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第34話 わたし、帰ったほうがいい……?





 サイラスは地面に這いつくばって頭を下げる。


「そう言わずにお願いします! 弟子にしてください! 住み込みで、家事でもなんでもしますから!」


「マジやめてよ。逆に迷惑だよ……」


「そうですよ。私だってそうしたいところを遠慮してますのに」


 レティシアも言ってくれるが、サイラスは聞かない。


「なんでですか!?」


「さっきも言ったでしょ。君の大きい声が苦手な子がいるの。君と相性最悪なんだよ」


 ため息をつきつつ、諭すように口にする。


「ていうか、これ以上強くなってどうするのさ。魔族とはもう和平が結ばれてる。戦う力なんてもう必要ないでしょ」


 すると、きょとんと目を丸くする。


「なに言ってんすか。いつまた戦いが始まるかわからない緊張状態じゃないっすか。和平なんて言って油断してたら寝首をかかれちゃいますよ」


「そうなのか? 初耳なんだけど……」


「あ、そっか。ここらへん、結構田舎だから噂が届きにくいんすかね?」


 レティシアは首を傾げる。


「あら? でもおじさま、この前、王都からの役人と会ったのでは? 噂とかお聞きになりませんでしたの?」


「あー……早く帰りたくて世間話は省略してもらっちゃったんだよね……。サイラス、その件、詳しく教えてくれないかい?」


「いいっすけど……話したら弟子入り認めてくれます?」


「弟子入りは認めない。さっき言った理由もあるけど、シーロン流宗家の子が、ガルバルド流に弟子入りはまずいでしょ。一応、ライバル流派だったはずだし……」


「そこをなんとか」


「嫌だって言うなら、レティシアに教えてもらうだけだけど……」


「レティシアよりオレのほうが詳しいっすよ。なんてったって現役勇者っすから。情報も最新版っす」


「じゃあ……弟子入りはダメだけど、強くなるコツくらいは教えてあげる。それでどう?」


「ありがとうございます! じゃあ、えーっと、どこから話しましょうかね?」


 サイラスが語ってくれた魔族と人間の現状は、確かに緊張状態であった。


 和平が成ってからすぐは、そこそこに歩み寄りができていたというのだが、だんだんと揉めることが多くなっていったのだという。


 お陰で占領地や捕虜の返還、互いの賠償についても話がまとまらずにいる。


 というのも、魔族側の多くは自分たちの最大戦力である魔王が倒されていない——つまり負けたわけではない、巻き返しもあり得た中での和平なのだから、譲歩する必要はないと考えているのだという。むしろ和平をしてやるのだから、人間側こそ譲歩しろと、という態度らしい。


 それが嫌ならまた戦ってやってもいい、という発言すらあったという。そのときは、本気ではなかったのか、すぐ話し合いに戻ってくれたらしい。だが可能性が示唆された以上、それまで以上の緊張が走るようになった。


 また、話し合いの席に、長らく魔王が姿を現していないのも気がかりだという。魔王も、人間側に呆れてもはや和平に興味を失くした……というのが、もっぱらの噂だ。


 噂が間違っていることは、おれとロレッタだけが知っている。


 たぶん、魔族側がまた一戦交えてもいいというのはブラフだろう。最大戦力であるロレッタは手元にいないのだから。頼りにはできない。


 だが、魔族側の態度は真実だろう。ロレッタが急に和平を持ちかけてしまったが、彼らはそんなものは望んでいなかったのだろう。王の命令だから従っただけに違いない。


「——とまあ、だいたいこんな感じです。ね? 備えとく必要はあるっすよね?」


「ああ……そうだね」


「じゃあ次は先生の番っすよ?」


「なんだっけ?」


「強くなるコツっすよ! 教えてくれるって約束してくれたじゃないっすか!」


「あ、ああ、ごめんごめん。話聞いてたら考え事しちゃって。ええと、強くなるにはね、やっぱり基礎練習だよ。おれは毎朝、剣の素振りを軽く1万本やってる。これを1時間以内にこなせるのを目標に練習してみるといいよ」


「1時間で? 1万本? え? 先生、まともにやったら1千本だって半日かかりません?」


「じゃあ1千本を1時間を最初の目標にして、数を増やしていこうか。大丈夫、すぐには無理でも確実に力はつくから」


「な、なんか基準が超人なんすね……。そりゃあ、オレなんかじゃ先生と比べて弱いって言われるわけですね……。つか、そんな先生でも勝てなかった魔王って、どんだけヤバいんすか!? オレに和平持ちかけたのって、もしかして弱すぎて呆れられたってことなんすかね!?」


「君の相手をしたくなかったってのはあるね、きっと」


「うわぁ……ヘコむっすね……。オレ自身まだまだっていうのもそうですけど……こんな余裕であしらわれる実力でイキってたのが恥ずかしいっす……」


「君はまだ若いし、これからだよ」


「先生だって全然若々しいじゃないっすか。戦いが始まったら、魔王と戦えるのは先生くらいなんすから、引退なんて早く取り消してくださいよ」


「でもおれの引退は国に言われてのことだからなぁ……」


「だったら、オレがかけ合いますよ。不甲斐ないっすけど、きっとそれしかないんで」


「いざとなったらでいいよ。何事もないなら、おれはもうのんびり過ごしたいからさ」


「そんなもったいない! せめて、ここに道場建てましょうよ! 先生の強さは後世に引き継ぐべきっす! オレ手伝いますから! なんならすぐ人を呼んで——」


「こら、もうおやめなさいっ」


「いでででっ?」


 呆れた様子でレティシアがサイラスの耳を引っ張る。


「おじさまはのんびり過ごしたいと仰っているでしょう。道場なんて作ったら邪魔になるじゃないですか。もう帰りなさい」


「痛いって。離してよレティシア〜」


 ふう、と大きくため息。レティシアはこちらに向き直る。


「私もちょうど帰るところでしたし、このバカは私が責任を持って帰らせますね」


 レティシアは最後に家の中でロレッタと挨拶を交わし、サイラスを引っ張って帰っていった。


 まるで嵐が去ったあとのように静かになる。


 しばらくぶりのふたりきりだ。


 のんびりとイチャイチャしたいところだったが、その前に、おれはロレッタに尋ねた。


「サイラスの話、聞こえてた?」


「うん……。あの人、声大きいから」


 ロレッタが隠れてくれていて良かった。サイラスがロレッタを見つけていたら、魔王だと看破されていた可能性が高い。そしてどんな騒ぎになっていたか。その騒ぎが、どんな事態を引き起こしていたか。


 ロレッタは、うつむいてしまう。


「わたし、帰ったほうがいい……?」


 人間と魔族の和平を円滑に進めるためにも、ロレッタは王として魔族の意思を統一させる必要があるだろう。


 でも……ロレッタにそれができるのか?


「……いいよ、帰らなくて。どうせ、君がいなきゃやつらは戦う度胸がないんだ。このままここにいれば、きっと平和は続くよ」


「そうかな? そうだと、いいな……」


 ロレッタはそっと目をつむり、おれの肩に身を委ねた。

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