「それで……どこまで歩くの?」
私は今若干機嫌が悪い。それもそのはずで、そんなに遠くないと言うから大した用意もせずに歩き出して、既に二時間が経過している。運動不足が極まっている私は、体のHPがガンガン減って行っているのを自覚していた。
「もう目と鼻の先だよ? 文香はもうちょっと体力付けた方が良いんじゃない? 本ばっかり読んでないでさ」
クマさんは見かねて私に運動を勧める。ダイエットを勧めてこなかっただけ、少しは成長している。というより、クマさんにダイエットを勧められるいわれはない。
それに私からすれば、逆にクマさんはもう少し本を読んだりして知性を身につけて欲しい。これは私の切なる願いで、何度か本を渡しているが、全然読まない。読まないというか開かない。手に取らない。彼が唯一開く本は、メイプルシロップ全集とハチミツ全集、それと糖質の世界という謎の資料集ぐらいのものだった。
私は返事をするのも億劫なので、黙ってクマさんの腕に寄りかかり前を見る。
「ここがそうなの?」
私の視界には、コテージと同じぐらいの大きさのキノコに扉が付いた異様な建物と、その脇を流れる、妙に水圧の強いというか、流れが傾斜の数倍速い広めの川が流れている。なんともメルヘンチックな世界が広がっていた。
「あそこの大きなキノコの中にあーさんがいるんだよ」
クマさんは超巨大キノコを指さす。よく見ると、異様に流れの速い川もそのキノコハウスの中を通っているようだ。
「家の中に川が通ってるの?」
「いやいや、あれは自宅兼職場なんだよ。僕のコテージと一緒さ」
クマさんは同じだと言うが、あのコテージでクマさんが仕事をしているのを見たことが無いのだから、全然違うと思う。あれはただの自宅兼自宅。
私の感想など露知らず、クマさんはキノコハウスの扉に向かうかと思いきや、その脇を流れている川に向かっていく。
「扉から入らないの?」
「あ~あの扉飾りなんだよね」
そんなバカな。
「じゃあどうやって入るの?」
私は至極まっとうな疑問を呈する。
「うん? このボートに乗っていくんだよ」
クマさんはボートと言いながら、直径二メートル程の薄っぺらい木を持っている。
まさかあれをボートと言っているわけじゃないよね? あれはどう見たって、ただの円形のまな板にしか見えない。しかし他にそれっぽいものは存在せず、クマさんが円形のまな板を川に着水させたことで、あれがボートであることを知った。
「さあ文香、乗って!」
「マジで言ってる?」
「マジマジ」
私は一度深呼吸をしてそっとボート(丸いまな板)に片足を乗っける。川の流れが速いので結構揺れるが、クマさんが抑えてくれているため、なんとか乗り込むことが出来た。
「クマさんも!」
「うん!」
私の掛け声とともに、クマさんはピョンっと軽くジャンプしてボートに着地する。
クマさんの手で抑えられていたボートは抑えを失い、川の水流に身を任せて巨大キノコハウスの中へと流されていく。
「あ、言い忘れてたけど、ここから激しいよ?」
「え!? 激しいの?」
「だからしっかり掴まっててね~」
「キャーーーー!!」
クマさんのちょっと遅いアドバイスの直後、私達を乗せたボートは急降下を見せる。信じられないほどの角度で流れ落ちていく。そこら辺のジェットコースターよりも遥かに怖い。速さも角度もそうだが、このジェットコースターには身を守るベルトが無いんだもん!
一通り滑った後、ボートはゆっくりと川を登り始めていた。まさにジェットコースターそのものの挙動を見せている。
「目の前にキノコハウスがあったから、普通にまっすぐ進むかと思ったのに」
運動に引き続いて絶叫系も苦手な私は、ついつい愚痴る。私は納得いかない。目の前に目的地であるキノコハウスがあったのに、どうしてここまで乱高下をしなければならないのか。
それと、流れが速いだけの川のはずなのに、どうして当たり前のようにボートが川を登ってるんでしょうね? 文字の森のことだから、きっと真面目に考えても無駄なのかも知れないけれど、そこんところも含めて納得いかない。ちゃんとこの上昇タイムで、きっちり恐怖感を煽ってくるし……。
「次くるよ」
クマさんの指摘に前を向くと、川は前ではなく下に続いていた。
「ギャーーーー!!」
さっきよりももっと必死な悲鳴を響かせながら、私とクマさんを乗せたボートは一心不乱に川を下っていく。あまりの落差に、私の内臓が体内でひっくり返ったように錯覚した。冷たい水飛沫はあっという間に背後に抜け、水を切ってボートはひたすらに下り続ける。一回目の下りとは、長さも角度も速さも段違いだった。
「はぁはぁ……」
ようやく水流の流れが穏やかになり、ボートは長い長い下りを走り抜けた。ゆっくりと進むボートの上で、私は呼吸を整え、体内で散らかった内臓たちが元の位置に戻るのを待っていた。
「文香怖がりすぎだよ」
クマさんは私の背中をさすりながら、呑気そうにしている。
そりゃクマさんは慣れているかもしれないけど、私は初めてで、しかもこんな風だとは聞いてないんだから怖いのは当たり前。
内心で文句を一通り言った後、人が歩くほどの速度でゆっくりと進むボートの上から、冷静に周囲を見渡す。
ここはどうやら洞窟の中、というよりも下った距離的に半分地下のようで、天井を見上げると、暖かい無数のランプに照らされた岩壁が顔をのぞかせる。左右の陸地には地面に突き刺すタイプの看板の元に、ロープで縛られた木達が纏められている。それ以外には何もない。本当に看板と縛られた木だけ、それ以外には何も見えない。
「薄暗くてあまり奥が見ないね」
「大丈夫。もうすぐだから」
クマさんがそう言った矢先、何かにぶつかった音がしてボートは急に停止した。