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第九話 うーさんとクマさんと私の生活基盤 1

 もう一週間です。私が自殺を決意し、富士の樹海に入ってからもう一週間。私は今、富士の樹海のさらに奥地にある、文字の森に住んでいます。でも私一人では無く、クマさんやうーさんと一緒です。


「私……何してるんだろう?」


 朝目覚めてベッドの上で横になりながら、眼鏡に手を伸ばして視界を確保する。そして冷静に今の状況を考える。


 やっぱり私……何してるんだろう? 


 自殺をしようとしていたはずなのに、ここでクマさんに出会ってからというもの、その決意も霧散し、今ではクマさんとうーさんと共に楽しく過ごしている。しかもクマさんは私が昔捨ててしまったぬいぐるみで、うーさんも誰かに捨てられた元ぬいぐるみのウサギさん。


 こんなひとけの無い深い深い森の中、ぬいぐるみ達と一緒に暮らす生活。もう森の外には戻れないけれど(戻る気も無いけど)お父さんやお母さんが知ったら驚くだろうな~。


 そんなくだらないことをベッドの上で考え出してしまい、結構な時間を無駄にしてしまった。まあ、別段仕事があるわけではないし、何かに急かされる事もない。あれ? 案外幸せ?


「でもそろそろ朝食の準備をしないとね」


 私は起き上がり、長い黒髪に櫛だけ入れてから寝室を出て一階へ。


 朝食の準備と言っても、私が食べる用の大根料理をするだけだ(うーさん用に育てたやつが多すぎた)クマさんは基本、朝はハチミツしか食べない。


「おはよ~」


 私が一階へ降りると、クマさんはテーブルに座ってハチミツの入った壺を覗き込んでいた。


「何してるの?」


 朝っぱらから壺を覗き込んでるクマさんに声をかけると、クマさんはようやく私に気がついたのか、こっちを向いた。


「文香おはよ~。ハチミツがなくなっちゃったから、ちょっと補充してくるね」


 クマさんは私にそう言うや否や立ち上がり、壺を抱えてコテージを出て行ってしまった。


 そういえばハチミツってどこで補充しているんだろう? この近くにそんな大きなハチの巣なんてあったかな?


 気になった私は、壺を抱えて出ていったクマさんの後をつけることにした。


 クマさんは、コテージを出てからまっすぐに、畑とは反対方向の森の中へ入っていく。一切迷わないところを見ると、やっぱり探しに行くというよりも調達しに行く感じなのかな?


 そのまま森の中を歩き続けること十数分……ようやく立ち止まったクマさんの目の前には、私の背丈の三倍はありそうな超巨大な養蜂箱が置かれていた。


「いくらなんでもデカくない?」


 テレビで見たことがあるのは、大体人の体の半分くらいのサイズだったはず。なのになんなのあの大きさ。しかも三倍くらいなのは高さだけで、横に回って見てみると奥行きがある。奥行きもかなりのもので、五メートルくらいはありそうだ。最早養蜂箱というよりも立派な小屋だ。


 そしてクマさんは、いつものウエストポーチから鍵を取り出し「不」の木で作った南京錠を開けた(というか何個も作ってたのねあのクマ)


 鍵を開けたクマさんは、何故か口を大きく開けて深呼吸をすると「よし!!」と口に出して気合いを入れて顔を叩く。


 養殖しているハチミツを取り出すだけなのに、なんであんなに気合い入れてるんだろう?


「あ~あの中は危険だからだよお嬢ちゃん」


 不意にかけられた声に驚くと、いつの間にか隣にうーさんがいた。


「いつの間に……」


 うーさんは大根を両手に握りしめて立っている。時折大根を齧ってかじっては渋い顔をする。


 食べたことないから分からないけど、生の大根って苦いよね。というかやっぱり本当は好きじゃないんじゃないの? キャラつくりに必死過ぎるでしょ!


「うーさん。どこが危険なの?」


「まあ見てれば分かるよお嬢ちゃん」


 うーさんは、私の呼び方を人間の女の子からお嬢ちゃんに変更し、そこで固定している。どうもうーさんの中では、お嬢ちゃんが一番しっくりくるらしい。


 私は、養蜂箱のドア(なんで養蜂箱にドアがあるのか謎だけど)を開いて中に入っていくクマさんを見守る。



「ぎいゃあああああ!!!」


 クマさんが中に入って数分後、中から途轍もない悲鳴が聞こえてきた。


「え!? なになになに!? ちょっとうーさん! クマさんどうしちゃったの?」


 私は、今まで聞いたことがないほどのクマさんの悲鳴に動揺を隠せない。だってあんな声普通出ないよ? ハチミツ取りに行ってあんな声出さないよね?


「大丈夫大丈夫……まあ大丈夫では無いかも知れないけれど、死なないし、クマの奴も分かって行ってるから」


 うーさんの返事を聞いてさらに不安になる。


「ちょっと私行ってくる!」


「待ちなさいって! 今お嬢ちゃんが行っても何にもなんないよ!」


 うーさんは手にした大根で私の足を叩く。大根の用法間違えてない? まあ冷静に考えたら、私が行ってもどうにもできないけど。



「ぎいゃあああああ!!!」


 そうして思いとどまった直後、またもや養蜂箱の中から悲痛な叫び声が聞こえてきた。


「本当に……大丈夫なのよね?」


「う、うん。そのはずだ。今まで帰って来てたし」


 今まで帰って来てた? そんな命懸けなの? じゃああんまりというか、全然大丈夫じゃないじゃん!


「やっぱり私も行く!」


「こら待ちなさい!」


 私はうーさんの静止も聞かず、うーさんが手に持っていた大根を蹴り飛ばして、超巨大養蜂箱に向って走りだす。これ以上は聞いてられない! せっかく再会したクマだもん! こんなところでお別れなんて嫌だから!


 私があとちょっとでドアに手が届くと思った時、ドアが内側から開けられ、中から壺一杯のハチミツを抱えたクマさんがニッコリとした顔で出てきた。


「クマさん……大丈夫なの?」


「え? 僕? 大丈夫大丈夫何も問題無いさ」


 クマさんは涼しい顔でそう言っていたが、笑顔とは裏腹に、額から冷や汗が滝のように流れているのを私は見逃さなかった。


「中で何してたの?」


 私は問いただす。あんな悲鳴があがるところをもう聞きたくない。


「嫌だな~見れば分かるでしょ? ハチミツ取って来たんだよ」


 確かにそうだよね。見れば分かる。クマさんはハチミツを取りに養蜂箱に入っていった。それは分かるよ?


「そうじゃなくて、何をしたらあんな特大の悲鳴をあげるのか聞いてるの!」


「え……もしかして聞こえてた? 恥ずかしいな~」


 クマさんは悪びれもせず、頬を染めて顔を逸らす。


 照れてる場合か!!


「恥ずかしがってないで答えなさい!」


「なんか文香怖いよ?」


「いいから! とっとと答える!」


 一体私がどれだけ心配したと思ってるの? 心配ないと言っていたうーさんまでハラハラし始めてたし。


「そいつは言えないな~」


「はぁー!?」


 クマさんはそう言い残して、戦利品のハチミツを大事そうに抱えてコテージに向かって戻っていった。

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