時は、ロレッタが出かける前に遡る——。
レオンに言われたとおり、ロレッタは埃まみれになった服を脱いだ。代わりに今朝もらった古着から適当なものを選んで着てみる。サイズは合っている。胸元は少し苦しいが、そのうち服が伸びてくれるだろう。
外に出てみると、レオンは木を切るのに集中しているみたいなので、邪魔はせず、そのまま村へ向かうことにした。
ロレッタにとっては、よく知らない人間だらけの危険地帯だが、頑張ると言ったのだから、できる限り頑張ってみるのだ。
目的地は、昼食をとった宿屋兼酒場。位置はわかっている。そして、見える範囲の村人の動きも把握。最短距離では、何人かに声をかけられそうだ。ここは迂回して、誰にも見られないコースを取るのみ。
「あら、あなた、さっきのロレッタちゃんっ?」
びっくぅっ!!?
予想外の方向から声をかけられ、ロレッタは硬直してしまう。
恐る恐る振り向くと、古着を譲ってくれたおばさんがいた。
しまった。死角があった! とか後悔するも、もう遅い。
「あ……えと、ど、ども……」
「まあまあ、さっそく着てくれたのね! 一瞬娘が帰ってきたのかと思っちゃったわ。うんうん、似合ってる。うちの娘なんかよりずっと可愛いわ」
ロレッタの今の服装は、シンプルな白いブラウスと、薄い青色のジャンパースカートだ。可愛いかどうか、ロレッタ自身にはよくわからないが。
「あ、ありがと」
「レオンさんにはもう見せた?」
「あ、うぅん、まだ……」
「そうなの? もったいない。きっと喜ぶわよ」
「よ、喜ぶ? なんで?」
「男の人はね、近くにいる女の子が可愛いと喜ぶものなのよ。ロレッタちゃんは、ただでさえ可愛いんだから、もっといっぱいオシャレするといいわ」
「オシャレ……」
ロレッタには、よくわからない概念だが、ここでさらに尋ねたら話が長くなりそうだ。ひとまず、適当に相槌を打って離脱を試みる。
「が、頑張る」
「ええ、いいわねぇ、頑張ってレオンさんをメロメロにしちゃいなさいな」
メロメロもよくわからないが、ロレッタは、小さくペコリと頭を下げて、そそくさとその場を去る。
大きく深呼吸。あのおばさんは要注意。姿を見られたら声をかけられる。次からは警戒優先度を上げるべき。ロレッタ覚えた。
早くも疲労感が募り、帰りたい気持ちが芽生えてしまう。
でもでも、目的を果たすまでは頑張らねば。
そこからは、幸いなことに誰からも話しかけられなかった。なぜだか視線を集めていたようだけれど。
そして目的の酒場に入ったとき、ロレッタは愕然とした。
昼間よりも、人が多い。がやがやと賑やか——賑やかすぎる。
今のロレッタには知る由もなく、後に重要事項として学ぶことだが、この時間帯はその日の仕事を早めに終えた者が集まってくる頃合いなのだ。
思わず、外へ引き返してしまう。
想定外。どうしよう。想定外。
思わず立ちすくんでしまうが、すぐその場を離れる。このままだと誰かに話しかけられてしまう。怪しまれないよう、店の周りをぐるぐると歩き、どうするべきか考える。
とかやっているうちに、陽は沈み始める。仕事を終えた村人が、どんどん酒場に集まってくる。店内の賑やかさが外に聞こえてくるほどだ。
な、なんでみんな集まってくるの? これは、すぐ行かねば、取り返しのつかないレベルで人が集まるのでは?
やっと気づいたロレッタは、躊躇するも、大きく息を吸い込んで、胸元で両の拳を握りしめる。
頑張る。本気、出す。
決意を胸に、ロレッタは意識して戦闘時と同様の集中力を発揮する。周囲の視線や動きだけではない。気配や息遣い、匂いに至るまでを掌握。
そして驚異的な瞬発力で、その合間を縫って酒場の入口へ一瞬で移動。音もなく侵入し、すぐさま跳び上がる。天井に逆さまに張り付き、全員の視界から逃れる。天井、柱、壁を蹴って誰にも気づかれないまま空中を移動。
厨房前のカウンター席近くに降り立つ。客はみんな自分の食事や仲間との会話に夢中で、ロレッタの存在には気づいていない。
さあ、ここからが本番だ。
レオンからもらったコインを握りしめ、店員の隙を窺う。
客の気配。隠れる。
店員の隙を窺う。隠れる。窺う。隠れる。
客観的に見たら不審者そのものかもしれないが、ロレッタは真剣そのものだ。
やがて、ここだ! と最適なタイミングで、若い女性店員の背後に回り込む。
勇気を振り絞り、声を上げる。
「あ、あのっ!」
「うひゃい!?」
びっくりして振り返った茶髪の女性店員は、ロレッタを見て目を丸くした。
「あ、あれぇ。今朝の、ロレッタちゃん? いつの間に……。あ、いらっしゃい。ご注文は?」
ロレッタはコインを握りしめた拳を突き出す。
「り、料理……」
「えっと、この代金分だと2人分の夕食?」
店員の問いに、ふるふると首を横に振る。
「料理、教えて……」
「えっと……?」
店員は困惑する。上手く伝わってないらしい。ロレッタは怖気づいて逃げ出したくなる。
「お料理ができるようになりたいの?」
優しく問いかけてくれたので、ロレッタはまだ勇気を失わずに済む。
「うん……。あの、レオンにお礼したくて……。レオンは美味しいごはんが嬉しいって言ってたから、でも、わたしは外が苦手だからここまで来たくなくて、だから、わたしが作れればって思って……。でもなにもわかんないから……。お昼のごはん、ここで食べて美味しかったから、ここで教われば、わたしもできるかな……って……」
たどたどしい説明を、店員は急かすことなく聞いてくれた。
そして、小さく頷いて、にやりと微笑む。びっ、と親指を立てる。
「いいね、愛だね!」
「???」
「そういうことなら、あたしにお任せあれ。ピーク前に休憩取るつもりだったし、まかない作るついでに教えたげる」
「あ、あ、ありがとう」
「あたし、ベスって言うんだ。よろしくね、ロレッタちゃん」
「う、うん。よろしく、ベス……」
ベスに厨房に招き入れられる。
「でも今はあんまり時間ないし、簡単お手軽な料理だけ教えたげよう」
「う、うん」
ベスが教えてくれたのは、卵料理。その基本中の基本、目玉焼きだった。
ロレッタは火の扱い方、フライパンの持ち方、油のしき方に至るまでまったく知らなかったが、丁寧に教えてくれたお陰で、ベスの休憩時間中になんとか作れるようになった。
「おー、いいね。筋が良いよ、ロレッタちゃん」
「完成……?」
「そ、出来上がり。食べてみて」
ロレッタは頷いて、ドキドキしつつ自分で作った目玉焼きを食べてみる。
そして、笑顔になる。
「……美味しい」
「くわぁー、可愛いなぁ、ロレッタちゃん! レオンさん羨ましいぃ〜」
なぜか悶えるベスであるが、ロレッタは嬉しくて気にならない。
「でもごめんね。あたしもう休憩終わりだから。他の料理はまた今度でいい?」
「うん……ありがとう。これ」
ロレッタは改めて、コインを差し出す。
「お金? そんなのいいのに」
「でも、なにかしてもらったら、お金を払うんだよね?」
「んもー、じゃあ、食材費ってことで、これ持ってって。お家でレオンさんに作ってあげて」
お金を受け取る代わりに、ベスはロレッタに玉子いっぱいの籠を手渡す。
「割らないように気をつけてね」
「うんっ、ありがとう、ベス」
ロレッタが酒場を出る頃には、空はすっかり暗くなっていた。