「うぅう、うぇええ……っ! うえぇええん!」
レティシアは剣を握り締めたまま、いよいよ泣き出してしまった。
まあ、最強の魔族であるロレッタに剣術勝負を挑めば、手加減されていてもこうなるのは必然だ。
ロレッタは決して、レティシアを傷つけていない。相手の攻撃を避け、あるいは受け流し、反撃の際には木剣で優しく触れるのみ。それをもう何十回も繰り返している。
圧倒的な実力差は、レティシアも思い知ったことだろう。
けれども、まだ心までは折れていない。
「ふぇえん! えん! うわぁああん!」
泣き声そのままの掛け声と共に、ロレッタに打ち込みに行く。また避けられ、反撃を受ける。それでもまだ立ち向かう。
勢い余って転び、それでようやく動きが止まった。
「ひぐっ、うぐっ! わ、私、頑張ってきたのにぃ……! 憧れのおじさまみたいになりたくて、その一心で……。なのに、どうして……っ」
「わたしだって、レオンに負けたくなくて、剣を交えるたびに特訓してたもん」
「私の想いは……こんなにも弱いものだったのですか……」
レティシアの動きは決して悪くない。現役の勇者パーティにも遅れは取らないという自己評価は、正確なものだろう。下手すると同じ年の頃の彼女の父親より強いかもしれない。
相当な鍛錬を積んできたのだろう。そして、その原動力が憧れだったというのなら、その想いは決して弱いものではない。本物だ。
ロレッタもそれが分かっているのだろう。声が優しげだ。
「レティシア、降参する?」
一方的に勝利を宣言してもいいくらいの実力差なのに、あえて聞いてみせる。
レティシアは一瞬弱気な目を見せるが、しかし己を奮起させるように首を大きく左右に振った。
「いいえ、まだ……まだ負けてません。何度でも……勝つまで立ち上がります!」
その言葉通り立ち上がり、木剣を構える。
そんなレティシアに、ロレッタは微笑んだ。
「じゃあ、わたしが降参。レティシアの勝ち」
「へっ?」
レティシアはきょとんと目を丸くして木剣を落としてしまう。
「な、な、なぜです?」
「だって、これは強さの勝負じゃないんだよね? 気持ちの勝負。レオンのために強くなったのは同じだけど……わたしはずっと勝ってたから。自分より強い相手に、負け続けても向かっていく気持ち、わたしにあるのかわかんないから」
「勝ちを、譲られた気がします……」
「そうかも。でも、何度でも向かってくるレティシア……レオンみたいだったよ。格好良かった」
「私が……おじさまみたい……?」
すると一旦は引っ込んでいた涙が、またぶわっと湧いてくる。
「うぅう〜っ、おじさまぁ! 私、勝てましたぁ……っ。おじさまに近づけましたぁ!」
勢いよく抱きついてくるのを、しっかりと受け止めてあげる。
「うん……。よく頑張ったね。それに、よくここまで強くなった。すごいことだよ。誇っていい」
約束通り、頭を撫でてあげる。
「もっとナデナデしてくださいぃ〜っ」
「よしよし。大きくなっても、こういうところは変わらないね」
「わたしも。よしよし、レティシア頑張った」
ロレッタもやってきて、一緒にレティシアの頭を撫で始める。
すんすんっ、とレティシアは鼻を鳴らす。
「あ、ありがとうございます……。でもあの……っ、全然、勝った気がしません……!」
◇
「では……3本勝負の最後の対決です!」
「うん、これで決着」
レティシアが落ち着いてから、ふたりはテーブルで向き合っていた。
顔を洗ってきたレティシアだが、まだ目元は赤い。けれどその青い瞳には闘志が燃えている。
ロレッタも勝負は好きと言っていたとおり、3本目の勝負にもつれ込んだこの状況を楽しんでいるようだ。
「私は間違っていました。料理とか剣術とか、技術が絡む勝負では愛情の大きさを正確にはかれません。なのでストレートな勝負にしましょう」
「うん、どんなの?」
「レオンおじさまの好きなところを、より多く挙げられたほうが勝ちというのはいかがでしょう?」
「いいよ。わたし、レオンの好きなところいっぱいある」
「私だってそうです。では私から、穏やかで優しいところ」
「じゃあ……わたしと互角に戦えるところ」
「30代後半なのに若々しくって格好いいところ」
「手が大きくてあったかいところ」
「あっ、それわかります。あの手で撫でられると、気持ちいいですよね」
「うん……撫でられるの、好き」
「では私も。頭を撫でてくれるところ」
次々に挙げていく両者だが……。
これ、聞かされてるおれはどう反応すればいいんだろう?
ふたりの美少女に好きなところを列挙され続けるって、嬉しいやら恥ずかしいやら、いたたまれないやら。
というか、おれがいる必要ないよね? 村の酒場にでも避難を……。
そう思って、席を立とうとしたら、ふたり同時に睨まれた。
「レオン、ここにいて」
「おじさまは、いてください」
逃げられない……。
これ、どっちが勝ったとしても、ダメージが一番大きいのはおれだよなぁ……。
この勝負は、1時間経ってもまだ続いていた。
◇
「剣を構えたとき、一瞬で周囲の様子を確認する目つき」
「むむっ、そう来ましたか。では……上段に構えたときにちらりと見える腹筋が——」
「それもう言った」
「ぬっ。では、相手に踏み込んだときに一瞬体が沈み込むポーズが——」
「それも言った」
「うぅっ。で、では、技とか魔法の名前には興味ないのに、愛剣には名前をつけるところが——」
「残念。それも言ってたよ。3回ミス。レティシアの負け」
「あぁああ〜、悔しいぃ、負けましたぁあ!」
叫びとともにレティシアはテーブルに突っ伏した。
もはや暗記ゲームの様子だったが、ロレッタが勝利したようだ。
ほっとひと息。これでやっと解放される。
ロレッタがにっこりと笑いかけてくる。
「レオン、勝ったよ。ナデナデして?」
「ああ、うん。おめでとうロレッタ……」
言われた通り、頭を撫でてあげる。
「なんか疲れてる?」
「まあ……ね。でも勝ちは勝ち。頑張ったねロレッタ」
「うん、わたし負けない」
その瞬間、ガバッとレティシアが顔を上げた。
「いいえ、それは真の勝利ではありません! こういうことは、おじさまがどちらを好きかということのほうが大事なのです! おじさまに選ばれてこその勝利です!」
また負け惜しみで、ルール変更しちゃったよ……。
「というかレティシア、それ勝負の前におれが言わなかったっけ?」
「いいえ、聞いておりませんよ?」
レティシアは涼やかにスルー。いい性格してるよ。ここは父親似かも。
「ではレオンおじさま、お聞かせください。私とロレッタさん、どちらのほうがお好きですか?」
「それ答えなきゃダメ?」
「ダメです」
見ればロレッタも期待に満ちた目で見つめてきている。
ちょっとため息。
「じゃあ……結婚とか抜きにして、どちらと一緒に暮らしたいかで答えるけど……それでいい?」
「はい」
レティシアの返事に、ロレッタも頷きを重ねる。
おれはひと呼吸おいてから、その名前を告げた。