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第三十六話 生きたがり少女と文字の森のみんな 1

「それってどういう事?」


 私は説明を求める。いくら非常識なのが当たり前の文字の森と言えど、流石に時間が流れていないというのは説明がいる。というより説明があっても難しい。


「後ろのゲートを見てごらん」


 クマさんの指示通り、後ろを振り向きゲートを観察する。別に不思議な所は何もない。ただのアーチ状のゲートだ。文字の森と書かれた木製のゲート……うん? 木製?


「もしかしてこのゲート……」


「ご明察! やっぱり文香は賢いね~」


 やっぱりそうだ。このゲート。ただのゲートじゃない。


「このゲートは、この文字の森の木で作ったゲートなんだ。時の木で作ったゲート。このゲートを潜った瞬間、時間がセーブされるゲートさ! ゲームとかのセーブポイントみたいなものかな?」


 つまり時が止まるゲート。時止めのゲート。私はこのゲートを潜って文字の森に入った。私がこの文字の森に入った瞬間を、このゲートにセーブされて、外の時間は止まったままだったのか。止まったままというか、その時間に戻ると考えた方が良いのかも知れない。


「クマさん達はここから出れないの?」


 いま一番の疑問を彼らに問いかける。もしも一緒に来れるなら、あっちの家でも一緒に暮らしたい。家の中でならいくら動いても喋っても騒ぎにはならないから。


「残念ながら僕たちはここから出れないんだ」


「どうして?」


 そう尋ねて後悔した。クマさんはあからさまに答えに窮していたから。


 いつもの浅い回答のためのお悩みタイムでは無い。それは表情を見てれば分かる。これは聞くべきでは無かったかも知れない。そうだよね……だってクマさん達は……。


「それはね文香……僕たちはもう、この世に存在しないからさ……。僕たちはあくまで元ぬいぐるみ。そう、”元”ぬいぐるみだ。動いているけど喋ってるけど、見た目はどこからどう見てもぬいぐるみだけど、”元”ぬいぐるみなんだ。僕たちはあっちの世界では捨てられている。別に文香達を責めているわけではないよ? 人間は成長する過程で、いろんなものを失って、いろんなものを手に入れていく生き物だからね」


 クマさんはあろうことか、私に気を使っている。こんなに無神経な質問をした私に。


「つまりあっちの世界では、僕たちはもう死んでいるんだ。捨てられたぬいぐるみなんて死んだと同義なのさ」


 そう、だから……。


「だから僕達は、文香が本来いるべき世界には存在できない。死んだ者が呼吸をするなんて、世界は決して許しはしない。この文字の森を除けばね」


 クマさん達は、私がいた世界では死んでいるからこの文字の森から出られない。この文字の森は、さながら現世と冥界の狭間ということだ。やっと理解した。


 この森に生えている木は、全て自殺者の木。まるで墓標じゃないか? 魔法のような力が働いて、物理法則が若干狂っているのも、ここが現世ではないと考えれば納得がいく。


 持ち主を失ったここの住人達は、少しづつ壊れていく。


 当然だと思う。ここ特有の時間の経過はあれど、一貫して季節は無い。おそらく年も取らない。成長もしない。ただただ同じような一日が繰り返される。ここは現世と冥界の狭間。ここに存在する者たちは、生きることも死ぬことも出来ない半端な状態だ。そんな不安定な状態を、精神は想定していない。繰り返されるうちに、どこからか壊れ始める。疲弊していく。摩耗していく。笑ったまま死んでいく。いずれ冥界に行ってしまう。ここはそういう場所だ。


「そっか……ごめんクマさん。言いづらいことを聞いてしまって」


 私は悲しくなって、寂しくなって、涙を流しながら謝罪した。


 この涙は罪悪感からきているだけではない。この後に待っているクマさん達の言葉は、もう分かっている。予想できてしまう。私はそれを告げられるのが怖いだけ。


「気にしなくて良いよ文香。それでね……僕も本当はこんなことを言いたくは無いんだけど、文香はどうしたい?」


 ほら。やっぱり聞いてきた。私が恐れていた問い。私の答えは決まっている。それはクマさんにだって分かっているはずだ。それでも聞かざるを得なかったのだろう。私の意志で、次の一歩を決めて欲しかったのだろう。


「私は……それでも、ここに残りたい。私は皆と一緒に過ごしたい!」


 私は力強く答えた。これが間違っている答えなのは分かっている。クマさん達の次の回答も知っている。それでもこれは言っておきたかった。言葉にしておきたかった。


「そっか……そうだよね。分かってた。文香はここが好きだもんね。だけどね文香。いつまでもここにいちゃいけないんだ。あんな契約書を作ってた僕が言うのも変なんだけど、今を生きている文香はここにいちゃいけない」


 うん。分かってる。その答えも知っている。それが正しいことも知っている。


 だけど、正しいことがいつでも納得できるとも限らない。


「どうして? 別にいつまでもここにいたって……」


「ダメだよ文香。この進まない世界で精神だけ年をとっていって、あっちの世界に戻った時、文香自身は耐えられる? 寿命は体だけにあるものじゃないんだよ? 精神にだって限界があるんだ。ここは楽しいから、中毒のように抜け出せられなくなる。実際文香だって結構な時間、ここで過ごしていたでしょう?」


「でもそれはクマさんが」


「うん。僕が悪いのは百も承知だよ。初めて文香をベンチで見た時、僕は泣きそうだった。だってそうだよね? もう二度と会えないと思っていた持ち主に会えたんだから。その時の僕の気持ちは、僕自身でもコントロール出来なかった。本当だったら、すぐに帰るように説得するべきだったんだ」


 もう、責任転嫁は出来ない。クマさんのせいには出来ない。クマさんが引き止めたから、あんな契約書にサインさせたからと言うつもりが、もう言えない。クマさんの気持ちを考えたら引き止めるに決まっている。


「だけど文香は自殺をしようとしていた。このまま強引に元の世界に返して、本当に自殺してしまったら? 僕はこの森で文香の木なんて見たくなかった。だから文香の自殺を止めるためなんていう大義名分を用意して、文香とできるだけ一緒にいたいと思ってしまったんだ。本当は、もうとっくに文香が自殺なんてしないと分かっていたけれど、別れるのが辛くて、ずっと曖昧にしてた。先延ばしにしてた。ごめんなさい」


 クマさんはつらつらと語った。私をここに住まわせた経緯、その理由。だけど一番大きかったのは、一緒にいたいという気持ちだった。それが私にとって一番嬉しかったのだ。

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