念のために村にも行ってみたが、やはりロレッタの姿はなかった。
代わりに、何人かの村人に不思議そうに声をかけられる。
「なあ、今朝早くにロレッタちゃんが挨拶に来たんだよ。あの子、レオンさんを置いてどこへ行っちまったんだ?」
どうやら、お世話になったからとみんなに声をかけて回っていたらしい。あの人見知りのロレッタが、たったひとりで。
「……実家に、帰るみたいですよ」
おれはそう伝えるだけで精一杯だった。
それはないんじゃないか、ロレッタ。
いずれ行くことはわかっていたけれど、みんなには声をかけていったのに、おれにだけはなにも言わずに出ていくなんて、ひどいじゃないか……。
そりゃ、面と向かえば引き止めちゃってたかもしれないけどさ……。
肩を落として家に戻ると、ますます気が滅入ってしまった。
誰もいない。
ただ静けさだけがある。
暖炉に火をつけても、あたたかさが足りない。カーテンを開けても、明るさが足りない。
ふたりならちょうどいいと思っていた家の広さが、あまりに広大に思えて寂しくなる。
キッチンには昨日作ったスープが残っている。悪くならないように、ちょくちょく火にかけて沸騰させるようにと言っていた。ひとりでこのスープを飲み切るのに、何日かかるだろう?
暖炉の前のソファに座ってみても、くつろげない。隣に寄り添って欲しい誰かがいないから。
「……ロレッタ」
ああ、ダメだ。我慢できない。涙がこぼれてくる。
家の中にいる限り誰かに涙を見られるわけでもない。だから泣いてもいいのだが、その事実に気づいて、ますます涙が溢れてくる。
ひとりなのだ。この先、ずっと。
もうロレッタの料理は食べられない。
もうロレッタがベッドに潜り込んでくることはない。
もうロレッタとソファでゴロゴロすることもない。
もうロレッタと、会うこともない。
……忘れたい。
いっそ、初めからひとりが良かった。
小さな家で、たったひとりで、まずいスープを飲んで、寂しさも知らずに生きていれば、こんなにつらい気持ちになることもなかった。
この家を壊して、元通りの小さい家にしてしまおうか?
そんな気持ちさえ湧き上がってくる。おれが剣を振るえば、こんな家、一分もかからず破壊し尽くすこともできる。
けれど剣を取ってみれば、一緒に材木を切って作ったこと、水路を作った日のことが思い出されてくる。とても握っていられない。
次に思いつくのは酒だった。
飲んでいれば少しは楽しい気持ちになって、飲み続ければ少なくともその間のことは忘れられる。
そう思って酒場でたくさん買ってきたのだが、これも失敗だった。
飲んでいたって、ちっとも楽しくない。
むしろ一緒に飲んだ日が思い起こされて、つらくなるだけだった。
そして飲み続けても、なにも忘れられない。
二日酔いになって苦しむときでさえ、彼女が看病してくれた思い出に悩まされる。
結局、おれにできることは、できるだけなにも考えず、心を殺して生活することだけだった。
◇
ロレッタが去ってから、どれくらい経ったか、もうわからない。
思い出がありすぎてベッドでは眠れず、床に寝袋で寝る日々だった。
「おじさま……? なにがあったのですか」
切迫した声に目を覚ますと、レティシアがいた。
「やあ……久しぶり。また遊びに来たの?」
「そのつもりでしたけれど……どうしてしまったのです、この有り様は。ロレッタさんはどちらに?」
「ロレッタ……ロレッタなら、帰ったよ……。おれを置いて、帰っちゃったんだ」
「それがショックでこんな風に……?」
「あはは。情けないね。でも、きついんだ。この家のどこもかしこも思い出だらけで、ロレッタがもういないって、突きつけてくるんだよ……」
「おじさま……。話はあとです! まずはヒゲを剃って、髪を洗ってきてください! その間に、この散らかり放題の部屋は、掃除しておきますから」
強引に起き上がらされて、風呂場に向けて背中を押される。
「あははっ、しっかりしてるなぁ、レティシアは。きっといいお嫁さんになるよ。いや、むしろ……やっぱり、おれと結婚する……?」
「——ッ!」
瞬間、左頬に強烈な衝撃を喰らい、おれは床に転がされた。
「バカなこと言わないでください! そんなおじさま、私は大っ嫌いです!」
その悲痛な叫びと痛みが、おれを少しは正気にさせた。
「……ごめん。どうかしてた。君まで傷つけるようなこと、言ってしまった……」
「いえ……。私も、殴ってしまって申し訳ありません。……お掃除、してますから。早く行ってきてください……」
「ああ……」
言われたとおりにしてから戻ってみると、居間に散らかっていた酒瓶やゴミを集めてくれていた。
続いておれの部屋の掃除をして、その次はロレッタの——いや、今はただの空き部屋に入っていく。
「この部屋は、綺麗なままなのですね……。あら?」
「どうかした?」
「あの、おじさま? この手紙はもう読みましたの?」
「手紙?」
レティシアが持ってきてくれたのは、一通の封筒だった。ロレッタの字で、『レオンへ』と書かれている。
「知らない……。これ、どこにあったの?」
「ベッドの上に。ひと目でわかるように置かれていましたわ。おじさま、このお部屋に一度も入っていなかったのですか?」
「あ、ああ……入る気も湧かなくて……」
封筒の中には、便箋が一枚。その内容は、たったふた言だけ。
『いってきます。約束、忘れないで』
おれは手紙を持ったまま、その場で崩れ落ちた。
「あ、あははは……。なにやってたんだ、おれは。すぐわかる場所にある手紙にも気づかないで……。これを読んでさえいれば、なにも苦しまなくて済んだのに……」
『いってきます』は出かけるときの言葉だ。
ここに帰る意志を示す言葉だ。
そして約束。これはきっと、ロレッタが魔王城に帰る約束のことじゃない。
もうひとつの約束だ。ふたりで
つまり、ここへ帰るために、手を貸して欲しいと言っているのだ。
「レティシア、お願いがある。大至急、サイラスを連れてきてくれ」
「はい? ですが、お掃除は……。それに家までかなり遠いですけれど……」
「掃除ならおれがしっかりやっておく。それに、サイラスはどうしても必要なんだ。おれの特訓に」
「特訓、ですか?」
「頼むよ。おれの考えていることが正しければ、おれは、今度こそあの子に勝たなくちゃいけないんだ」