悪い者に遭遇した翌日、昨日地図を作るために散策していた私達四人は、コテージのダイニングテーブルの上に広げられた地図を眺めていた。
「思ったよりも地図が出来てるね」
私は感想を口にする。突然の雷雨。悪い者の出現を知らせる悪天候により、私とクマさんは勿論のこと、うーさん達もいち早くコテージに戻っていた。しかしそれにしては地図の完成が早い。まだまだ二つの方角しか埋まっていないが、それでも徒歩で行ける距離としては、なかなか良いラインまで埋まっている。
「昨日お嬢ちゃん達が遭遇した悪い者の木はあったのか?」
うーさんが腕組をしながら尋ねる。うーさんは深刻な雰囲気を発しているが、実際そんなに深刻ではない。コテージの中に居れば襲われないし、木は見つかっている。
「ここにあったよ」
私は地図を指し示す。指の行き先は、コテージから見て右側の端っこだ。
「今日は僕ときーさんでこの木の対処をしてくるよ。また出てきたら厄介だしね」
クマさんと、彼の肩にとまっているきーさんは胸を張る。
僕とキーさんでなんて言いつつも、実際はきーさんがひたすらに木を突っつくだけだろうに……。
「クマさんは何をするの?」
「え? 応援かな?」
ブルーシートを敷いてくつろいでいた時よりはマシになった気もするが、それって意味があるのかな? まあでもチアリーダーとかいるし、応援も大事かもね。そうだよ、きっとそう。
「私はコテージの裏手側の探索に行くけど、お嬢ちゃんはどうする?」
うーさんは真っすぐ私を見る。
「私は……クマさん達の方について行くよ。あの木ちょっと気になるんだ」
「そうかい。じゃあ私はもう行くよ」
うーさんはそう言ってコテージを後にする。
ごめんねうーさん。一人にしちゃって……帰ったら大根料理でも振舞うよ。
心の中でうーさんへのお詫び方法を決定した後、私は昨日の事を頭に思い浮べる。悪い者の姿、雰囲気、オーラ。そしてクマさんのことは完全に視界に入っていないような、あの視線。もしかして私が狙われている? 無差別に近くの者を襲うものだと思っていたけれど、昨日のあの感じは、完全に私を狙っていたように感じた。
それに今思い返せば、一番最初に悪い者が現れた時、クマさんは妙に私が外に出るのを拒んでたし、私の口だけを塞いでいた。
初めて悪い者と遭遇したから、対処方法を知らない私のためにしたことだと思っていた。もしくは、私を特別視してくれているクマさんの好意かとも思っていた。
だけどもし、あの悪い者の狙いが私であることをクマさんが知っていたら? それを承知の上でのあの行動だとしたら?
クマさんは性懲りもなくブルーシートを用意している。いつもと変わらないその後ろ姿、クマさんは人を騙すようなクマではない(人ではないと言おうと思ったけど、本当に人じゃなかった)私を怖がらせないように、あえて黙っているとしたら?
「文香もそろそろ行くよ~」
クマさんは私の内心などお構いなしで、いつものペースでコテージを出発する。
「ちょっと考えすぎかな?」
一人残されたコテージで呟くと、私は急いでクマさん達の後を追う。
今ここでうじうじ考えたって仕方ない。もしかしたら全ては今日分かるかもしれない。あの木を切り倒す時、もしくはその後。
私達が歩き始めて小一時間、ようやく目的地付近に到着する。
出発前の杞憂は何処へやら、私はただただシンプルにこの小一時間のハイキングで、死ぬ一歩手前まで体力を失っていた。ゆっくりとした散歩とはわけが違う。クマさんは、疲弊している私が着いて来ているかだけは確認しているが、一向にその速度を緩めない。私とクマさんではそもそも歩幅が全然違うのだから、多少は加減してくれないと、こっちばかりしんどくなる。
女の子の歩幅を気にしないでぐんぐん進むと、モテないということをクマさんに教えてあげよう。
そう決意した私は、しかしクマさんが敷いたブルーシートの上に横たわっていた。
そっちの気遣いは出来るのか……私は疲労感で力が入らない体をブルーシートに投げ捨てながら、そんな感想を抱く。
汗で濡れた顔を撫でるそよ風が心地良い。空を見上げれば昨日の雷雨が嘘のような晴天だ。悪い者が出ない時は、本当にほとんど雨が降らない。不思議なことに。
もう少し体力をつけなくちゃ……若干の危機感を憶えつつも、余りの気持ちよさに私はゆっくりと意識を手放した。
「文香~そろそろご飯だよ~」
私はそんなクマさんの声に起こされる。
目覚めればそこはブルーシートの上、私の作った憶えのないサンドイッチがバスケット一杯に詰まっていて、きーさんがそれを黙々と突っついている。
「これ、クマさんが作ったの?」
「そうだよ~きーさんのお仕事への対価を兼ねてね」
前回私に言われたことをきっちり理解して、休憩と対価を支払うようになったらしい。それが見合っているかは別にして、そこはキチンとやるつもりらしい。
なんだかんだ律儀なクマさんである。
私はバスケット一杯に詰まったレタスサンドを手に取り、一口食べてそっとバスケットに戻す。
「あれ? お腹空いてないの?」
クマさんは不思議そうに私の顔を覗き込む。
「う、うん。今は良いかな。ありがとう」
私は誤魔化した。誤魔化しますとも。気持ちで作ってくれたのだから、マズいなんて言えるわけがない。きーさんが黙々と突っついてる理由も分かった。突っついてるだけで食ってないな、あのキツツキ。
さっき食べた一口が、まだ残っている。
なんでレタスサンドからハチミツと洗剤の香りがするのか理解できない。
「いつも文香の作ってるところ見てたからな~」
そう言ってモグモグしているクマさんはなんとも無いらしい。私の作ってるところを見てたのなら、こんな味にはならないはずだけど? 私は絶対にレタスを洗剤で洗わないし、ハチミツをレタスサンドには入れない。
「クマさん、今度一緒に料理しようか」
私は引き攣った笑顔で提案する。
これ以上、クマさんの善意によって被害者が出ないようにしなくてはいけない。