「ここかい? ここは文字の森だよ?」
「それは知ってます!」
なんだかおちょくられているような気がする。だけどクマさんは、何も悪びれることなく話を続けた。
「ここは文字の森。富士の樹海で自殺した人間たちの最後の後悔や執念が、木として生える森。ある意味墓場だね。そしてここに生えている木は、彼らの最後の想いが一文字となって具現化したものだ」
クマさんは饒舌になって説明し始めた。
それにしても自殺した人の最後の想いか……自殺するくらいなのだから、その想いは普通の人よりも重いだろう。そしてその想いを一文字で表したのが、この森の木々ということ。確かに文字の森という名称はあっている。
「それじゃあさっき切ったあの木は……」
あの木は「不」という文字にも見えた。「不」どういう意味だろう? 「不」は基本的には否定の文字だ。まあ自殺を選んでいるのだから、マイナスな意味合いの言葉になる確率が高いのかも知れないけれど。
「あの木の元になったのは中学生の少年だよ。イジメから不登校になって、そのまま自殺。分かりやすいだろう?」
クマさんはさらっと説明した。イジメから不登校、そして自殺……おそらく不登校の不だろう。自殺した彼にとっては、イジメよりも、それによって不登校になってしまった自分自身が許せなくなったのかも知れない。そう思うといたたまれない。私だってイジメられてこそいないが、不登校に変わりはない。
「でもどうしてクマさんはそこまで事情を知っているの? 直接会って話したことがあるの?」
そうだ。そこがおかしい。実際に会っていないと分からないはず。
「言ってなかったっけ? 僕が木を切るとね、その木になった人の感情だったり体験だったりが、頭の中に流れ込んでくるんだよ。だから僕には、この文字の森の木々達の気持ちが分かるんだ」
賭けても良いけど言ってない。
それは良いとして、そんなことあり得るのかな? いや、あり得るあり得ないの話じゃないんだ。それを言ったら、今私が立っているこの場所そのものがあり得ないんだから。
「それって……辛くない?」
私は率直に思ったことを尋ねる。
私だったら辛いと思う。いろんな人間の負の感情を見せ続けられる。そんな木こり生活なんてまっぴらごめん。そんなの自殺よりも辛いじゃない! いろんな理由で自殺していった人間の気持ちを、一身に受け続けるなんて。
「……辛くはないかな」
クマさんはぼそりと呟いた。さっきまでの饒舌っぷりは何処へやら、いきなりその勢いを失ってしまった。心なしか体も小さく見える。このクマさんは掴みどころがない性格に見えて、気持ちを隠すのは下手らしい。分かりやす過ぎる。
「嘘でしょそれ」
「……」
私が指摘すると、クマさんはそのまま後ろを向き、何も言わずに地面をジッと見ている。その背中からは哀愁が漂っていた。
「無言は肯定とみなすよ? はい! 肯定ね。そんなに辛いならどうして切るの? 別に切らなくたって良いんじゃない?」
私がそう問いかけると、クマさんは両手で頭を抱えてうなだれた後、こっちを向いた。
「言ってなかったっけ? 新しい道具を作るためだよ。この木に刻まれた自殺者の想いが、特殊な力となってその木材に宿るんだ。今回の少年は不登校の不だ。家から出ない。引きこもり。つまり鍵を開けない」
今回も確実に言ってない。道具を作るためとかは言っていたような気がするが、特殊な力とやらは聞いてない。
つまりあの木は、引きこもりの少年の想いが形となったものだから、鍵を開けない。つまり、鍵として使うには最適な木ということ? そんなダジャレみたいな理由で木を選んでるの?
「ふざけてる?」
「ふざけてない」
クマさんは憮然とした態度で否定した。
まあ本人がそう言うのであれば仕方がない。彼は大真面目らしい。
「それとね」
クマさんはまた口を開く。どうやら木を切る理由は一つでは無いらしい。
「ああいう自殺者の念が籠った木はねえ、一定の高さになったら切らないと危ないんだよ」
「危ない? 倒れてくるとかそういうこと?」
確かにあんなふざけた形状で伸び続けられたら危険極まりない。
「違う違う。倒れることは……まああるんだけど」
あるんかい!
私は心の中でつっこむ。でも口にはしない。クマさんがせっかく上機嫌で話してくれているのだから。
「放置しているとね、悪い者が出てきてしまうんだ」
「悪い者?」
「うん。そうそう。君達人間の感覚に置き換えるとなんだろうな~」
クマさんはうんうん唸りながら考える。どうやらあんまり頭は良くないみたい。
うんうん唸りだしてからもう三分ほど。お湯を入れたカップ麵が食べられるぐらいの時間をかけて、クマさんは再び口を開いた。
「怨念? 悪霊? 生霊? なんていうかそういうの」
散々時間をかけて出した答えがそれか。生霊は流石に違うと思う。死んでるんだから生きてない。
「要するにお化けってこと?」
「そうそう! 文香は賢いな~」
なんか褒められているのにもかかわらずバカにされている気がする。でも誉め言葉は素直に受け取っとかないとね。
「ありがとう」
「文香にとっての賢いの基準って低いんだな~」
コイツ……。私は震える右手を左手で抑え込む。バカなのはふりなのか? 私が死んだふり(寝たふり)をしていたことへの当てつけなのか? とりあえずバカにされたことだけは確かだ。
「うるさいな~どっちでも良いでしょそんなの! そんなことより、その悪い者が出てくるとどう大変なわけ?」
私はとっとと本題に踏み込む。お化けが出てくるのは怖いけど、そもそも死のうとしている私がお化けを怖がること自体、ナンセンスな気もしている。上手いこと自殺できれば、ここのお化け軍団の末席に加わることになるのだから。
「家に悪戯される。他の住民から苦情が来る。僕が大変」
思ったよりも大したことない気がする。てっきり誰かが呪われるとか、命が奪われるとかそういうのだと思っていたけれど、実際に起こる被害としては家への悪戯程度。まあその悪戯の規模にもよるけれど。
「というか他の住民なんているの?」
「いるよ」
「他の住人もクマなの?」
「そんなわけないじゃん! 喋るクマなんてそうそういないよ」
クマさんは私の疑問を笑い飛ばした。それはもう盛大にゲラゲラ笑っている。急にまっとうなことを言い出すのは止めて欲しい。こっちからしたら、喋るクマなんて一匹だっていないのだから。
「クマじゃないんなら一体なんなの?」
「まあまあそれは明日にしようよ。僕はもう眠いんだ」
「明日って。私はもう……」
私は今から自殺をしますとは言えなかった。自殺者の想いを一身に受け続けるクマさんの、あの沈んだ背中が瞼の裏に映る。そんな彼を前にして、自殺しに来たなんて言えなかった。まあこの森とクマさんに、ちょっとだけ興味が湧いているのも事実だけど。
「さあ中に入って」
気がつけばクマさんは白樺の木で造られたコテージのドアを開いていた。
「ようこそ! 文字の森へ! 契約書は中で書いてね~」
クマさんは私になんらかの契約をさせたいらしく、私はしぶしぶ中へと入っていった。