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第五話 文字の森のルール、契約書 3

 クマさんに続いてコテージに入ると、中はだだっ広い大きな一部屋になっていて、ドアから右手にはアイランドキッチンが設置され、左手には二階へと続く螺旋階段が。ドアから見て正面には細長いダイニングテーブルが置かれ、その周りには椅子が六脚置かれている。


 そしてダイニングテーブルの先には、三人掛けのソファーが小さな丸テーブルを挟んで二つ置かれ、その先はベランダになっている。そしてキッチンとソファーの間の壁にはレンガ造りの暖炉がある。


 この部屋全体に言えることは、基本的には木造で(コテージなのだから当たり前)テーブルや椅子は、全て手作り感満載の出来栄えとなっている。


「すごーい!!」


 私は興奮冷めやらんといった具合で、コテージを見て回る。外観からは想像できないほど豪華な造りをしている。それでいて棚やキッチンの壁には、いくつもの調理器具や、用途不明のアイテムがぶら下がり、クマさんの掴みどころのないキャラクターがよく反映されていた。


「よ~しじゃあ契約書だ!」


 私が喜んでコテージの一階を散策している間に、二階へと消えていたクマさんが一枚の紙、それもおそらく羊皮紙を片手に降りてきた。


「そこに座って~」


 クマさんは私をソファーへと誘う。私達は机を挟んで向かい合わせに座り、クマさんは私に羊皮紙を見せた。


 羊皮紙にはこう書かれている。


『文字の森での永住権獲得方法と、その契約書』


 文字の森での永住権? 永住権!? 私ここに永住するの? いつのまにそんな話に?


 私が頭の中でパニックを起こしていることも知らないで、クマさんは早速といった具合に羽ペンまで用意している。


『文字の森での永住権獲得方法は簡単で、ここの管理人であるクマさんのお手伝いをしましょう。以上』


 羊皮紙の永住権の項目を見ると、それだけが書かれていた。永住権簡単すぎないかな? ようするに、クマさんのお手伝いさえしてれば良いってことだよね? でも何をすれば良いのか分からない。とりあえず契約内容についても読んでみる。


『契約内容……この羊皮紙にサインをしたということは、あなたがこの文字の森の管理人候補になったことを意味します。管理人になるにあたり、いくつかの約束事がありますのでご確認ください。


その一 文字の森の存在を誰にも知らせてはならない。そう、誰にも。

その二 文字の森の管理人はここから出ることを禁ずる。そう、絶対に。

その三 そのかわりここにある物は(コテージや木も含む)なんでも使ってよい。そう、なんでもね。

その四 文字の森に住む仲間たちと仲良くしましょう。そう、仲良くだよ』


 ざっと読むと契約内容はそんな感じだった。とりあえず契約にサインすると、ここの管理人候補になれる(させられる)らしい。後半の四つの約束事についても、二つ目の外出不可以外は割とまっとうな気がする。


 ただそれぞれの約束事の後に続く念押しが、若干ムカつくけど仕方ない。ここは人外が支配する文字の森。人間社会の常識なんて通用しない。


「さあサイン!」


 クマさんはルンルン気分で私に羽ペンを渡す。


 なんで契約する流れになっているんだろう?


「私契約するなんて言った?」


「でも文香には帰るところがないんでしょ?」


 クマさんは温和な表情のまま痛いところをついてくる。私にだって帰ろうと思えば誰もいない家はある。だけど私はここに死にに来たんだ。誰も私の生存を望んでいない。望んでいた人達は皆消えていった。


「私は……」


 私が意を決してここに来た理由を告げようとした時、クマさんが急に立ち上がった。


「自殺なんてしちゃダメだよ?」


「え……なんで?」


「文香は僕のことを忘れちゃったんだね。八年も前のことだから仕方ないかな?」


 八年前。クマ。タオル地……私が忘れていること?


「ねえ文香。君はまた僕を捨てるの?」


 クマさんのさっきまでの明るさはどこかに消え去り、その大きな瞳をウルウルさせている。止めて欲しい。私までもらい泣きしそう。


「何を言ってるのか全く……」


 そこまで言いかけて思い出した。


 私が小学生のころ、親友だった美香ちゃんと喧嘩をして、その時に彼女から貰ったクマのぬいぐるみを、森に捨てたんだ。喧嘩の内容はどんなだったっけ? 今思えばどうでもいいような事だった気がする。


 確かその時にお母さんに強烈に怒られた記憶がある。当時の私の気持ちとしては、私だけが怒られることに不満を感じていた。だけどそうだ。このクマさんにどこか見覚えがあるとは思っていたけれど、まさかそんなこと……。


「思い出した?」


 気づけばクマさんは私の顔を覗き込んでいる。よく見れば、クマさんの右耳の後ろに小さなタグがついている。


 私が背伸びをしてそのタグを見ると、そこには油性のマジックペンで文香と書かれていた。


「そんなこと……」


 私はそのまま声が出なかった。懐かしさが胸いっぱいに広がり、視界は涙で歪み、やがてぽたぽたと床に零れる。こんな気持ちは久しぶりだ。美香ちゃんがあれからどうしているかは分からない。お母さんもあれ以来、一度も美香ちゃんのことを口にしなかった。


「本当に……ごめんなさい。あの時捨ててしまってごめんなさい。もう私はクマさんを捨てない。絶対に捨てないから……」


 私は泣きながら目の前のクマさんに抱きついた。


 あの時はまだ手で持てる程度だったのに、今ではこんなに大きくなって……。


 いくらなんでも大きくなり過ぎな気もしないでもないけれど、細かいことは気にしない。 


「サインするね」


「本当?」


「うん。もう捨てないし、死なない」


 私は死ぬのを止めた。お父さんが死んで、お母さんが死んで、私は少し自暴自棄になっていたように思う。


 だからこそ、こんなふざけた現状を受け入れることが出来たのかも知れないけど、それでも私が捨ててしまったクマさんが目の前にいて(それもかなり成長した姿で)そんな彼とまた一緒にいられるのなら、私はこの契約書にサインする。


「これからよろしくねクマさん」


「こちらこそよろしく~文香」


 こうして私とクマさんの、のんびりスローライフが幕を開けた。

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