おれがサイラスから教わった奥義を受けて、ロレッタは床に大の字で転がった。
荒くなった呼吸を整えつつ、剣を向けて様子を窺う。
ロレッタは体を起こそうとしたが、力が上手く入らないらしい。何度も身じろぎするが、せいぜい顔をこちらに向けるのが精一杯のようだ。
その顔が悔しさで不満でいっぱいになり、瞳に涙がたまっていく。
「うぅう〜! ずるいずるいずるい! レオン、基礎技しか使わないスタイルだったはずなのにぃ。急に変えるなんてずるいぃ、対応できないよぅ〜……!」
「いやいや、相手の意表を突くのも戦法のうちでしょ。ずっと同じだと思い込んでたそっちが悪いよ」
「しかもガルバルド流じゃなくて、シーロン流の技だったでしょ。わたし、そっちはよく知らないのに。やっぱり、ずるい……」
「うん、そうだと思ったからやったんだよ。君が今までできなかったことを頑張ってたみたいに、おれも今までしてこなかったことを頑張ってみたんだ。君を見習った結果だよ」
「ん、うー……そっかぁ……。レオンも、頑張ってくれたんだ」
「ああ、君のために。君だけのために、ね」
ロレッタは力を抜いて、天を仰ぐ。喜色混じりに、大きく息をつく。
「あーあ……負けちゃった」
「ああ、やっと勝てた」
「うん。悔しいけど……嬉しい。やっと、わたしに勝ってくれた」
「撫で撫でしてくれる?」
「えへへ……してあげたいけど、今は無理ぃ……」
「じゃあ、おれがしてあげる」
そっと腰を下ろし、彼女の頭をおれの太ももの上に置く。膝枕の体勢。優しく頭を撫でてあげる。
ロレッタは嬉しそうに目を細め、頬を緩める。
「うへへぇ〜、レオンの手、久しぶりぃ……。気持ちいいぃ……」
「よく頑張ったね、ロレッタ。よく頑張って、よく負けました」
「う〜、敗者を煽るやつぅ〜」
可愛らしく唇を尖らせる。思わず笑ってしまう。
同時に胸が一杯になり、涙がこぼれてしまう。
「レオン、泣いてる?」
「うん……。ずっと寂しかったからさ。また会えて、こうしていられるのが、すごく嬉しいんだ。あはは、ちょっと情けないかな」
「うぅん……。わたしも、同じ気持ち。ずっと寂しかった。レオンがいないと、わたしダメな子だった。でもレオンのところに帰りたいから、我慢してた。この日を、ずっと待ってた」
ロレッタは周囲を見渡す。名残惜しむように。
「でもこれで……ここで戦うのも終わりなんだね」
「その代わり、新しい生活が始まるよ」
「うん……楽しみ」
「さあ、帰ろうか」
おれはロレッタの体を抱き上げる。いわゆるお姫様抱っこの形。強さの割には軽い。柔らかくあたたかい感触。ミルクのような香り。間近にある可愛らしい顔。どこまででも連れていけそうな気がする。
そうしてふたりで部屋を後にする。
魔王城の防衛戦力は、帰りでもやはり道を開けてくれていた。
それどころか、通り過ぎるときに拍手さえしてくれる。
まるで結婚式で来賓の方々に新郎新婦を披露しているみたいだ。
城門の前では、エレーナが待っていた。
「おめでとうございます。ロレッタ様、レオン様」
拍手しながらそんなことを言われると、本当に結婚を祝われているみたいでこそばゆい。
「ありがとう、エレーナさん。ちょっと照れるけど」
「ではロレッタ様を置いていかれますか?」
問われると、ロレッタがぎゅっと強くしがみついてくる。
「まさか。なにがあっても、離したりするもんか」
「わかっております。冗談です」
エレーナはそう言ってから、ロレッタに向き直る。
「ロレッタ様、どうかお体に気をつけて。王の役目から解放されたからとダラダラしたりせず、規則正しく健康的にお過ごしください。レオン様と手を取り合って清く正しい共同生活をお送りするようお努めくださいませ」
「わ、わかってるよぅ……。エレーナ、心配しすぎぃ。わたし、お家にいるときは、結構ちゃんとやってたもん」
「時々、ご様子を拝見に参りますから。もし問題がありましたら、またお世話させていただきますのでそのおつもりで」
「う、うん……」
「それではレオン様、ロレッタ様をどうかよろしくお願いいたします」
「いや、こちらこそ、ロレッタにはお世話になるだろうから」
恭しく頭を下げるエレーナに、おれも頭を下げる。
そしてすれ違いざま、ロレッタはエレーナに振り向く。
「エレーナ、ありがとう。またね」
「はい。ロレッタ様、どうかお幸せに」
エレーナは初めて微笑みを見せて、おれたちを見送った。
それからふたりでのんびりと旅をして、1週間後。
手を繋いで村へ戻って来たところ、さっそくテイラーやベスが駆け寄ってきた。
「あ、ロレッタちゃん! 戻ってきたんだ!?」
「やっと夫婦喧嘩が終わったのかい? 迎えに行ってたってことはレオンさんが折れたってことか。まあ、あの落ち込みようじゃ、そうなるよなぁ」
ロレッタは小首をかしげる。
「そんなに、落ち込んでたの?」
「そりゃあもう、人が変わったみたいに無気力になって、強くもないのに酒をかっ食らうは、家を散らかし放題にするわ、玄関開けっ放しで床で寝てるわ、ひでえもんだったぜ」
「わたし、ちゃんとお手紙置いていったのに?」
不思議そうに見上げられて、苦笑してしまう。
「いやぁ、黙っていなくなられたのがショックでさ……。手紙に気づかないまま、二度と会えないんだと思い込んじゃって……」
「ふぅーん」
嬉しそうに、ロレッタはにんまりと笑う。
「レオン、そんなにわたしのこと好きだったんだ。ふぅん、嬉しいなぁ。ふぅ〜ん」
にやにやとドヤ顔で向けてくる。照れてそっぽ向くと、ご丁寧にそちらに回り込んでまた覗き込んでくる。
「そ、そうだよ。っていうか、手紙なんかじゃなくて、ちゃんと言葉で伝えていってよ。そのせいでおれ、みんなを心配させて、迷惑だってかけちゃったんだから」
「わたしも面と向かってだとつらかったから手紙にしたんだけど……うん、次からはちゃんと言葉で伝えるね。レオンが寂しがって死んじゃったら困るもん。えへへっ、レオン、うさぎさんみたい。可愛い」
「も、もうっ、やめてよ。ほら、みんなへの挨拶はまたあとで。先に家に帰るよ」
ベスやテイラーのにやにやとした視線に耐えきれず、おれはロレッタの手を引いていく。
「うんっ、お家で一緒に、いっぱいゴロゴロしようね」
ロレッタはずっと上機嫌に微笑んでいた。
そして、いよいよ我が家へ。
玄関を開けて、ロレッタを迎え入れる。
彼女がいるだけで、この家のすべてが素晴らしいものに変わる。
自然とふたりで笑顔になる。
「ただいま、レオン」
「うん。おかえり、ロレッタ」
この日、この瞬間から、おれたちの新しい生活が始まる。
もう勇者ではないおれと、家を出てもう魔王ではなくなるロレッタの、第二の人生。
引退勇者と家出魔王ののんびりセカンドライフだ。