「今はどんな感じ?」
私はクマさんに進捗を尋ねる。
「ちょうど半分くらいかな? 見てごらん」
クマさんの指し示す先には、一カ所をしこたま突っつかれた木がそびえ立つ。突っつかれた箇所が半分ほど抉れている。完璧に半分だけ残して休憩に入っているみたいだ。
ここまで正確だと、本当に全自動ハンマーなのでは? と思わなくもないが、私は知っている。きーさんのあれは、全自動ハンマーではなく、全手動ハンマーである。
昨日の悪い者を発生させた原因だと思われるこの木は、前に切った木よりもまだ文字の森らしさを残している。つまりただの巨木ではなく、まだ文字の形にも見える。何の字なのかじっと見る。見続ける。そして薄っすらとだが、見えてきた。これはあの文字だ。
「これって、子?」
「うん。そうだろうねたぶん」
「たぶん?」
クマさんは、切った木の元になった人間の記憶やら想いが流れ込んでくるはずだ。たぶんとはどういう事だろう?
「だって、僕はまだ切ってないもん」
そうでした。クマさんはこの大きさの木は切れないんだ。じゃあ、この木の記憶を知る手段は無いということになる。
「この木……気になる?」
クマさんは私の揺れ動く心の内を分かっているかのように、そう尋ねる。
内心、私はこの木の記憶が気になった。あの悪い者の視線、子という文字の木、私はなんとなくこの木が気になっている。このまま切り倒してしまって良いのか、少し悩んでいる自分がいる。
「……ちょっと気になる」
「そっか~じゃあ切ろうか?」
「え? 切れるの?」
「まだこの状態だったら、きーさんが切り倒した後になら切れるよ。普通の大きさになってくれればね」
どうやらこの木はまだイケるらしい。かろうじて文字の形を保っている木であれば、クマさんでも手出し可能らしい。それだったらお願いしよう。この木の記憶は是非知りたい。
「じゃあお願いしてもいい?」
「文香が言うなら勿論!」
クマさんは簡単に了解してくれた。でもここで一つ気になるのは、子という木を切った場合、どんな能力が宿るのだろう? いまいち分からない。想像もつかない。
私のお願いを聞き届けたクマさんは、休憩が終わって再び木を突っつき続けているきーさんを眺めている。私も妙な胸騒ぎを抱きながら、クマさんの隣で見守る。
子という文字の木……。普通に考えれば子ども関係の悩みで自殺したか、それか子どもを残して自殺してしまった後悔だろう。もしかしたら全然想定外のことかも知れない。それでも、私の胸中に渦巻く不安は拭えない。嫌な予感は尾を引き続けている。
「よし! 終了っす!」
そのまま数時間後、きーさんのその一声で我に返る。どうやらボーっとしてたみたい。
クマさんはきーさんの元に駆け寄り、何やら話している。疲れたきーさんを労わっているのか、それとも全く関係ない話だろうか? 何はともあれ今の私にしてみればどうでも良い話だ。今の私にとって最大の関心事は、間違いなくこの木なのだから。
「きーさんお疲れ!」
私は最大の功労者であるきーさんに声をかける。これからクマさんにこの木を切ってもらうにしろ、きーさんがきっちり仕事をしてくれたお陰なのだから。
「うっす先輩! おいらはもう帰るっす!」
きーさんはそれだけ言い残し、空高く舞い上がっていく。
あれ? そんなあっさり?
「僕からきーさんに早く戻って休んだ方が良いと言ったんだよ。これからのことは、僕と文香だけの方が良いかなってね」
クマさんは、私の口に出していない疑問に答える。私、そんなに分かりやすいかな? クマさんにまで伝わるほどに。
「それってどういう事?」
なんでクマさんと私だけの方が良いと思ったのだろう? これからクマさんが木をいつもの調子で切って、子という文字の木の中身を、私に伝えるだけなのに……。
「実はね、僕の中に流れる木の記憶を見せてあげる手段があるんだよ」
クマさんはとっておきと言わんばかりに目を輝かせている。新手の宗教か、あやしい薬をキメてしまったかのように目が
「え!? そうなの?」
私はクマさんの目力に若干引きつつも、興味がそそる。
木の記憶を垣間見る。それはどういう気持ちだろう? クマさんはずっとそれを一人で味わってきた。人の人生の追体験。それも自殺者のものなのだから、基本的には辛い体験になるはずだ。それを味わう覚悟が私にあるか? 本当にあるか? 人様の生き様を、私のような小娘が覗くのは正しいことなのだろうか?
「うん。文香はどうする?」
クマさんは試すような口ぶりで、私に手を差し伸べる。
この手を取るということは、クマさんの提案を了承するということに他ならない。ここで逃げるのは簡単だ。私には他人の人生を追体験する義務はないし、ここで拒んでもクマさんは何も言わずに笑ってくれるだろう。
でもそれだと私のこの嫌な予感は拭えないまま……。きっと私に伝え難い内容は、クマさんは黙ってしまう。きっとそうだ。クマさんは優しいから……私が不安になるような内容は絶対に教えてくれない。だったら……。
「お願いするね。クマさん!」
気づいたら私はクマさんに差し伸べられた手を握っていた。