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第三十九話 生きたがり少女と文字の森のみんな 4

「文香? ……どうして?」


 クマさんは耐えられずに目をウルウルさせ始めた。


 私もつられて目をウルウルさせる。


 せっかく耐えてたのに、ずるいよクマさん!


「クマさん!!」


 私は思いっきりクマさんにダイブする。


 一年ぶりのこの感触、この匂い、この安心感。


 私に足りなかったものが全て満たされていくこの感覚。


「文香は一年ぐらいあっちで過ごしたのかな?」


 クマさんは泣きじゃくる私の背中をさする。


 その感触に目を瞑る。心から安堵した感覚……本当に久しぶりだ。


 文字の森では一体どれくらいの時間が経過したのだろう? それとも時間は経っていないのかな?


 でもクマさんが泣いたところを見るに、時間が止まっていたわけでは無いのだろう。文字の森では、文字の森なりの時間の流れがきっとある。だけど、そんなには経っていない気がする。これだけは説明のしようが無いけれど、なんとなくそう思えるのだ。


「うん。一年間必死に生きた。学校にも通ってるし、バイトもしてる。友達だって出来た。もう一年前の死のうとしていた私じゃない」


 とりあえずずっと言いたかった事を羅列する。そして一番言いたかった事を告げる。


「それよりも何よりも、全てクマさんに背負わせてごめんなさい。本当は自分で決心して出ていくべきだったのに、最後の最後まで本当にごめんなさい」


 私は抱きついたまま、頭をもっとクマさんに擦り付ける。本当にクマさんには頭が上がらない。一年経ってより強く思った。やっぱりクマさんは強い。


「なんだ~そんなことか、それで文香が前に進めるなら良かったよ」


 クマさんはなんでもなさそうに答える。


 そう。この飄々とした態度こそがクマさんだ。懐かしいったらない。


 そんな感傷に浸っているうちに、どうして私がここに来れたのかが気になった。本当なら、二度とこちらには来れないはずなのに……。


「ねえクマさん。どうやって私はここに来たの?」


「どうやってって……なんだ、文香は知らないままここに来たのか~てっきり気がついて来たのかと思ったよ」


 クマさんは軽いため息と共に、答えにならない答えを口にする。


 クマさんにそう言われて、自分の手首に視線を移す。そこにある木のブレスレットを見つめる。徐々にもしかしての可能性が頭に浮かぶ。


 もしかしてそういうこと?


 これは文字の森の特徴を最大限に活かしたサプライズだ。やられた。クマさんはきっちり、ここに戻ってこれる逃げ道を用意してくれていたのだ。


「このブレスレット?」


「そうだとも! そのブレスレットはね、文字の森のゲートに使った木と同じ木で出来てるんだ。だから……もう、分かったでしょう?」


 そう。クマさんは、このブレスレットを私に渡し、一応戻ろうと思えば戻れる状態を作ってくれていたのだ。あのゲートと同じ木で作られたブレスレットは、あのゲートと同じ役割を持つ。


 だから私をここまで導いてくれたのだ。


 つまりこのブレスレットさえあれば、私は自由に行き来ができる!


「最初からクマさんは、ここに戻る手段を用意してくれてたんだ……」


「まあね。ただ文香が気がつくかは賭けだったけどね! 実際に一年はかかったわけだし」


 クマさんは心底嬉しそうで、饒舌だ。また会えるかどうかは私に委ねていたというわけか……でも、一つ疑問が残る。もしも私がすぐに気がついて、戻って来てしまったらどうするつもりだったのだろう?


「クマさんは、私に今を生きろって言ってくれた。なのにどうして戻る手段なんて残したの?」


 私の問いかけに、クマさんは沈黙した。


 聞いておいて、答えを聞く前に答えが分かった。この沈黙が答えだろう。クマさんは最後の最後に、自身のワガママをちょこっとだけ通したのだ。私が今日のようにこっちの世界にこれる可能性を残した。


 これは合理的な判断や、私のためを思っての行動ではない。むしろ逆効果だ。これはクマさんのワガママ。可愛いワガママ。私との再会を望んだワガママ。


「ねえクマさん。今の私は、またここに来ても良いかな? このブレスレットがあのゲートと同じ木で作られているとしたら、戻っても時間は経過してないんでしょ?」


「それはそうだけど……でもそれじゃあ文香の精神だけが歳をとって……」


「大丈夫だよ。節度は守るから。あっちの世界の土日だけ、週末のどこかで文字の森に遊びにくるから。その時のこの森への滞在期間も数日だけにする。それなら問題ないでしょ?」


「え、でも……」


「お願いクマさん! 週に一度、数日間だけ夢を見させて! 私はこの一年間で成長した。クマさん達からしたら一年なんて経過してないのかもしれないけど、あっちの世界で私は普通の女子高生になれた。友達もできたし、勉強も頑張ってる。バイトだって始めた。でも、私には唯一家族だけが足りない。私にとってはこの文字の森の皆が家族なの! だからお願い!」


 私はまくしたてるようにクマさんを追いつめる。学校でもバイト先でも、この手法はよく使っている。私の一年の成長をなめてもらっては困る。私を成長させたこと公開させてあげるんだから!


「う~ん……文香が強くなってる~」


「違うよ。成長したの! もう私は自分を見失ったりしない。自殺もしない。私は死にたくない」


 クマさんに自分はもう大丈夫だとアピールする。私はもう文字の森への入場制限に引っかかる年齢では無いのだ。


「そこまで文香が言うなら……」


 クマさんはしぶしぶ了承するふりをして、口元は思いっきり笑っている。本当に嘘がヘタな子だと思う。でも、だからこそ信頼できるのだ。


「それで、私が一年間あっちで暮らしていたあいだ、こっちではどれくらいの時間が経過していたの?」


 これだけが気がかりだった。持ち主を失った元ぬいぐるみは、どんどん劣化してしまう。だから時間の経過が気になった。一年というサイクルは、この森ではどのように扱われたのか。


「う~んどうかな~。文字の森というか、僕たちには時間の感覚があんまり分かんないんだよね。でも誰もおかしくなったりはしてないよ?」


「それは良かったけど……時間の感覚が分かんないのなら、どうして私が一年過ごしたのを知ってたの?」


 とりあえず一年程度では、クマさん達の劣化は起きていないらしい。心配の種が消えたと同時に、新たな疑問が湧きあがる。なんで一目見ただけで、私が一年歳をとったことに気がついたのだろう?


「それなら簡単だよ! これこれ」


 そう言ってクマさんが見せてきたのは、腕時計だ。木製の……


「木製の腕時計って動くの?」


「動くとも!」


 そうは言っても、全く動いていない。そもそもこの時計には秒針も無ければ、長い針も無い。短い針だけがじっとしている。


「動いてないじゃん!」


「これは文香が過ごした年月が記録される腕時計さ! そのブレスレットと連動してるの」


 なんということでしょう! どうやら私は、クマさんに世界を越えて監視されていたらしい。私のことが気になって仕方が無いクマさんは、私にある種の発信器をつけて、私の成長を見守っていたのだ。もうそれだったら毎週顔を見せないわけにはいかないじゃないか!


「ストーカー?」


「ストーカー??」


 クマさんはオウム返しで首をかしげる。なんでそう都合よく言葉を知らないのだろうか? 本当は知ってるんじゃないかな? 首をかしげる仕草も可愛いし……自分の強みをよく理解してるな~このクマさん。可愛さをふりまけば私が許すと思ってるな。まあ許すけど。


「はぁ。もういいや。それよりクマさん。皆はコテージの中?」


「うん。そうだよ。文香の一周年記念式典を開いてたの」


 なんだ、その恐ろしい式典。私は一体なんなんだ?


「それじゃあ久しぶりのパーティーなんだね?」


「え!? まさか! もう十二回目だよ?」


 十二回目のパーティー。一年は十二ヶ月。つまり私が一ヶ月あっちの世界で上手く生きていたら、それを祝ってパーティーしてたってこと? 


 私っていったい何なのだろう? そんな大勢に見守られながら、一年間過ごしてきたの?


「私ってそんなに心配されるような存在だったの?」


「冷静に自分を振り返ってみなよ」


「え?」


「元々不登校だった十五歳の少女。急に両親を失って天涯孤独の身。自身も母親の後を追って自殺のために富士の樹海へ。その後なんだかんだあって文字の森にやって来たが、昔の友人が自殺していたことを知る。そして僕のせいなんだけど、ここに残りたいと願った文香の想いを無視して、文字の森から強制退去……」


 改めて羅列されると酷いな……うん酷い。最後はクマさんが悪いけど、途中までなんてどっかの物語の主人公並に酷い境遇だ。こんな女の子をあんな形で夢から追い出したら、そりゃ心配もするかもしれない。


「よく生きてたな……わたし」


「本当だよ! ホッとしてる。いつ文香の木が文字の森に生えてこないかと、ヒヤヒヤしてたんだから」


 クマさんはそう言って立ち上がる。急にどうしたのだろう?


「ほら立って文香! コテージに戻って皆とパーティーしよう!」


 私はクマさんに導かれるままゆっくりと立ち上がる。歩き出す。


 あの懐かしいコテージ、奥には農園があり、そのすぐ横にはアンダー農園への入り口が広がっている。


 私はこの大地をありがたく踏みしめる。夢にまで見た文字の森。クマさん、それに皆があのコテージで、私の一周年記念式典というお題目でパーティーをしている。私が戻ったらどんな顔をするだろう? 皆喜んでくれるかな? 何を話そうかな? とりあえずは私が経験した一年間を話そうか。きっと皆じっくり聞いてくれるはずだ。


「さあ、入って」


 コテージの玄関前にやって来た私は、心臓の鼓動を必死に抑えつけながら、ドアノブに手を伸ばす。


 私がドアを開いて最初に口にする言葉はもう決まっている!


 私はドアを勢いよく開く。中を見渡す。目が点になっている皆と目が合う。


「ただいま!!!」


 部屋の中に飛びこむと、皆にもみくちゃにされた後、一年間なにがあったかを話した。


 そのままパーティーに参加して、皆と共に飲んで(ジュースです)踊って騒ぎ立てた。これでもかと汚したが、翌朝にあーさんが綺麗にしてくれるようなので誰も気にしない。楽しい時間を皆と過ごしている内に、一人、また一人と酒に酔いつぶれて眠っていく文字の森の住人達。そんな中でクマさんだけは、お酒の代わりにハチミツスカッシュなる飲み物を飲んでいたようなので、ピンピンしていた。


「ねえクマさん」


「うん?」


「契約書、新しくサインしなくちゃね」


 私は悪戯っぽく笑う。クマさんは一瞬なんのことだか分かっていないっぽいが、すぐに気がつき笑いだす。そう、この文字の森に出入りするにはクマさんと契約をしなければならない。


「それじゃあこうだね~」


 クマさんはあの懐かしい羊皮紙を取り出し、契約書の一部を書き直す。そこにはこう記されている。


『契約内容……この羊皮紙にサインをしたということは、あなたがこの文字の森の管理人候補になったことを意味します。管理人になるにあたり、いくつかの約束事がありますのでご確認ください。


その一 文字の森の存在を誰にも知らせてはならない。そう、誰にも。

その二 文字の森の管理人(文香)はここから出ることも、ここに来ることも自由です。そう、自由だよ。

その三 ここにある物は(コテージや木も含む)なんでも使ってよい。そう、なんでもね。

その四 文字の森に住む仲間たちと仲良くしましょう。そう、仲良くだよ』


「じゃあこれでサイン」


 私は新たに自由度が増した契約書にサインする。


 これで心置きなく出入りできる。


「ねえクマさん」


 クマさんは無言でこっちを見つめる。


 そんなに見つめられると照れちゃうんだけどな……。


「私がいくつになっても、ここに来て良い?」


「勿論だとも!!」


 クマさんはそう宣言して、私を思いっきり抱きしめた!






                                   FIN

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