよ。近い時期にラスティンの町に行くからって、届け物まであたしに頼んでたくせに」
バネッサは身につけていた革製の腰袋から、ずっしりとした荷物を取り出した。
「ほらこれ、取り寄せてた本」
「ああ、そうだった、ありがとう」
「なによその反応。いつもは子供みたいにはしゃぐくせに……まあ、気持ちはわかるけど……」
本を受け取り、パラパラとページをめくってみる。
様々な魔物の生態について書かれた本だ。ざっと目を通してみたが、当初目当てにしていた情報も載っていそうだ。
けれど、今更こんな本があったところで……。
「魔物さんの本、ですか?」
興味ありげにソフィアが覗き込んでくる。
「ああ、実は新しく作ろうか考えてた物があってね。その資料として買ったんだ」
「えっ」
ソフィアとバネッサが同時に声を上げた。バネッサは一歩引いた。
「シオ——ショウ、あなた……。そりゃ【クラフト】ならできるかもだけど、それ重罪よ、わかってるの?」
「なるほど、
なにを言ってるんだ、ふたりとも!
おれは驚いて首を振る。
「いやいやいや、違う違う違う。あくまで新しい素材のためだよ」
「せっかくなのでわたしは、牛さんと一部を合成して欲しいです。この、胸のあたりを」
「だから違うって。ていうか、合成されてまで大きい胸が欲しいのか?」
「…………」
なぜかソフィアはおれを見つめてきた。
「なんちゃって」
「今の『なんちゃって』までの間はなんだい?」
「少し、夢を見ていただけです」
おれは苦笑して、バネッサに向き直る。
「それより、この町の状況はどうしたんだ?」
「そうだったわ。ショウ、緊急だけど討伐依頼を受けてくれない?」
「討伐だって?」
「かなり厄介なアンデッドが出るらしいのよ」