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第3話 桜庭千春

 つい三週間前のことだ。

 翔子は桜庭刑事課長に呼び出され、警察病院の精神神経科病棟に行った。

 滝沢亜美は病室のベッドから庭を眺めていた。その目は虚ろで生気はない。

 庭のベンチから病室を窺う翔子に、千春が説明する。

「滝沢亜美、17歳。三年前から昨年にかけて、母親の内縁の夫・市川文吾に売春を強要され心的外傷を負った。市川は服役中。母親は娘を置いて逃げ出した。養護施設に送るのが適当、と家裁は審判した」

「…やっぱり、救えなかったんですね」

「時間が必要なのよ」

 今は刑事課に配属されているものの、千春は生活安全課時代の被害者のことをずっと気にかけていた。そして同じ気持ちであろうと翔子をここに呼んだ。

「来週、市川が仮出所する。服役で薬物こそ絶ったが、あいつの執着心は異常だ。施設でもここでも、自分の金づるを探すかもしれない。私の家にと思ったんだけど、あの子は極度の男性恐怖症なの。うちはダンナも息子もいるから…」

「いいですよ。預かります」

「恩に着るわ。身体に異常はないの。何とか一月だけ、匿ってくれればいいから」

「恩に着る、なんて。私にも責任がありますから」

「責任?」

 その問いには答えず、黙り込んだ。

(あのとき…)

 翔子の脳裏に、どす黒いイメージが浮かぶ。

 発砲した銃弾がスローモーションで宙を飛ぶ。

 弾丸は一直線に、市川の額に命中する。

(撃ち抜けばよかったんだ)

 そのとき、翔子は確かにそんな思いに囚われた。


 翔子は愛子にもらったコーヒーの黒を見つめる。あの思いはこんな色だったなあ…。

 と、隣で愛子が小さく拍手しはじめた。

「え?」

 翔子が顔を上げる。

「すごい。すごいです。その場しのぎじゃなくて、ただ派手なパフォーマンスじゃなくて、地道に最後まで責任を果たす。翔子さん、リスペクトです!」

 感激した様子で翔子の手を握ってきた。

「や。私はただ、千春さんの真似を…」

「ね。今度その亜美ちゃんに会わせて。私、きっと話合うと思う」

「あ、う、うん」


 次の週末の夜、県警女子寮の娯楽室で「県警女性警官慰労会」が催された。横浜南署の女性警官による女子会だ。  

 各々が私服やパジャマ姿で盛り上がる片隅で、翔子は憂鬱そうにビールを飲んでいた。

「翔子。久々の現場はどう?」

 刑事課長が声をかけてくる。

「あ、桜庭警部」

 翔子が敬礼しかけるのを、上司が制する。

「やめて。そういうのをさせないための女子会よ。ストレスがあるなら、全部ここに吐き出していきなさい」

 そう言って、女友達のように翔子の肩を抱く。刑事課長という多忙の中、こんな会を主催もする。署内の人望が篤いわけだ。

「警官は、毎日いろんな犯罪者と向き合いますよね。でも多くは無自覚だったり、被害者を気取ったり…そういうの見るのも、地味にストレスです」

 お言葉に甘えて、母や姉にするように愚痴を吐露する。

「いっそ射っちまいたい、か?」

「あ、あの件は…」

「あはは。ごめんごめん。発砲したこと自体は賛否両論あるけど、身体を張った単独行動に関しては高く評価してる者もいる。少なくとも私とあの子はね」

 千春が後輩に囲まれているタキシード姿の瑠璃を指す。

「瑠璃様。来週出張ですって?」

「ああ。お土産買ってくるよ」

「私も、ついて行きた~い」

 ホストに群がる女子のように、後輩たちが男装の麗人を取り囲んでいる。

 翔子はナントカ歌劇団の男役のような瑠璃をまじまじと見る。

「ええ?堂前さんが、私を認めてくれてたんですか?」

「『市民を守るアイドル刑事、かっけえじゃん』って言ってたわよ」

 堂前先輩はツンデレなのだろうか。私の前では怒るかセッキョーしかしない。それに、その評価は当たってないし。

「…守る、ですか」

 俯く仕草に、上司が何かを察する。

「ちょっと、酔いを覚まそうか」

 良き女上司は部下をいざない中庭に向かった。月がきれいだ。誰もいないテラスで、ふたりは腰を落ち着かせる。   

「護城巡査。滝沢亜美はどう?あなたに迷惑をかけてない?」

 階級で呼んだ。仕事の話だからだ。

「…いえ」

 目をそらす。

「本当に?」

 桜庭千春が刑事課長に抜擢された理由の一つが、取り調べの巧さだ。嘘はつけない。懺悔するように話を始めた。


 亜美とのコミュニケーションもようやくとれるようになってきた頃だった。パジャマ姿で報告書を作成していた翔子に、亜美が背後から抱きついてきた。

「ねえ、翔子。まだお仕事?」

「…うん。亜美は先に寝てなさい」

「やん。翔子と一緒に寝るう」

 鼻をくんくんさせる。アルコールの臭いだ。

「亜美。あなた、お酒飲んだ?」

「ちょびっと」

「あなたは未成年よ」

「未成年でもセックスはできるもん」

「…」

「翔子にもしてあげる」

 翔子の胸をまさぐり始める。

「…い、や。やめて!」

 亜美を撥ねつけ、頬を叩く。

「…あ、ごめん」

「あ、あ、あ、あ、あ」

 亜美が倒れて痙攣し始めた。

 慌てて翔子はスマホを手に取る。119。

「すみません。同居人が、発作を起こしまして。はい。住所は…」

「ごめんなさい!ごめんなさい、ママ。もう叩かないで。ちゃんとするから。パパともセックスするから…」

 スマホを取り落とした。亜美は涙を流しながら何者かに謝っている。

 愕然とした。


「救急車が来るまで、私は何もできませんでした。せめて手を握るべきなのに、あの子にさわれませんでした。心のどこかで拒絶しました。あの子は被害者なのに…」

 千春は黙って聞いている。

「軽い発作だったので、翌日には私の家に戻りましたが、亜美は部屋に閉じこもって、ずっと口をきいてくれません」

 言い残したことはない。そう判断して千春は語り始める。

「PTSD、心的外傷後ストレス障害には個人差があるの。中には他人をたじろがせる言動をとる人もいる。あなたが動転したのは、仕方のないことよ」

 翔子の手を握る。

「でもその言動は、トラウマからの回避行動であって、決してその人の本音ではない。あの子の本音、求めているもの…それを見つけなければ、彼女は救えない」

「…」

「あなたの手に余るのなら、やっぱり施設に預けようか?幸い市川もおとなしくしているようだし」

「いえ。続けさせて下さい。亜美と正面から向き合ってみます」

「わかった。何かあったら相談に乗る。いつでもおいで。一緒に考えよう」

 千春は優しく抱いて、翔子を包み込んだ。

(ああ、あったかい。私もこんな風に自然にできたら…)

 少し心が軽くなって、星降る夜空を見上げる余裕もできていた。


 その晩、自宅に帰った翔子は亜美の部屋に向けて声をかけた。

「亜美。ただいま。お菓子があるんだけど、一緒に食べない?」

 ノックをするが、応答はない。

 諦めて立ち去りかけた頃、「食べる」という亜美の声がした。

 ふたりしてリビングでスイーツを食べた。

 しばらく沈黙の時間が流れる。

「しょ…」

「あ…」

 同時に発声し、そのあと顔を見合わせて苦笑いをした。

 亜美があらたまって頭を下げる。

「この間はごめんなさい」

「…」

「私、何もできなくて。お料理もお洗濯もヘタで。だから自分ができること、探したの。で…Hなことなら、翔子ちゃん喜んでくれるかもって」

 切なかった。人との関りを持つための方法をほかに知らない少女。なんと残酷な青春なのか。半生なのか。

「でも、でも、私だってあんなことされるの好きじゃないもん。ごめんね。嫌なことして、ごめんね!」

 亜美が涙ながらに謝る。

「違う!違うよ。私の方が…ごめん!」

 亜美の両手を握る。今ならさわれる。

「ゆ、許してくれるなら、も少しここに、い、いさせてほしいの」

「いいよ。当り前じゃない。ずっとだって、いいんだからね」

「ホント?」

「今夜から、一緒に寝ようか?」

「…」

「ただ一緒に寝るだけよ。嫌なことなんかしなくていい。お互いにね」

「うん!」

 心を開いていなかったのは自分の方だった。翔子は省みて、自己嫌悪した。


 その夜は同じベッドで寝た。

 亜美が隣で寝息を立てている。

(私は腫れものに触るみたいにこの子に接してきた。ひとを救うって、寄り添うことなのに)

 寝顔を見れば、彼女はやはり幼い少女なのだ。

(この子の求めるもの。今は持っていない、大切なもの…愛情。家族…)

 何かを思いつく。

(ああ、そうか。持ってないなら、作ればいいんだ)


 横浜南署の暴対係。自分の席で牛丼を食いながら、幸田は部下の松井の報告を受けていた。

「はあ?今時、拳銃を密売人から買うやつなんかいんのかよ。ネット使やあ、ノーリスクで買えんだろ」

「それが密売人の話によると、相模会に下ろしたらしいんです」

「抗争の種もねえのに、銃なんか仕入れるわけねえだろ。あいつら必要最低限は、常にストックしてるからな」

 ガセネタ、と踏んで適当に聞いている。

「それが『使うのは素人だから、扱いやすい銃にしてくれ』と、言われたそうなんです。しかも若頭の塚原に、直で」

「塚原に?」

 ようやく幸田が食事の手を止めた。


 横浜港のコンテナ倉庫街。

 赤羽真代は係中に腰掛けて煙草を吹かしていた。ぼんやりと横浜港を眺めている。

 かもめの鳴き声と波音に混じって、背後のコンテナから銃声が聞こえる。パン、パンと断続的に鳴っている。

(煙草は…やめてたんだけどねえ)

 煙草を消す足元には読みかけの「週刊リアル」のページが海風になびいていた。


 上海の日本領事館。窓の外には上海タワーが聳え立っている。

 会議室に通された警察官僚の北島勲(警察庁長官官房参事官)と渡辺道明(警察庁国際刑事監理官)、それに堂前瑠璃(神奈川県警警部補)の三人が中国外交官の話を聞く。

「中日刑事共助条約に基づき、日本側が追っている容疑者達に対し、旅券返納命令を出しました。これにより、彼らは明日国外退去処分となります」

 外交官の言葉を上海語に堪能な瑠璃が北島達に通訳する。

 北島はあからさまに失望の表情を浮かべている。話の内容に対してではない。

(なんだ。向こうは外交官だけじゃないか。来るんじゃなかったな)

 通例ではここに中国政治局か公安部の高官が立ち会う。だが、今回は事件の規模の小ささに高官たちは興味を示さなかったようだ。

「送還対象の確認をしたいのですが」

 渡辺の言葉を瑠璃が通訳する。

「こちらが、彼らのパスポートのコピーです」

 外務官がコピーを並べていく。

(やはり神谷は…いないか)

 瑠璃もまた失望した。だが、一枚の顔写真が目に留まる。

(ん?こいつは…)

 バー集合写真の中の中にあった顔だ。パスポートの名義は「氏木うじき一人かずひと」とある。

「警部補。これで手続きを進めるが?」

「はい。実行犯や被害者達の証言とも合致します。問題ないかと」

「ようし。じゃあ、今夜は慰労会だ。カニでも食ってパアっとやろう。美人コンパニオンもいることだしな」

 北島はそう言って、瑠璃の太腿を軽く撫でる。警察官僚の中にも昭和の老害はいるのだ。

(ち。誰がコンパニオンだ)


 横浜南署の「グリム事件対策本部」では、今日も電話が鳴り響き、刑事達が慌しく動き回っている。

 喧騒をよそに翔子は「週刊リアル」の記事を眺めていた。「半グレと医学生、危険なBL?」という見出しがついた記事だ。

(半グレKとエリート医学生Nの、痴情の果てに起きた強盗傷害事件…一体誰がリークしたんだろ?手口まで載ってるってことは、実行犯側の弁護士?)

 TⅤのワイドショーを見ても、「グリム事件の陰にBL?」等のテロップが付いたコーナーが流れている。

(特殊詐欺も視聴者に飽きられてきたから、今度はBLっていうトッピングを付けたか。味変ってわけね)

 適当にチャンネルを変えてみるがどこも同じ事件を扱っていて、行きつく先は教育チャンネルだった。

―顔は整形で変えられるけど、声は無理。そんな先入観は科学技術で塗り替えられました。現在ではⅤFS手術という術式で、発声障害のある女性患者でも、自分の望むタイプの声を手に入れることができます…。

 手術前後の発声を比較する映像が流れる。喉にメスを入れるⅤFS手術という施術らしい。

(すげ。完全に別人の声じゃん)

 教育チャンネルなら学術的ということで許されるのか、生々しい映像が続く。

「わ。えぐ…」

 思わず口にしたところで、背後から呼びかけられた。

「おい。アイドル!」

「あ、はい」

 しまった。肯定してしまった。だが、マル暴の幸田班長はお構いなしに聞いてくる。

「お前の報告書に『赤羽真代』の名前が出てくるが、名刺あるか?」

 財布から真代の名刺を取り出して見せた。

「これです。赤羽さんが何か?」

 幸田は名刺を手に取り、じっと睨みつけている。

「赤羽が便利屋?なんの冗談だ?」

「あの。幸田さん?」

 幸田が手にした写真を翔子に見せてきた。古い集合写真だった。

「こいつは相模会の前身・大宮組の襲名披露の時の写真だ。これが当時の組長・大宮健蔵。隣にいるのが内縁の妻だ。お前が会ったのは、この女か?」

 大宮組長の隣には、若き真代らしい女性の姿があった。

「あ、面影があります。え?赤羽さんが組長の元…姐さん?どういうことですか?」

「こっちが聞きたいよ。だが赤羽が絡んでるとなると、事件の全体像が変わるかもしれん。関係者を一から洗い直し…」

「ここかい?グリム事件の捜査本部は」

 噂をすれば、などということが現実に起きるのか。幸田と翔子が振り返ると、真代の姿があったのだ。

「あ、赤羽さん?」

「グリムの正体を、教えに来たよ」

 威風堂々。オンナ社長が刑事達の間を縫って歩いてくる。

「姪っ子に優しくしてくれたお礼にね」   

 翔子の前で立ち止まった真代の目が一点を見つめる。

「ん?」

 幸田の手から写真を奪い取る。

「へえ、懐かしい写真だね。あんた、マル暴かい?」

「お会いできて光栄だね。伝説の姐御」

「じゃあ、マル暴にも教えてやろう」

 そう言って。写真で幸田の胸をはたく。

「君江さん。あんたも、こっちおいで」

 対策本部の入口付近で、浪岡君江がおどおどしている。

(関係者を…一から洗い直し?)

 さっき、幸田が言った言葉だ。



 つづく



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