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第2話 堂前瑠璃

 横浜南署の第一取調室では、千春による何回めかの聴取が行われていた。

「恋愛リアリティショー?あの、動画サイトで人気の?」

「アイチューブ版で『カップルが成立したら十万円の賞金がもらえる』ってプロデューサーに言われて。そりゃ、こっちも選んでくれそうな地味メン狙うわよ」


 莉緒の供述内容はこうだ。

 恋愛リアリティ動画「勝手にマッチング!」の撮影が行われたパーティー会場。男女数十名がお見合いをし、あちこちでカップルが誕生する。МCが「さあ、今回も十数組のマッチングが成立したようだ」などと、司会進行をしている。その中に、満生と莉緒のカップルもあった。

「こっちのカップル。彼氏が彼女を選んだポイントは?」

 「あ、全部、です」

 満生が恥ずかしそうに答えた。

「彼女の方は?」

「ええ?彼頭よくてえ、将来はお医者さんになるって言うしい…」

 莉緒の正直な答えに、ⅯCがすかさずツッコミを入れる。

「動機が不純だよ!さ、ここからは、それぞれが愛を育んでもらうことになるぞ。気になる人は、チャンネル登録よろしく。アイ、チューブ!」

 この収録がネット配信されるのだ、と莉緒は信じていた。

 舞台はパーティー会場のあと、とある会員制バーに移された。 ふたりにはⅤIP席があてがわれた。

「今度、両親に会ってもらえる?」

 浪岡満生が神妙に提案してきた。

「ええ?本気で言ってるの?」

「本気だよ。僕みたいなタイプは、遊びで女性と付き合うなんてできないよ。正式な交際をしたいんだ」

「ま、考えとくわ。おかわり!」

 赤い顔でグラスを掲げた、という。

(この人と結婚したら、少なくとも将来の不安はなくなるな)

 そう考えると満更でもない気がして、酔いつぶれたそうだ。


 莉緒が目を覚ました時、店内に客はひとりもいなかった。

 店長だと言う男が、300万円の請求書を差し出してきた。

「お客様。お支払いをお願い致します」

「え?何これ。訳わかんないんだけど」

「お客様は、70万円のドンペリ4本を店中のお客様に振舞われました。プラスお食事代とお席料…小学生でもわかる計算です。正当な価格ですよ」

 強張った顔で辺りを見回したが、満生はいなかった。

「お連れ様はお帰りになりました。泥酔されたあなたに、呆れられたご様子で」

 莉緒が顔面蒼白となるのも構わず、店長は続けた。

「無銭飲食は詐欺罪です。将来ある身で前科持ちは、いろいろシビアかと」

「で、でも無理よ!こんな大金」

「お支払いが難しいようなら、売掛け…ツケにしてさしあげますよ。それと、高額報酬のバイトもご紹介します」


 こうして莉緒は特殊浴場で働くはめになった、という。

 第一取調室で、莉緒が千春に話す。

「アイチューブに、そんなチャンネルなかった。全員がグルだったのよ。もう誰も信じらんないわよ!」

「…その、バーの名前は?」


 この夜も翔子は、久しぶりの捜査活動に疲れて帰宅した。

「しょ、翔子ちゃん。お帰り」

 同居人の声が聞こえ、奥のキッチンから顔を出す。その顔は茶色く煤も付いている。

「亜美ちゃん。何してるの?」

 キッチンに行くと、テーブルとシンクに食材が飛び散らかっている。

「な、何かあった?」

「‥カレーをつくった。な、慣れないから、なんか、汚した」

 バスルームから轟音がした。

 行ってみると、洗濯機から大量の泡が噴き出している。

「あ、また失敗したあ。ちょ、ちょッとでもお手伝い、したかった。ご、ごめんなしゃい。翔子ちゃん」

 申し訳なさそうに俯く。

「…ううん。ありがと」

 口ではそう言ったが、ストレスは増大した。

 カレーを一口食べる。

(初めてだ。味がしないカレー)

 しかし、亜美は黙々と食べている。取り繕うしかない。

「あ、おいしい。亜美は、お料理上手なんだね」

「お、女の子だもん」

 はにかむ亜美の表情を見ると、頑張ったことだけはわかる。

(この子は今まで、どういう生活をしてきたんだろう?」

 思いを巡らせスプーンが進まないのを、亜美がたしなめる。

「早く食べないと、ママに叱られるよ」

 その語調に違和感を感じつつ、翔子は大急ぎで食べ続けた。


 数日後の刑事課長室。翔子はこの部屋の主の前で畏まっていた。

 机上には、満生と神谷の写真がある。

 応接ソファにはニ係長が座っている。

「護城巡査‥」

 何か叱責されるのか?ストレスが角を出す。だが次の瞬間、桜庭課長は笑顔になる。

「お手柄だ」

「…あ、ありがとうございます!」

 ホッとし、嬉しそうに敬礼した。

「えっと。ですが、一体どの辺がお手柄なのでしょうか?」

 課長が苦笑する。

「ま、そうなるか。護城巡査も、先日の強盗傷害事件は知ってるわよね?」

「はい。グリム事件と呼ばれてますね」

「私達刑事課は、指示役の正体を探っていた。でもその『グリム』という仮名以外、本名も容姿も全く掴めていなかったの。それが先日ようやく、そのグループに浪岡満生という人物が関係してることが判明し、あなたに調べてもらった、というわけ」

「あ。では、本官の拙い捜査が少しはお役に立てた、ということでしょうか?」

「捜査ってほどじゃねえがな。二係長の堂前だ」

 立ち姿は、ナントカ歌劇団の男役のように凛としている。

(わ。私に怒鳴った人だ)

 スマホを出し、翔子に歩み寄って来る。

「グリムというのは、中世ヨーロッパで擬人化された死神『グリム・リーパー』のことだ。マント姿で鎌を持つ骸骨…」

 言葉通りのグリムの画像を見せる。

「指示役はこのデザインを、連絡用のアバターに使っていた。そして君が提出した写真の、神谷の刺青も…同じデザイン」

 スマホの画像と神谷の刺青を並べると、明らかにそれがモデルだとわかる。

「つまり、神谷がグリムである疑いが急浮上してきた、ということよ」

 課長が補足する。

「強盗傷害の実行犯が、とある飲食店の名を口にした。調べてみたら、その店のオーナーの登記名も『神谷勇樹』という人物だった。ビンゴだ」

「その店はトクリュウ達のアジトであり、闇バイトをリクルートする拠点なの。急遽家宅捜索したけど、もぬけの殻だった」

「トクリュウというのは、匿名流動型犯罪グループでしたよね?」

「ああ。ネットを駆使して匿名で素人をコントロールし、特定組織には属さない流動型だから暴対法の対象外。最も卑劣で厄介な反社グループだ。暴力団が悪魔なら、やつらは正に死神だ」

「…死神」

「堂前。刑事課全体の捜査会議を開く。

各係の班長以上を集めて」

「了解」

 ニ係長が敬礼して退出する。翔子も後に続こうとしたが、止められた。

「護城巡査。あなたも出席しなさい」

 翔子が立ち止まる。

「え?ですが本官は、生活安全課の総務担当でありまして…」

「生安には私から連絡しとく。今日から刑事課出向ということでね。私の古巣なんだから、どうとでもなるわ」

「で、ですが」

「護城巡査。捜査現場に戻るチャンスだと思いなさい!」

「…はい」


 横浜南署の大会議室に「高橋家強盗傷害事件捜査会議」の札が貼られた。すでに刑事課係長班長クラスが揃っており、室内は情報交換でざわついている。

 堂前捜査二係長は、ある仕掛けをするためにスマホの通信アプリを開いた。

 [アオ君、ミドリ君。逃亡資金を渡します。アジトに集合]

 この文面を、一斉送信する。

(よし。コマセは蒔いた)

 つづいて、動かす部下を探す。後方の席で同期の幸田と名倉が話し込んでいるのを認めた。

「名倉。なんでこのヤマ、おまえらが仕切ってんだ。タタキは捜一案件だよな?」

「今回の主犯は元々特殊詐欺グループだから、『二係主導が合理的』ってことさ」

「どうせ、堂前がねじ込んだんだろ?」

「リケジョで語学堪能の係長が、自ら証拠品を解析して掴んだネタだからな」

「ち。船頭が、てめえで釣り糸垂らしてどうすんだよ。チーム・リーダーの役割がわかってねえな。これだから女は…」

 言い終える前に、幸田の後頭部が弾かれた。

「いって!何すん…」

 背後には、パチった中指を立てている瑠璃がいた。 

「その女性蔑視発言は、私のことか?それとも横南初の女性刑事課長のことか?」

 幸田が慌てたように小声で返す。

「お前に決まってんだろ。俺だって、桜庭さんの実力は認めてるわ」

 前席の千春に聞かれてないか、幸田が見やる。

「教場の同期だから、タメ口には目をつむってやるがな。カツオ漁は、船頭も率先して釣るんだよ。SⅮGsと伝統漁法について、もっと勉強しろ。巡査部長」

「…以後精進します。警部補殿!」

 階級社会だ。幸田が憎々しげに姿勢を正す。   

「例の店に行け。ここはいい」

 瑠璃は、今は直属の部下である名倉に命じる。  

「一本釣りですね。了解」

 そう言って瑠璃に席を譲り、名倉は退室した。

「では、高橋家強盗傷害事件の捜査会議を始める。まず捜査の進捗状況から…」

 桜庭刑事課長の進行で会議が始まった。

 瑠璃が飲み物を配る翔子の姿を見とがめて呟く。

「何やってんだ、あいつ。男社会に媚び売ってんじゃねえよ」

「護城翔子か。やっぱ華があるよな」

 幸田が呟き返す。

「へえ。あいつ有名なのか?」

「ああ。エリート係長様は、去年までFBI研修に行ってたから知らないか。横南のアイドルにして問題児…」

 続ける前に指名された。

「暴対係・幸田班長」

「は、はい」

「地元の暴力団組織と今回のトクリュウグループとの関係を、端的に説明して」

「はい。ご案内の通り、うちの管轄には数十年前から、指定暴力団『相模会』という反社組織が存在します」


 幸田は数日前に相模会の応接室で若頭の塚原と対峙した。

 壁には「義侠心」の掛け軸が掛けられていて、この組が古臭い伝統に縛られた組織であることを物語っていた。

「先日の強盗傷害事件。ウチのカイシャ(隠語・警察署のこと)じゃ『裏で相模会が糸を引いてる』なんて 噂もあるんですよ。いつからトクリュウと仲良しになったんです?塚原さん」

 塚原が苦笑する。

「仲良し?あんな連中とつるんで何の得があるんだよ。仕事は雑。やり口はヤクザも引くほど残虐。おまけに実行犯がパクられても、組長まで監督責任が問われる?割に合わねえよ」

「その話、信じていいんですね?」

 幸田は自分の経験をフル稼働させて、真偽をはかった。


 幸田の説明が続く。

「塚原の話は嘘ではないでしょう。確かに暴力団の中にはトクリュウと提携する組織もありますが、暴対法の締め付けが厳しいため、一線を画す場合も多いんです」     

「幸田、ご苦労。つまり犯罪組織も、悪い意味でダイバーシティ、多様性を広げているということね」

(犯罪のダイバーシティ、か)

 翔子はお茶を配り終えて、末席で聞いていた。ダイバーシティ…この近年の流行語がこの事件と根っこにあるような気がした。

 前席のスクリーンには、神谷と満生の顔写真が映し出されている。

「いずれにしろ今後の最優先は、この浪岡満生と神谷勇樹の行方を追うことだ。各部署情報共有しながら、捜査に当たってほしい。最後に護城巡査…」

「は、はい!」

「今回の功労者だ。なにか付け加えることはある?」

 捜査員の視線が翔子に集まる。

 慌ててお茶セットをしまいながら立ち上がった。

「ええと…浪岡満生と神谷勇樹の関係についてですが…何と言いますか…満生君は神谷に対して、少なからず好意を抱いていたと思われ、そのう…これは意外にデリケートな事件ではないかと…」

 不意を突かれて、思っていることを咀嚼せずに話した。

「BLってやつか?」

「好きだねえ、オンナは」

 失笑がもれる。

「それですよ!女だからこう、男だからこう…そういう固定観念に縛られていては、この事件の本質は見えてこないと思うんです。もっと…何というか根の深い…あ!」

 興奮してお盆をひっくり返した。

(なにムキになってんだか)

 瑠璃は冷笑する。

「もういい。堂前。護城はあなたの下につけます。責任を持って指導しなさい」

「ええ?」

 ふたり同時に不満を表した。

「アイドルで問題児…類は類を、か」

 瑠璃の隣で、幸田がこっそりほくそ笑んだ。


 会議室の外では「週刊リアル」の腕章を着けた西浦が立ち聞きをしていた。

(強盗傷害だけじゃ弱いけど、BLにトクリュウを絡めりゃ一本書けるな。そう言えば最近、実行犯に弁護士が付いたみたいだな)

 西浦は書き留めたメモをしまって、次に取材先に向かった。


 翔子が覆面パトを運転した、助手席では瑠璃が憮然とスマホをいじっている。

「護城。お前は、どんな女になりたい?理想像っつうかさあ」

「理想像、ですか?」

「綺麗な女、賢い女、やさしい女…私は『かっけえ女』になりたいんだよな」

「はあ」

「護城はやっぱ、かわいい女か?」

「…いえ。どうしてそう…」

「だってみんなから『アイドルちゃん』とかって呼ばれてんだろ」

 そう言ってスマホを見せる。画面上に「神奈川県警のアイドルポリス・護城翔子」という動画が流れる。ミニスカポリスの衣装で、県警PRの動画に出演している姿だ。

「ひい!」

 悲鳴を上げて、スマホを奪おうとする。

 車が蛇行する。

「運転に集中しろ!阿呆。パトが事故ったらシャレにならんわ」

「すみません!」

 我に返って運転を立て直す。

「恥ずかしがるようなことか?県警の広報部が、毎年女性警官をPRに担ぎ出すやつだろ?立派な職務じゃないか。それに私も、新人の頃やらされたぞ」

「え?堂前さんもですか?」

「ああ。私の場合はナイスバディだから、アイドルってより男どものオナド…」

 再度急ハンドルを切る。

「おい!」

「同性でも、下ネタはセクハラです!」

「やっぱ、アイドルじゃん」

 むっとする翔子をよそに、さらに検索をかける。

「横浜南署の女性警官、被害者救出のため発砲。賛否の声」という記事がヒット。

(で、これが『問題児』の方か?)


 会員制バー「ⅮIⅤERCITY」が入っている雑居ビルの前。

 瑠璃と翔子が到着して降りる頃には、既に名倉ら二係員達が、酒井と水野を連行していた。

「切羽詰まってたようだな。ふたりとも、ソッコーでコマセに飛びついたか」

「係長。やはりグリムは来ませんでした」

 酒井をパトカーに押し込みながら、名倉が報告する。

「不審がって覗きに来るかもと思ったが、そううまくはいかんわな」


 がらんどうの店内。瑠璃は壁の従業員の集合写真をチェックした。

 酒井と水野の顔はあるが、神谷はない。

(自分の店でも、神谷はツラを晒してない。用心深い奴だ)

 翔子の方は、店名の内看板を見ている。

「ダイバーシティ…あれ?でも、綴りが違うような…」

「ああ。多様性のシティはSITYだが、ここのはCITY…『潜りの街』とでも訳しとくか。地下に潜ってるトクリュウどもには、ぴったしだな」

「ここは、先程課長が『リクルートの拠点』と仰ってた店ですよね?」

「神谷のリクルートは独特だ。まず奴はネットで使えそうな男達を集める。男をルアーにして女を釣り上げるんだ」

「車の中でも聞きましたけど、私にはどうしてもロマ…浪岡満生が、中原莉緒を騙したとは思えないんですが」   

「そういう供述があるんだよ」

 取調べ中の莉緒が、満生の写真を指で示して頷いたのだ。

「お前の話じゃ、浪岡は神谷に惚れてたんだろ?恋は盲目だからな」

「そんな」

「闇バイトは風俗だけじゃない。特殊詐欺のかけ子受け子出し子、窃盗強盗の実行犯。犯罪に手を染めた子たちは決まって言う。『悪い事とわかっていても、言いなりになるしかなかった』」

「え?その子たちは恋愛や結婚っていう、普通の夢を見ただけですよ!」

 相手が違うとわかっていても、翔子は瑠璃に悔しそうに訴えた。

「言ったろ。トクリュウは死神だ、って。死神は夢を与えて、魂を奪う」

 翔子の両手がわなわなと震えている。

 ふん。こういうところが、こいつの長所であり欠点だな…瑠璃は翔子をそう分析する。

「いいか。グリムは神谷と決まったわけじゃない。浪岡かもしれないんだ。被疑者に感情移入するのはやめろ」

 翔子は黙り込んだ。その通りだ。警察学校でもさんざん教わった。


 署に戻った名倉は、第二取調室でさっそく容疑者を取り調べた。水野の前に二枚の写真を置く。右に映っているのが神谷で左が満生だ。

「このふたりに見覚えは?」

「…ありません」

「右は店のオーナーだ。マネージャーのあんたが知らないってのか?」

「いえ。採用された時もリモートだったし。業務報告や指示も…」

 常にサングラスとマスク姿の人物がPC越しにしか対話しなかった、という。

「ちょうどコロナの時期だったので、そういうものかと」

「左の若い男は?」

「…見かけたことはあるような。多分客の一人じゃなかったかな」

 そう言いながら、水野は目をそらした。嘘をついている。名倉はインプットしてから、水野を留置場に帰した。

「…今日はここまでにします。もうひとりは?」

 そう言って筆記する事務官を見る。

「それが、体調が悪いということで、弁護士から聴取の延期を…」

(確かに、目が病的ではあったな)

 逮捕時の中毒者のような酒井を思い出し、そのこともインプットした。


 例の便利屋の事務所に向かう途中で、そのビルから出ていく君江とすれ違った。

「あ。浪岡さん?君江さんですよね?」

 ビクっと立ち止まった女性は、確かに浪岡君江だった。

「上京されてたんですね。携帯の方に、何度かご連絡差し上げたんですけど…」

「あ。ああ。あの時の婦警さん」

 また「婦警」だ。この人もか。

「息子さんのことで、いろいろお聞きしたいことが出てきまして」

「ああ。すんまっしぇん。携帯、水に浸かってしもてですね」

「では。新しい連絡先を…」

「ああ。ホテルに置いてきたばい。後でこっちから連絡するけん。そいじゃ」

 逃げるように立ち去る後姿は、不審そのものだった。翔子は事務所のある階を見上げる。

(ここに、用事があったってことよね)

 堂前瑠璃の忠告が蘇る。被疑者に感情移入はするな。


 今度は一階にあるロビーで、出かける愛子と鉢合わせした。

「あ、愛子さん」

「…刑事さん?」

 戸惑い気味に答える姿までも怪しく見える。私は悪い意味で捜査官に戻りつつある、と翔子は思う。

「確認したいことがあるんだけど、赤羽さんはいらっしゃる?」

「あ、今日は留守みたいですよ。出張とかで。でも、刑事さんが何度も事務所まで来るってことは、何かの事件?」

 同じ趣味を共有する親近感なのか、タメ口だ。だが、若い子はそんなものだろう。

「ううん。ホントにただの事務的なこと。あと、私刑事じゃないわよ。制服だし」

 そう言って、お堅い自分の制服を示す。

「でも、ニュースに出てなかった?『神奈川県警アイドルポリス、発砲して被害者を救出』とかって…撃ったんでしょ?バーン!って」

 愛子の発砲の仕草に、何人か振り返る。

 人目をはばかるように、翔子がロビーの隅に愛子を連れていく。

「あれはね…」

 翔子は観念したように説明し始めた。


 見るからに安アパートの玄関に「滝沢」の表札が掛かっている。

 先程から呼び鈴を鳴らしているが、応答はない。だが…

(人の気配がするんだよな)

 居留守の可能性は捨て切れない。なぜならこのアパートは義理の父親に売春を強要されている少女が住んでいたからだ。

 翔子が所属する生活安全課で一度保護していた。ところが実の母親が警察に不服申し立てをして、取り返されてしまった。警察の民事不介入の原則には逆らえなかったのだ。

 カギはかかっていない。そっと開けると、玄関に男ものの靴が見える。一旦ドアを戻し、無線をとる。

(生安巡査、護城です。応援の要請を願います。場所は…)  


 ニ十分が長かった。玄関の横で応援を待つ。

(教場で習ったのは、応援が来るまで待機。単独行動は厳禁…)

「いやあ。やめて!」

 という叫び声が、部屋から聞こえてきた。男は薬物の常習者で、一刻を争う状況だった。

 意を決して、部屋に踏み込んだ。

「滝沢さん!」

 中には、片手絞めにされる亜美がいた。包丁を手にする血走った目の市川もいた。

「はっは。やっぱりサツを呼んでやがったな。亜美は、悪い子だなあ」

 亜美の首をくいと締める。苦悶の声が漏れる。

「や、めて。パ、パ」

「お仕置きだ。サツの前で…殺す」

 市川が包丁を亜美の首に当てる。

「武器とその子を、放しなさい!」

 拳銃を抜いて構える。

「やあだよ」

 市川の目は狂気に満ちている。

「…お願い…放して…」

 泣きそうな気分でで銃爪を絞る。

 発砲音。

「ギャア!」

 弾が市川の耳元をかすめる。

 亜美と包丁を放り出し、白目をむいて倒れる。

 応援の警官隊がようやく到着した。

 拳銃を構えたまま、へたり込む。

「う、撃っちゃ、った」


 話しながら翔子はロビーのソファでうなだれた。

(ああ。私の警察官半生は、黒歴史だらけだ)

 上野愛子は、じっと真剣に聞いてくれていたようだ。

「この国の警官は、拳銃を持たされてるのに…撃つと非難されるの」

 一般人相手に愚痴をこぼしてしまった。

「でも、仕方ないですよ。その子をどうしても助けたかったんですよね?」

 愛子は立ち上がって、自販機でコーヒーを買っている。

「私もそう言った。でも監察官からは『なぜ応援を待てなかった?これだから女は』って、頭ごなしに言われたわ」

「でも私は、女性警官だって勇気を出して守ってくれるんだ、ってわかったよ」

 愛子がコーヒーを翔子に手渡す。あらためて見ると、この秘書は美少女だ。今日はパープルのスカーフを巻いている。

「…あ、ありがと」

「胸を張って下さい。翔子さんは、人を救ったんです」

「救った、か。でもね、人を救うって、そんな簡単なことじゃないのよ」



 つづく


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