「はぁはぁ」
私は今全力で走っている。自分が時間の檻に囚われていたことを知って、居ても立っても居られなくなり、家を飛び出した。私の帰省は驚くほどあっという間に終わった。
私が急いでいる理由は他にもある。
クマさん達に色々と聞きたいことはあるが、そもそもこっちで数時間過ごしてしまった。文字の森に換算すると、いったいどれほどの時間なのだろうか? ふと不安になったのだ。もしかしたら凄まじい時間が経過して、クマさん達が私のことを忘れてしまう。それに前にうーさんが言っていたことが本当なら、元ぬいぐるみ達は、持ち主と離れている時間が長ければ長いほど劣化する。そうなるとクマさんたちはどうなるの?
「急がなくちゃ!」
私は来た道をとんぼ返りで走り抜ける。私にこんな体力があったなんてと驚きながらも、暗闇の中富士の樹海に飛びこむ。似た風景の中、あーさんに貰った懐中電灯で足元を照らしながら、富士の樹海を彷徨う。
今度は死に場所を求めていたわけじゃない、今回は未来のため、何よりクマさん達に会うためにここにいる。一ヶ月前とは何もかもが違っている。
自分で言うのもあれだが、私はこの一ヶ月で本当に色々と経験し、学んで強くなった。考え方が変わった。死んだ母の気持ちも知れた。だからこそ、私はあの森に戻りたい! 仮に今まで通り暮らせなくなったとしても、あの森で出会った皆とこのままお別れなんて絶対に嫌!
「やっと……辿り着いた……」
私は湿度にまみれた、重苦しい空気を肺いっぱいに吸い込む。呼吸を整える。私の目の前にはあのゲートがある。ゲートは数時間前と何も変わらず、文字の森という名前だけを刻印し、そこに突っ立っている。
高鳴る鼓動を抑えつつ、覚悟を決める。ここを潜った時から、私の人生は一変した。今回はどうなるか分からない。まったく別の場所に行くことは無いにしろ、文字の森の中がどうなっているのかは分からない。どれだけ時間が経過しているのかも分からない。
覚悟はあるか? 罵られる覚悟は? 忘れ去られる覚悟は?
「全部……ある!」
自問自答を繰り返した果てに、私はゲートを潜った。
「お帰り文香ちゃん。どうだった?」
ゲートを潜った私を最初に出迎えたのは、闇夜に立ち尽くすあーさんだった。
「あーさん……私が出て行ってから、どれだけの時間が経った?」
恐る恐るあーさんに確認する。もしかしたら数年ぐらい経っているかも知れない。
「文香ちゃんが出てってから……五分くらいじゃないかな?」
聞いた瞬間、頭が真っ白になる。五分? たった五分? あっちの世界で確実に数時間、日が落ちて夜になる程度には時間は潰したはず。なのにどうして……。
「随分と驚いた顔をしてるのね」
あーさんは優しい表情のまま、私を見つめる。
「そりゃ驚きますよ! だってこっちでの一ヶ月が、向こうではほんの数分か、もしかしたら一瞬たりとも時間が進んでいなかったから……。もしそうなら逆の場合は、もっと時間が進んでしまうんじゃないかって……それで皆に忘れられたらどうしようとか、怒られるんじゃないかって、もしも私が軽率にここを出て行ってしまったせいで、クマさんが劣化しちゃったらって! いろいろ考えて……」
私はその場に崩れ落ちてしまった。
あーさんはそんな私を見兼ねて抱きしめる。背中をさする。頭をなでる。
「そっか……文香ちゃんは優しいね」
「……時間の流れは一体どうなってるの?」
私は泣きながら尋ねる。正直頭の中がいっぱいいっぱいで、何が何だか分からない。何が本当で何が嘘なのか、それとも全部嘘なのか。もしかしたら全部が本当で真実かも知れない。
「やっぱり見てきたんだね」
帰ってきた答えはクマさんの声だった。その声は別段普段と変わりなく、いつもの柔らかかった。
「そろそろ行きたがるだろうとは思ってたんだ」
クマさんは座り込む私の隣にしゃがむ。
「それで、どうだった?」
私はクマさんに全てを話した。
時間が経過していなかったこと。家も何もかも、自殺をしようとした時と何も変わらなかったこと。もしかしたらと思って、怖くなって戻ってきたこと。今クマさんに会えてホッとしていること。
話しているうちに体の震えが収まっていった。クマのぬいぐるみに話しかけて安心を得る。やっぱり私は子どものまま。
「クマ、そろそろ説明してあげなよ。説明をちゃんとして、お別れだ。クマの希望も叶っただろう?」
クマさんの後ろに立っていたのはうーさんだった。その少し上空をきーさんが舞っている。クマさんは立ち上がり、私の手を引いて立たせる。
「そうだね~文香はちゃんと立ち直れそうだしね。僕の願いも叶ったし」
うーさんはさっき説明をしてお別れだと言っていた。お別れ? 私が皆と? それにクマさんの叶った願いって一体……。
「ああごめん文香。何を言っているかは分からないよね? 今から説明するから、しっかり聞いてね」
私は黙って頷く。それしか出来なかった。
「あのね文香。この森と外の世界で、時間の流れが違うわけじゃないんだ。そもそも流れてない」
流れていない。時間が流れていない。流れが違うんじゃない。そもそも流れていない。それを聞いても理解が追いつかなかった。