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第三十八話 生きたがり少女と文字の森のみんな 3

 失意の帰宅からもう一年になる。


 あの日、家に帰った私はとりあえず電気を全て消して、ベッドに伏せて泣き続けた。


 頭では理解している。クマさんは、私が泣き続けるためにこっちの世界に戻したわけじゃない。分かっている。私は人間らしく、生ある者として今の時間を生きるべきなのだ。


 だけど心は追いついてなかった。やっぱりどこまで行っても心は未熟な私は、頭で理解した結論に追いつけない。笑って毎日を過ごすべきだと分かっている。これはクマさんだけではない。あーさんやうーさん、きーさんだって思ってくれているはずだ。


 私が泣き続ける日々から脱却するのに、丸々一週間ほどかかってしまった。人生最悪の一週間といっても過言じゃなかった。家にはまだ死んだ両親の面影が残り、学校にはしばらく行けそうにないと連絡を入れた。学校側も、私の両親が死んでしまったことは知っているので、空気を読んだのか、たまに担任が様子を見に来る程度で、後はそっとしてくれていた。


 とりあえず何かを食べなければと料理をし始めると、最初はほとんど料理なんて出来なかった私が、自炊をしていることに驚いた。料理をする習慣は、文字の森で培ったものだ。あの森にはコンビニなんて無かったから。


 庭に水をやっていればアンダー農園のことを思い出すし、掃除をしていればあーさんの姿が目に浮かぶ。ずっと着ていた黒のワンピースを着れば、うーさんの趣味部屋が思い出される。木を見ればきーさんの突っつく姿勢が脳裏をよぎる。


 一番深刻なのはやっぱりクマさんで、公園のベンチを見るたびに涙がこぼれそうになる毎日だった。


 生活の至る所に、文字の森での一ヶ月が色濃く染みつき、薄まる気配がない。それだけ私の中でのあの場所は、かけがえのない場所だったのだと再認識する毎日だった。


 そんな地獄の一週間を過ごした後、今後について家を訪ねてきた担任の先生と話し合い、普通の日常に戻って欲しいと願ったクマさん達を思って、復学を決意した。


 文字の森から戻って初めて登校した日は、みんなが腫れ物を扱うかのようによそよそしかったのを憶えている。だけど彼らを責めることは出来ない。いきなり両親を失って、ずっと不登校だった女の子に、なんと声をかければ良いのかなんて、誰にも分かりはしないのだから。


 そんな生活も時間の経過とともに慣れていくもので、一ヶ月、二ヶ月と過ごすうちに自然と友人のような人も出来て、普通の学校生活を送れるようになっていた。






 失意のあの日からもう一年。私はほとんど普通の女子高生として生きている。近所のコンビニでバイトも始めたし、友達とショッピングに行ったり、学校の宿題を見せあったり、ご飯食べに行ったりと、まさしく今を生きている。


「文香ちゃんのそのブレスレットってどこで売ってるの?」


 学校帰りに近くのファミレスでご飯を食べている時、友達が私のブレスレットを撫でながら尋ねてくる。


 私が毎日、三百六十五日ずっと付けているので、最初は親の形見だと思われていたらしく、校則違反だが先生も誰も注意してこなかった。


 親の形見では無いが、限りなく形見に近い存在だと思っている。もしかしたらそれ以上かもしれない。確実にいまの私を形成しているのは、クマさん達との経験なのだから。


「これは大事な人からの贈り物だからね。手作りなんだよ。だから非売品」


 私はそう答えると、おもむろに席を立つ。


「もう帰るの?」


「うん。お墓参り行こうと思ってて」


 私は嘘をついて帰路に就く。


 もちろん完全に嘘というわけではない。お墓は県をまたぐ位置にあるので、そうポンポンいける距離ではない。だから母親が死んだあの森で、週に一度は祈りを捧げている。


 今でも何かの拍子に文字の森での生活を思い出す。たまに泣きそうにもなるし、いまだにベンチがある公園には行こうと思わないけれど、それでも当時よりはだいぶマシだ。自分の感情を抑えれるし、そうなった時のマインドコントロールも上手くなった。


「だから……もう心配しないでね。お母さん」


 私は富士の樹海の入り口で祈りを捧げる。自分をおいて逝ってしまった母親を憎んだ時期もあったけど、今ではそれはない。文字の森でお母さんの木と出会って、その時の心情を知ったから。恨みなど無い。憎しみなどない。確かに娘を残して自殺するというのは、決して褒められた行為ではない。


 それでも、彼女には彼女なりの考えや苦しみがあり、その結果死を選んだ。彼女の最後の感情を、想いを、知ることが出来たのもクマさんのおかげ……。結局、何から何までお世話になったのだ。


「もう一度、行ってみようかな?」


 私は一人呟くと、富士の樹海の中へ入っていく。目的地は言うまでもなくあの場所だ。


 一年前にクマさん達とお別れしてから、一度も足を踏み入れなかった。


 理由は単純で、あの場所にもう一度足を踏み入れてしまったら、今度こそ自分の足では立てなくなると思ったからだ。でも今はもう違う。あの時の私ではない。私は強くなった。だから、ようやく行ける。足を踏み入れることが出来る。


 祈りを、報告を、することが出来る。


「やっと着いた……」


 ここ一年で結構体力がついたと思ったが、それでもこの森の中での散歩はなかなかに重労働だ。


 私は懐かしい気持ちに浸りながら、ゲートがあった空間を見つめる。


 なんとなく、足が前に進む。


 何かが起こるなんて期待していない。


 でもなんとなく、体が勝手に動いたような気がした。私はゲートが立っていた場所に立つ。そして一歩前へ……。


 その瞬間景色が変わり、見覚えのある景色の中にいた。


 ここはもう富士の樹海ではない。


「ここって……」


 私は混乱する頭をブンブンと振り回す。そんなはずはない。ゲートはあの日、クマさんが壊してしまった。文字の森との接点は失われてしまった。


「でも……」


 一度深呼吸をして前へ。なんにしても確かめないといけない。ここがどこであれ、富士の樹海では無い何処かなのは間違いないのだから。


 こっちは夜中らしい。月明かりが煌々と足元を照らしている。周囲を見渡すと、変わった形の木がそこかしこに生えている。それらを見て、私は心が躍る。ドキドキする。動機が止まらない。


 早く、速く、はやく!


 私は鼓動よりも速く足を動かす。


 私はこの道を知っている。


 私の足は、この行き先を知っている。


 何度も歩いた道だ。何度も見た景色だ。何度も聞いた風の声だ。何度も嗅いだ土のにおい。


 様々な思い出に胸をいっぱいにしながら歩くこと暫く、遂に目に飛び込んできたのは、懐かしいあの建物。


 白い白樺の木で出来たコテージ。そのコテージの一階の窓から明かりがもれている。つまり誰かがそこにいて、生きている。動いている!


 私は夢中になって駆け出した。途中で転びそうになりなりながらも、必死に駆けた。コテージをぐるっと回って正面へ。向かうのはコテージの玄関でなく、その前方に広がる白い柵で囲われた庭へ。


「やっぱり……ここにいた」


 息を切らして見つめる先には、ベンチに座ったまま固まっているクマさんがいた。

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