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第二十七話 拝啓、再会 1

「どうすれば良いの?」


「簡単だよ。木を切る瞬間、僕の手を握っていれば良いのさ」


 クマさんの手を握った私は黙って頷く。頷いた私を見て、クマさんはお馴染みの斧を取り出し、片手で構える。


 私の中で緊張が走る。胸の動悸が止まらない。一度深呼吸をして落ち着く。


「本当にやるよ? 大丈夫だね?」


「うん」


 クマさんは過剰とも思えるほどに念を押す。クマさんはこの木が、どういうものか知っているのではないかと疑ってしまう。


 それでもここまで来て引き返すことはしたくない。


 クマさんは特有の能力である、一太刀で切れる斧を発動し、きーさんが突っついていた木を切り倒した。


 切り倒した瞬間、クマさんの手を通して私の中に電流が走る。青い稲妻が頭の中に落ちたような、なんとも形容しがたい感覚。そして一瞬にして体験する。




「本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


 私は気づけばそう口にしていた。しかしその声は私の声ではない。誰の声だろう? 確実に私の口が動いているはずなのに、私の口から出る声は別の女の声。謝罪の言葉を永遠に口にし続ける。


 そして視界の先には大木とそこにかけられたロープ。


 ああそうか。自殺の方法は首吊りだったのか。


 大木を前にしながらも、ずっと「ごめんなさい」というワードを吐き出し続けている私の口。聞いたことがあるようで、それでも私の声ではない。非常に聞き覚えがあって、懐かしい気持ちにさせる声。私はよく知っている。知っている。知っている……。


 知っているからこそ、この声は私の口から発せられるはずがない声。


 お母さん?


 そうだ。これは私を残して自殺してしまったお母さんの声だ。それが私の口から発せられるということは、目の前に大木とロープがあるということは、つまりそういうことなんだろう。


 私は今お母さん本人になっているのだ。もっと言えばお母さんの死に際を追体験しているのだ。つまりあの木はお母さんの木で、お母さんの木を切ったクマさんの手を通じて、彼女の最後を体験しているのだ。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」


 私は狂ったように、繰り返している。私というよりもお母さんか。ひたすらに謝罪の言葉を口にしながら、それでもロープに手をかける。その動作は止まらない。完全に覚悟が決まっているのだろう。私を置いて逝ってしまったお母さん。私は貴女は、どのような気持ちだったのか、ずっと分からなかったけれど、こんな気持ちだったんだ。


 胸が張り裂けそうで、心が割れそうで、心臓が破裂しそうなこの気持ち。こういう気持ちでしたなんて、一言では到底言い表せれない気持ち。


 考えてみれば当然だった。娘を残して自殺する母親。一般的に見れば、酷い親だろう。残された私もそう思っていた。でも今当事者として、追体験して初めて分かるこの感情。自殺の理由はいくらでもある。でも、一方的にお母さんを責める気持ちには到底なれなかった。


 そしてお母さんになり切っているからこそ分かる。文字の木となった姿は”子”ひたすらに、残してしまった私への懺悔と後悔と心配……。それらが入交いりまじり、気がおかしくなる。それくらいお母さんの気持ちは、想いは、私に向いていたのだ。


 そしていよいよお母さんがロープに首を通すかと思われた瞬間、私は誰かに背中を押された。その直後、お母さんの視点から外の世界に放り出される。後ろから強く押された私は、お母さんの体から抜け出て、お母さんの前に転がり込む。後ろを振り向くと、今まさに自殺をしようとしているお母さんを見ることができた。


 私を押したのはクマさんに違いない。だって背中を押した手の感触は、どう考えても大きなぬいぐるみのものだったから。


 そんなクマさんの計らいで、私は久しぶりに母親と対面することになる。


 私はゆっくりと立ち上がり、お母さんを見つめる。


 彼女は彼女で、驚きのあまり固まっている。しっかりと私が見えている。でも知っている。これは過去に戻ったわけではない。彼女の記憶の中にお邪魔している状態だ。今さらどう足掻いたところで、お母さんの死が無かったことにはならない。


 お母さんと私は記憶の中の富士の樹海で、見つめあっている。固まっている。てっきり記憶を垣間見る程度だと思っていた私は、彼女が私を認識出来るとは思ってもみなかった。いくら記憶の中のお母さんだとしても、彼女は偽者ではない。本当に私、切株文香の母親本人なのだ。


 私は目頭が熱くなるのを感じた。熱い目元から冷たい雫が流れる。ポツポツと続く雨のように、ゆっくりと頬を濡らす。


 私がこの森にやって来て少し経ったころ、富士の樹海で自殺した人の木があると知った時点で、少し期待をしていた。お母さんの木もあるのではないかと思っていた。


 だから私は誰に出すでもなく、ただ自己満足のために”私から母への手紙”を書いたのだ。書いたあの手紙は、コテージの私の引き出しの中にある。


 その手紙の中で私は、最後にこう書いていた。


「もう死んでしまった貴女に返事は書けないでしょうが、どうもこの森では貴女に会える予感がしています。それではまた。

                           貴女に愛されなかった娘より」




 まさか本当にこうして対面する日が来るとは思わなかった。ちょっとの期待はあった。ちょっとの希望はあった。だけどそれが本当に叶えられるとは、思わなかった。そして私の手紙の最後


 ”貴女に愛されなかった娘より”


 この言葉が完全に間違っていることを、さっき私は知ってしまったのだ。お母さんは私を愛していないわけではなかった。むしろその逆だ。愛していなければ、申し訳ないと思わなければ、死んだ後に残る木の形が”子”になることなどあり得ないのだから。

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