「残念ながらハイキングです」
私は言葉とは裏腹に張り切って宣言する。
きーさんで楽しよう作戦は、残念ながら気を利かせた? 地図の性能によって頓挫してしまった。私たちが欲しいのは地上の地図であり、空中の地図ではない(”地”図なのだから地上だけにしとけよ)。
先ほどの空中散歩で疲れたらしいきーさんは、うーさんの肩に止まっているため、うーさんきーさんチームと、クマさんと私チームで動くことにした。とりあえず、コテージのドアから見て右手に私とクマさん。反対側をうーさんチームが請け負うことになった。
「もし怪しい木を見つけても何もしないように」
うーさんは主にクマさんに忠告する。
とはいえクマさんに出来ることといったらトラロープするぐらいで、基本的にはきーさんの全自動ハンマー(ただの手動の突っつき)に全てが懸かっている。
「それじゃあ出発!」
ここは一応文字の森の管理人であるクマさんの号令の下、森の散策ハイキングがスタートした。
「ちょっと休憩しない?」
出発して一時間ほど、運動不足の私の限界が訪れていた。平坦ではあるが、時折隆起した木の根っこが私の足元を虎視眈々と狙っている(私の錯覚)状況下で、一時間も歩き続けた私の根性をまずは評価してほしい。
「文香、もう少し運動したほうが良いね~」
私の半歩先を行くクマさんは若干あきれ顔になりながらも、渋々止まってくれた。
ちょっと休憩と言い出しておいてあれなのだが、ここには当然イスもなく、切り株もないので座るところがない。地面に座り込むのも、一人のうら若き乙女として気が引ける(自分で言ってて若干恥ずかしいけど)。
「乗る?」
そんな私を見兼ねてなのかは分からないが、クマさんはまるで車を持っているかのような誘い方をして来た。
「どういう意味?」
「だって疲れたんでしょう? きーさんだってうーさんの肩に乗っているわけだし、文香も僕の背中に乗るかな~って」
クマさんは当然でしょ? ってな具合に背中を向ける。
「あのね~クマさん。人間はそう簡単に他人に乗らないんだよ? 乗るのは小さな子どもぐらいだよ」
私は前にクマさんと約束した通り、クマさんに人間について教える。珍しくクマさんに教えることが出来たと、若干鼻高々になっている自分に嫌気がさす。それでも私だって、役に立つのだということを示せて良かったと思う。今回ばかりは私のいう事にぐうの音も出ないだろう。
「う~ん。でもさ、文香が僕を捨てた時って子どもだったよね?」
うっ! ちょっと痛いところを突いてきたけれど、それは事実だから私は黙ってうなずく。
「その時僕に乗れていないから、その時の乗る権利というのはまだ残っていると思うんだよね~それに、僕にとっては文香は文香。大きくなっても小さくなっても、仮に死んでしまったってそれは変わらないよ?」
ぐうの音も出なくなったのは私の方だった。
クマさんの中での私には、時間の概念が無いのか……どうりで嚙み合わないはずだ。クマさんにとっては私は、あの時クマさんを捨てた私のままなのだ。
「じゃあ……お願いします」
私は心底この場に鏡が無くて良かったと思う。きっと信じられないくらい顔が真っ赤だろうから。それを知らずにクマさんに甘えられる。
「文香、顔真っ赤だよ? 熱でもあるの?」
「無いよ。いいから進んで!」
私は余計な一言を放つクマさんに飛び乗り、膝で軽く蹴りを入れて前に歩かせる。
これでは、一体どっちが捨てられたのか分からないぐらいだ。私はクマさんに何を期待してるんだろう? 体が大きくて優しいから、無意識のうちに死んだお父さんを重ねているのかな?
でもそれはお父さんにも、クマさんにも失礼な話だ。もう考えない。クマさんはクマさんだ。いつもちょっとズレてて、一言多い天然の、体の大きいタオル地のクマさん。それ以上でも以下でもない。
クマさんは軽く苦笑いを浮かべて歩き出した。
そうして歩くこと十数分……立ち止まったクマさん。クマさんの背中から降りる私。何故なら私達の目の前には、この前きーさんに突っつき倒してもらった木と同じか、それ以上のサイズの大木が育っていたから。
「これは……マズいかも」
珍しくクマさんが本気のトーンで話す。おふざけが一切ないという事は、本当にマズいのかも知れない。
「クマさん、とりあえずトラロープを……」
私がそう言い出した時には、すでに上空にドス黒い分厚い雲がかかっていた。普段は吹かない生ぬるい風が体をなぞり、濃い雨の匂いが鼻にくる。この森では基本的に激しい雨は降らない。激しく降るときは、決まって悪い者が出現するときだけだ。
「文香! 走るよ!」
クマさんは、呆然と立ち尽くす私の手を、強引に引っ張って走りだす。行き先は当然あのコテージ。あの中には悪い者は入ってこられない。
「ここから、コテージまで……逃げ切れるの?」
私は息も絶え絶えになりながら、私の腕を引くクマさんに問いかける。
コテージからここまで軽く一時間以上歩いてきている。帰り道も当然その距離は変わらない。
「でも、他に逃げる先がない!」
クマさんは酷く焦った声で答える。
今まで聞いたことがない声。本当の緊迫感。私はそれっきり黙る。少しでも酸素を節約しなければいけない。
しかし全力で走る私達の努力を裏切るように、ポツポツと大きな雨粒が地面を濡らし始めた。