黒歴史だった。
神奈川県警本部の広報室は、マスコミ会見に対応するため大会議室を設えている。そこに地元のマスコミが集合していた。その中で護城翔子は、ファッションモデルのようにランウェイを歩かされた。リハーサルも何十回となく強要された。
半袖のシースルーのワイシャツ。あろうことかミニスカート。背後には「美人すぎる婦警」と題した立て看板が掲げてある。
「護城さん、目線こっちください」
「敬礼からの…ウィンク!」
言われるがままだった。ウィンクしてチロっと舌を出す。場の空気がハラスメント気味に翔子を突き動かす。
翔子は思う。私はこんなことをするために警察官になったわけじゃない、と。
こんなセリフも言わされた。
「タイホしちゃうぞ。バキューン」
お約束通り、モデルガンの銃爪を引いた。
その半年後だった。
アパートの一室で、鈍い音ともに銃口が火を噴いた。今度はモデルガンではなかった。ニューナンブ38口径から実弾が発射されたのだ。
警官たちが踏み込むと、拳銃を構えた翔子が腰を抜かしていた。
銃口の先を見ると、若い女を人質にとった男が倒れている。
(まさか?)
護城翔子の直属の上司である桜庭千春が危ぶむ。
だが、弾は外れ壁に穴があいている。
容疑者と言えど、警察官が民間人を撃てばこの国では大問題だ。ましてやそれが「婦人警官」であればなおさら。マスメディアは慎重に「女性警察官」と呼ぶ時代だが、昭和を引きずる人たちは今もこの名称を使う。
彼らの声が聞こえてきそうだ。曰く、これだから女は。
この日以来、護城翔子は拳銃携帯のない事務職に追いやられた。
翔子は思う。あの茶番劇を演じたとき、県警広報部は私を広告塔にしようとしていたはずだ。都合のいい時だけチヤホヤされ、邪魔になったら捨てられる…男社会の警察組織にとって私は“便利なオンナ”なのだ、と。
横浜港、ランドマーク、ベイブリッジ、観覧車等ファッショナブルな風景が広がる街。その景色に唾するように、浪岡君江が叫ぶ。
「横浜は、欲にまみれた街たい!」
6月3日。横浜南署・生活安全課相談窓口での出来事。
窓口でパソコンを操作しながら、翔子はその言葉を聞き流す。
「昨日泊まったホテルの周りでん、ガールズバーやら桃色マッサージやら、やらしか店ばっかりばい。満生は、都会の女に騙されたに決まっとるとよ!」
「お母さん、落ち着いて下さい。手掛かりになるものは、これだけですね?」
提示された品物を確認しながら、事務機で記録していく。
「浪岡満生 文久大学医学部二年生」という学生証をスキャンする。続いてカード類もデータとして取り込む。
「クレジットカード2枚…これは?」
翔子は「女たちの便利屋 赤羽真代」という名刺を君江に示す。
「どうせ、いかがわしい店やろ。その女も怪しかけん、よう調べんしゃい」
行方不明者捜索願の文書を作成し、学生証や名刺のデータを添付する。さらに「特異行方不明者リスト」への登録。
「書類は受理致しましたので、後日こちらからの連絡をお待ちに…」
「そげん言うて、ちゃんと調べてくだしゃるうとですかね?」
「できる限りのことはしますので」
そのやりとりを横目で見ている同僚の美和子がボソリと呟く。
「ムリムリ。神奈川県だけで、毎年千人以上が行方不明になってるっつうの」
「護城翔子…アイドルちゃん、か」
翔子の先輩である早苗が、共有ファイルを確認する。
荷物を鞄にしまい、退出する君江の背中を見届けてから
「先輩。今の案件なんですけど…」
と、おしゃべりが仕事と開き直る外野席を振り返る。
「護城さん。こんなの『特異』に入れちゃダメよ。事件性があると判断されて、捜査官の手を煩わせるだけなんだから」
お局事務員のありがたい助言。
「はあ。でも、お母さんは音信不通の息子さんを心配して、わざわざ熊本から…」
「なら、アイドル刑事(デカ)が捜査したら?但し、拳銃抜きで、だけどね」
やたら翔子に突っかかってくる同期が含み笑いをする。
「早く仕事覚えてよね。まったく」
文書が「一般行方不明者」リストに移されるのを、翔子は見守るしかなかった。
8月4日夜半。横浜の住宅街で、ある事件が起きた。
高橋という家の前に、1台の黒いワゴン車が停まった。車内から作業服の三人組が出てくる。
中原莉緒がスマホからの指示を確認する。
[アカ君は宅配便のふりをして、ピンポンしてください]
段ボール箱を抱え、インターフォンの前に立つ。莉緒は深呼吸をしてから、緊張した面持ちで呼び鈴を押した。
「はい」
年配の男の声だ。
「宅配便のお届けです」
「宅配?いや、知らないよ」
「あ。ですが、確かに高橋様宛てで。どなたかからの贈り物かもしれませんね。ちょっとご確認を…お願いできませんか?」
「…お中元か?ちょっと待って」
酒井がドアの脇で金属バットを構える
[アオ君は殴る役]
水野がスタンガンとロープを握りしめる。
[ミドリ君はじじいを縛り上げて、金のありかを吐かせましょう]
「…で、物は何?」
この家の主がドアを開け出てくる。
背後からバットが振り下ろされる。
「…っと」
高橋は敷居に躓き、前のめりになった。
バットが肩をかすめて地面に当たる。
「いってえ!」
耐えかねて酒井はバットを手放した。
「う、うわああ」
水野がロープをかけようとするも、高橋が跳ねのけ玄関に立て掛けられたゴルフクラブを手にとる。
「なんだ、貴様ら!」
高橋がクラブを振り回し、背中に当たった酒井が倒れた。
水野がスタンガンを高橋の首に当てて応戦した。閃光が上がり、高橋はその場で蹲る。立ち上がった酒井が、バットで高橋をめった打ちにする。
「じじい!ざっけんなよ!」
水野もロープで高橋の首を締め上げる。
狂気に走る酒井と水野の目。莉緒は怯えた表情でスマホを見る。
[抵抗したら、殺しちゃってください]
「いや。嫌。嫌あああ!」
スマホを取り落とす。
パトカーのサイレン音が近づいてくる。酒井と水野は我に返り、辺りを見回した。近所の家の灯りが点きはじめている。ふたりは顔を見合わせてから、その場を逃げ出した。
莉緒ひとりが、腰を抜かして動けないでいた。
「待って。待って。待ってよお」
のちに新聞は「強盗傷害事件発生。被害者は全治六か月の重傷。金品被害なし」と報じた。
莉緒の手の中で、スマホのトーク文がひっそりと消えていった。
桜庭刑事課長自ら、第一取調室で莉緒を聴取した。
「弁護士が付くまで、黙秘します」
「…わかった。でも、気が変わったら、いつでも呼んでね。私はあなたの味方よ」
だが莉緒は「味方?グリムも…そう言ってたけどね」と、鼻先で笑った。
(また、『グリム』か)
その頃捜査二係長室では、堂前瑠璃が押収したスマホを解析していた。
(トーク文が自動的に消える…ロシアのテレグラムを応用したアプリだな)
パソコン画面には、漢字とアルファベットが並んでいる。
(科研が解析できないわけだ。英語でもロシア語でもない。併音仕様のプログラムか。面白い)
瑠璃が勢いよくキイを叩くと、画面が日本語に変換されていった。
「グリム」が強盗を指示する内容だ。
「やはり指示役はお前か、グリム。いつまで潜ってんだ?とっととツラを見せろ」
声に出しながら、解析のピッチを上げる。 「グリム」のアイコンが徐々に浮かび上がってきた。無論本人の顔写真ではない。
アイコンに使われている画像は、マント姿で鎌を持つ骸骨だった。
「グリムってなあ童話じゃなくて、死神のことかい。トクリュウ野郎」
さらに解析を進めると「86」と出て「021‐×××」という電話番号が続く。
「中国…上海か」
瑠璃は、自分のスマホで電話をかけた。会話はネイティブの英語だ。
「‥私だ。張。FBI研修以来だな…ああ…すまないが、上海の闇電話のことで調べてほしいことがあるんだ…」
9月13日。出勤準備をして玄関に向かう翔子は、亜美の部屋の前で立ち止まった。廊下には食事を終えたあとのお盆がある。
「亜美ちゃん。行ってくるね」
部屋の中に声をかけるが、返事はない。吐息ひとつを残して家を出た。
声をかけられた亜美は、暗い部屋の中でスマホに見入っていた。玄関ドアの閉まる音がする。
「い、行ってら…さい」
見ているのはTⅤアプリだ。
―全国各地で起きている特殊詐欺並びに強盗事件の続報です。警察庁は、容疑者グループを特定した模様で…。
朝のニュースだった。
「…こ、怖い話、きらい」
亜美は、少女戦士が悪人を懲らしめるアニメに切り替えた。
「女たちの便利屋」という少し意味深な事務所だ。女性従業員達が忙しそうに働いている。
上野愛子は従業員控室で、化粧を直していた。首にスカーフを巻き、手鏡で確認する。
―指示役は『グリム』というアカウント名で、SNSを使って実行役に指示していたと見られています…。
TVが実行役・中原莉緒容疑者の顔写真を映す。愛子は、険しい表情でそれを凝視する。
「愛ちゃ~ん。ちょっと、社長室まで来てくれる?」
総務課長から声をかけられる。
「はい。すぐ行きます」
同じニュースを横浜南署の刑事課長室で見ながら、紅茶を飲んでいたのは堂前瑠璃と桜庭千春だ。
―また、この通称『グリム・グループ』は、先月横浜市内で発生した強盗傷害事件にも関与していたとの情報もあり、余罪についても引き続き捜査を続ける方針です…。
次のニュースです、と告げかけたところで瑠璃はTⅤを消した。
「本庁のやつら、こっちには極秘事項とか言って、グリムの名前出してんじゃん」
言いながら茶菓子を口に放る。
「マスコミから、さんざん『後手後手の無能警察』扱いされてたからね。やってますよアピールでしょ」
千春は書類の処理を進めながら答えた。
「さすがに、潜伏先が上海ってことは伏せたみたいだけどさ」
「その上海からの犯罪者引き渡しだけど、私ら所轄は関われないことになった」
「はあ?日本と中国には刑事共助条約が結ばれてる。東南アジアみたいに外交ルートを使わなくても、現場レベルで犯罪者を引き渡してもらえるはずでしょ?」
「その条約の敷居が高いのよ。向こうは公安警察の高官が出張ってくる。日本側もそれなりの警察庁キャリアじゃないと釣り合わない…そういうこと」
瑠璃は舌打ちした。
「所轄ごときの警部補じゃ貫目が足りない、てか。高級官僚もヤクザと変わんねえな。でもね、課長。あのネタは私が掴んだものですよ!」
そう言って千春に詰め寄った。
やれやれという顔で、千春が書類作業の手を止める。
「だから、あんただけは上海に行けるよう手筈はとった。『当該事件の捜査官は英語と中国語が堪能だから、通訳としても重宝しますよ』と進言してね」
「…なあんだ。先言ってよ。ちいママには、土産に上海蟹買ってくるからね」
親しげに上司を呼んで、冗談ぽく返した。あっさり機嫌を直したようだ。
「と言っても、中国政府側の動き次第だから、強制送還はいつになることか」
「じゃ、それまで周辺捜査を進めるか。ね、二係の人員補給してくんない?うち今、コロナで人手が足りないのよ」
「考えとくよ」
内線電話の呼び出し音が鳴った。
「‥刑事課長…うん…そう、中原莉緒が…すぐ行く」
第一取調室。瑠璃は観察室からミラー越しに聴取に立ち会った。手元にはタブレットがある。莉緒を聴取するのは引き続き千春だ。
「二か月、ソープで働かされた。もう限界だ、ってグリムに伝えたら、あの強盗の闇バイトを押し付けられた」
千春は慎重に頷く。
「ひとりで考えた。なんで私だけが、こんな目に合わなきゃいけないのかって。私を騙したやつらは、なんで逮捕されないのかって。だから、話す」
「…あなたを騙したのは、誰?」
「浪岡満生」
「ナミオカミツオ」
瑠璃はすかさず、タブレットでその名を検索した。署内データから、護城印の「一般行方不明」リストがヒットする。と同時に、また舌打ちをした。
生活安全課総務係の内線電話が鳴り、翔子が受話器を取る。
「はい。生安総務・護城です」
モニターで応答すると、電話機が壊れるかと思える怒号が鳴り響いた。
「…お前が護城か。刑事課捜査二係・堂前だ。お前6月に、浪岡満生という行方不明者の捜索願を受理したな?」
慌てて翔子はパソコンで確認した。
「え…あ、はい」
「なんでこんな重要な案件を、一般扱いしてんだ?バカヤロー!」
「あ、いえ。私は特異扱いに…」
ふたりのやり取りを聞こえているであろう早苗と美和子が顔を伏せるのが見える。
「捜査員に忖度してるつもりだろうが、余計な真似なんだよ。こいつが事件に関わってたら、どう責任とるつもりだ?至急調べて、刑事課に報告しろ!」
電話が切れた。
「あ、お昼だね。今日はどこ行く?」
席を立って逃げる早苗達を見送りながら、翔子は自分に対して決意表明をした。
(…やってやるわよ。アイドル刑事)
文教大学キャンパスで、翔子は満生の学友達に聞き取りをした。
「まじめな子ですよ」
「みんなから『ロマンちゃん』っていじられてたけど。いつもニコニコして」
「ロマンちゃん?」
その女学生は、翔子が提示した学生証の「浪」と「満」を示して言った。
「ほら。ロ、マン」
次は満生のアパート。管理人にカギを開けてもらい、室内を探る。
清潔感ある小綺麗な部屋だった。
(なんだか、年頃の女の子の部屋みたい)
医学書が並ぶ本棚。枯れてしまった観葉植物。クローゼットを開いて見る。
地味な男物の服に混じって、フリルの付いたドレスが掛けられている。
(おやおや?ロマンちゃん?)
「女たちの便利屋」というピンクの水商売風の看板が高々と掲げられている。事務所の中もその名の通り、女性ばかりの活気ある雰囲気だった。翔子は総務課の菜摘という女性に案内された。
「わが社の業務は、家事保育等女性のスキルに特化した代行業です。従業員もご覧の通り女性だけです」
「あの。赤羽さんという方は…」
「あいにく社長は多忙でして、間もなく戻って参りますので、こちらでお待ち下さい」
そう言って、最奥の社長室の扉を開けた。
待ちながら室内を見回すと、家事に使う調度品や道具の数々が所狭しと並んでいる。
(社長自ら家事代行をしている、ってことかなあ)
ノックがして、秘書が入室した。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
コーヒーカップを置く手が止まる。
「…あ。これ、風見君ですね」
そう言って、翔子のバッグに付いた「風見君」のキーホルダーを手に取る。
「お好きなんですか、『キミ風』?あれ、最近のBLものの最高傑作ですよね」
「あ。ええと…」
とまどう翔子の隣に座って、秘書が話し続ける。首に巻いた紺のスカーフが清楚でおしゃれな女の子だ。
「ね、誰推し?私は断然、ミノル君。風見君の寝顔にキスする時、自分の唇がカサついてて思い止まるシーン。超~エモくないですか?」
語り口調が興奮気味だ。
「…いや。エモさなら、今月号の…」
翔子もまた、バッグから漫画雑誌を取り出して語り始めた。
扉が開く。
「失礼。お待たせ…ん?」
帰社した赤羽社長が見ると、客と秘書が黙って雑誌に見入っている。BLマンガの主人公風見とミノルのキスシーンだ。
「きゃあ!エモ~」
ふたりとも、眼を潤ませている
「…あんたら、何やってんだい?」
翔子が慌てて雑誌をしまう。
「あ、社長。す、すみません」
秘書も立ち上がり、一礼して退出した。
「お客様と何盛り上がってるんだか。ごめんね、婦警さん。あの子、上野愛子って言って、あたしの姪っ子なんだ」
婦警さん‥昭和の女性だった。
「あ、いえ。愛子さんは、私に付き合ってくれただけで。私の方こそ…」
「総務課長から聞いたけど、クライアントのことで何か聞きたいんだって?」
「はい。この青年です」
と言って、満生の学生証を見せる。
「…ああ。浪岡さんね。よく知ってるよ。でも、お客様の個人情報だしね」
「浪岡さんの安否に関わるかもしれないんです。是非お願いします」
「安否?んじゃあ、仕方ないね」
「録音してもいいですか?」
「どうぞ。さて、どこから話すかね。確か春頃だったと思うけど、浪岡さんの誕生日を祝ってほしいっていう依頼が来てね」
翔子はアプリを立ち上げ、赤羽の話に耳を傾けた。
「今年の春だったね、浪岡さんが初めてこの事務所に訪ねて来たのは。スーツ姿の朴訥そうな青年だったよ。
『ご予算は、おいくらぐらいで?』って聞くと『バイトをして貯めたお金があるので、このくらいまでは…』
ってメモに書いて、金額を提示してきた。妥当な金額だったから引き受けることにしたんだよ」
「家族でも友達でもない便利屋さんに、お誕生会の出席ですか?」
「よくあるよ。お葬式や結婚式に参列してほしい、とか。なにせ人数分のギャラが入るわけだから、こっちは歓迎だ。気前のよさそうなお客さんだし、ご挨拶がてら社長のあたしも参加したんだ。ちょうどお花見の時期だったし、オープン会場を貸し切ってね…」
真代はその時の写真を翔子に見せた。真代ら従業員数名が集まっている。日付は「4月5日」とある。テーブルにはシャンパンやオードブル等が揃っている。
こんな状況だったと真代が続ける。
「浪岡さん。お誕生日、おめでとう!」
クラッカーがけたたましく鳴る中、上座に座る満生は紙吹雪を浴びながらニコニコ笑っていた。それだけなら普通のお誕生会だ。
だが、クライアントの満生は、女装をしていた。清楚な女子学生の容姿に、真代たちは最初かなり戸惑ったようだ。
だが以前にも女装家の男性が「話し相手になってほしい」という依頼があったため、なんとか臨機応変の対応をしたという。暗黙の了解のうちに、しばらくはカラオケ等で盛り上がった。
「…宴もたけなわですが、最後に、ご本人から一言お願いします」
閉会の時を迎え、満生は恭しくお辞儀をしてから話し始めた。
「今日は私の誕生日にお集まり頂き、本当にありがとうございます。私には女友達がいないから、こんなパーティー、ずっと、ずっと夢だったんです!」
そう言って感激の涙を流したそうだ。
「戸惑わせてごめんなさい。でもこの姿も男の私も、浪岡満生なんです…事情をお話しします…」
「私の父親は熊本の総合病院の院長で外面はいい反面、家では事あるごとに母に暴力をふるう人でした。母を罵り殴ったあと、必ず父は『俺は差別をしてるわけじゃない、区別しているだけだ』と言い訳をしました」
真代たちは神妙な面持ちで、満生の告白に聞き入った。
「でも私は、そもそも区別した時から差別は始まっているのではないか?『性別』をなくせば『性差別』もなくなるのではないか、と考えるようになりました。男でも女でもない。でも、愛を忘れないひとりの人間でいたいんです」
「今日初めてカミングアウトします。小学生の頃から、私はこの気持ちをずっと心の底に沈めてきました。潜ってきたんです。でも、でももう、息苦しくて…」
そう言って嗚咽し始めた、という。
真代は満生に歩み寄って抱きしめた。
「いいかい。困った事があったら、必ず言うんだよ。商売抜きで手を貸すから」
「ありがとう…ござい、ます」
そんなやり取りをしたそうだ。
(うう。エモい)
翔子がBL好きだからというのではない。女子としての共感だった。
「そんな子が、恋をしたって言うんだ」
「恋?え、どんな?」
「なんだっけ。アイチューブとかいう動画の出演者募集に、興味本位で応募したらしいんだ。そしたら『そのプロデューサーの神谷さんも、自分と同じ指向性の持ち主だった』って嬉しそうに話してたね…ただ、その後どうなったかまでは知らないな」
「会ってないんですか?ロマ…満生君と」
「ぱったり依頼もなくなって、その恋が実ってくれたらいいな、とは思うけど…あ、そう言や、一度メールで…」
と、スマホを取り出し写真を見せる。
神谷と腕を組む満生の写真だ。
「これが、神谷…さん?この写真データ、頂けますか?」
「いいよ」
翔子のスマホに転送する。
「おっと、こんな時間か。このあと大事な用があるんで、これで失礼するよ」
社長は立ち上がり退出した。
(わあ、優しそうなひと。よかったねえ。ロマンちゃん…ん?何、これ?刺青?)
写真を確認してみると、神谷という男の胸元には死神の刺青がくっきりと映っていた。
つづく