サイラスは地面に這いつくばって頭を下げる。
「そう言わずにお願いします! 弟子にしてください! 住み込みで、家事でもなんでもしますから!」
「マジやめてよ。逆に迷惑だよ……」
「そうですよ。私だってそうしたいところを遠慮してますのに」
レティシアも言ってくれるが、サイラスは聞かない。
「なんでですか!?」
「さっきも言ったでしょ。君の大きい声が苦手な子がいるの。君と相性最悪なんだよ」
ため息をつきつつ、諭すように口にする。
「ていうか、これ以上強くなってどうするのさ。魔族とはもう和平が結ばれてる。戦う力なんてもう必要ないでしょ」
すると、きょとんと目を丸くする。
「なに言ってんすか。いつまた戦いが始まるかわからない緊張状態じゃないっすか。和平なんて言って油断してたら寝首をかかれちゃいますよ」
「そうなのか? 初耳なんだけど……」
「あ、そっか。ここらへん、結構田舎だから噂が届きにくいんすかね?」
レティシアは首を傾げる。
「あら? でもおじさま、この前、王都からの役人と会ったのでは? 噂とかお聞きになりませんでしたの?」
「あー……早く帰りたくて世間話は省略してもらっちゃったんだよね……。サイラス、その件、詳しく教えてくれないかい?」
「いいっすけど……話したら弟子入り認めてくれます?」
「弟子入りは認めない。さっき言った理由もあるけど、シーロン流宗家の子が、ガルバルド流に弟子入りはまずいでしょ。一応、ライバル流派だったはずだし……」
「そこをなんとか」
「嫌だって言うなら、レティシアに教えてもらうだけだけど……」
「レティシアよりオレのほうが詳しいっすよ。なんてったって現役勇者っすから。情報も最新版っす」
「じゃあ……弟子入りはダメだけど、強くなるコツくらいは教えてあげる。それでどう?」
「ありがとうございます! じゃあ、えーっと、どこから話しましょうかね?」
サイラスが語ってくれた魔族と人間の現状は、確かに緊張状態であった。
和平が成ってからすぐは、そこそこに歩み寄りができていたというのだが、だんだんと揉めることが多くなっていったのだという。
お陰で占領地や捕虜の返還、互いの賠償についても話がまとまらずにいる。
というのも、魔族側の多くは自分たちの最大戦力である魔王が倒されていない——つまり負けたわけではない、巻き返しもあり得た中での和平なのだから、譲歩する必要はないと考えているのだという。むしろ和平をしてやるのだから、人間側こそ譲歩しろと、という態度らしい。
それが嫌ならまた戦ってやってもいい、という発言すらあったという。そのときは、本気ではなかったのか、すぐ話し合いに戻ってくれたらしい。だが可能性が示唆された以上、それまで以上の緊張が走るようになった。
また、話し合いの席に、長らく魔王が姿を現していないのも気がかりだという。魔王も、人間側に呆れてもはや和平に興味を失くした……というのが、もっぱらの噂だ。
噂が間違っていることは、おれとロレッタだけが知っている。
たぶん、魔族側がまた一戦交えてもいいというのはブラフだろう。最大戦力であるロレッタは手元にいないのだから。頼りにはできない。
だが、魔族側の態度は真実だろう。ロレッタが急に和平を持ちかけてしまったが、彼らはそんなものは望んでいなかったのだろう。王の命令だから従っただけに違いない。
「——とまあ、だいたいこんな感じです。ね? 備えとく必要はあるっすよね?」
「ああ……そうだね」
「じゃあ次は先生の番っすよ?」
「なんだっけ?」
「強くなるコツっすよ! 教えてくれるって約束してくれたじゃないっすか!」
「あ、ああ、ごめんごめん。話聞いてたら考え事しちゃって。ええと、強くなるにはね、やっぱり基礎練習だよ。おれは毎朝、剣の素振りを軽く1万本やってる。これを1時間以内にこなせるのを目標に練習してみるといいよ」
「1時間で? 1万本? え? 先生、まともにやったら1千本だって半日かかりません?」
「じゃあ1千本を1時間を最初の目標にして、数を増やしていこうか。大丈夫、すぐには無理でも確実に力はつくから」
「な、なんか基準が超人なんすね……。そりゃあ、オレなんかじゃ先生と比べて弱いって言われるわけですね……。つか、そんな先生でも勝てなかった魔王って、どんだけヤバいんすか!? オレに和平持ちかけたのって、もしかして弱すぎて呆れられたってことなんすかね!?」
「君の相手をしたくなかったってのはあるね、きっと」
「うわぁ……ヘコむっすね……。オレ自身まだまだっていうのもそうですけど……こんな余裕であしらわれる実力でイキってたのが恥ずかしいっす……」
「君はまだ若いし、これからだよ」
「先生だって全然若々しいじゃないっすか。戦いが始まったら、魔王と戦えるのは先生くらいなんすから、引退なんて早く取り消してくださいよ」
「でもおれの引退は国に言われてのことだからなぁ……」
「だったら、オレがかけ合いますよ。不甲斐ないっすけど、きっとそれしかないんで」
「いざとなったらでいいよ。何事もないなら、おれはもうのんびり過ごしたいからさ」
「そんなもったいない! せめて、ここに道場建てましょうよ! 先生の強さは後世に引き継ぐべきっす! オレ手伝いますから! なんならすぐ人を呼んで——」
「こら、もうおやめなさいっ」
「いでででっ?」
呆れた様子でレティシアがサイラスの耳を引っ張る。
「おじさまはのんびり過ごしたいと仰っているでしょう。道場なんて作ったら邪魔になるじゃないですか。もう帰りなさい」
「痛いって。離してよレティシア〜」
ふう、と大きくため息。レティシアはこちらに向き直る。
「私もちょうど帰るところでしたし、このバカは私が責任を持って帰らせますね」
レティシアは最後に家の中でロレッタと挨拶を交わし、サイラスを引っ張って帰っていった。
まるで嵐が去ったあとのように静かになる。
しばらくぶりのふたりきりだ。
のんびりとイチャイチャしたいところだったが、その前に、おれはロレッタに尋ねた。
「サイラスの話、聞こえてた?」
「うん……。あの人、声大きいから」
ロレッタが隠れてくれていて良かった。サイラスがロレッタを見つけていたら、魔王だと看破されていた可能性が高い。そしてどんな騒ぎになっていたか。その騒ぎが、どんな事態を引き起こしていたか。
ロレッタは、うつむいてしまう。
「わたし、帰ったほうがいい……?」
人間と魔族の和平を円滑に進めるためにも、ロレッタは王として魔族の意思を統一させる必要があるだろう。
でも……ロレッタにそれができるのか?
「……いいよ、帰らなくて。どうせ、君がいなきゃやつらは戦う度胸がないんだ。このままここにいれば、きっと平和は続くよ」
「そうかな? そうだと、いいな……」
ロレッタはそっと目をつむり、おれの肩に身を委ねた。