翌朝、ロレッタの拘束が緩んだ隙にベッドからの脱出に成功した。
一睡もしていないが、長年の冒険で鍛えたお陰でこれくらいは問題ない。
問題ないが……ちょっと鍛えすぎたか? 元気すぎる。
外に出て、日課の剣の素振りでもして気を治めるとしよう。
まったく……。アラフォーのおれにも、まだ異性にドキドキする気持ちが残されていたとは……。
それにしてもロレッタはやっぱり美少女だな……。無防備な唇、柔らかいあたたかい肌触り、ミルクに似たいい匂い……。
くっ、思い出すとやっぱり変な気持ちになる!
ダメだぞ、おれ! 変な気を起こすな!
一緒に暮らすと言っても、あくまで一時的な保護だ。それに家出したとはいえ魔王だ。妙な関係になったりしたら、あとでどんな問題になるかわかったものじゃない!
うおお、鎮まれ、おれの煩悩!
剣の素振りは、物凄く捗った。
ようやく落ち着いてきた頃、家の中で、ドタドタと音がした。続いて慌てているような足音。
やがてロレッタが外に出てくる。おれの姿を見つけて、ほっと安堵して駆け寄ってくる。
だぼだぼのシャツの裾をヒラヒラさせて。見えそうで見えない感じで!
「良かったぁ。レオン、いなくなっちゃったかと思ったぁ……」
「約束したんだ。いなくなったりしないよ」
「なんでそっぽ向いてるの?」
「……なんでもない」
「顔、赤くない?」
「ははは、運動してたからだね。それ以外に何があるって言うんだい?」
「そうなんだ」
おれは剣を下ろして、一息つく。
「よし、うん。ロレッタ、そろそろ服も乾いただろうし、着替えようか」
「え、なんで」
「そのシャツ、おれのだし。あとその格好じゃ、村に行けないじゃないか」
すると、ロレッタは露骨に嫌そうな顔をして身構えた。
「なんで村に行くの?」
「これから暮らすんなら、村のみんなに挨拶しとかないと」
「や、やだ」
「なんで嫌なのさ」
「知らない人怖いぃ……」
「こらこら魔王様。最強の魔族が村人を怖がってどうするの」
「だってわたし陰の者だもん……」
「それに服が1着しかないのも困るでしょ。村で調達しないと。君の服を洗ったりしてる間、どうする気?」
ロレッタは手を広げて、今の格好を示してみせる。
「これでいいよぅ、動きやすいし、快適ぃ」
「おれは快適じゃないの」
「なんで?」
「目のやり場に困るの」
ロレッタは小首を傾げる。
「なにに困るの? ちゃんと隠れてるよ」
「ぎりぎり隠れてるのが、むしろ煽られてるみたいで困るんだ」
「ぎりぎり?」
ロレッタは視線を落とし、シャツの裾のあたりを見やる。
「…………」
それから顔を赤らめて、恥ずかしそうに上目遣い。
「レオン、見てたんだ……。えっち……」
「目が引かれるだけだよっ、だから服を調達しようって言ってんのっ」
「うぅう〜、でも行きたくないぃ……。お任せしていい……?」
「さすがにそれは本人がいてくれないと……」
「じゃあ、服は、我慢する。み、見ててもいいよ、レオン……」
「その我慢ができるんなら、村にも我慢して行けるでしょ」
「やだぁ〜……」
「こらこら。わがまま言う子とは一緒に暮らせないぞ?」
「う〜、それ出すのズルいぃ……」
「話は決まったね。よし朝ごはんにしよう」
朝食のあと、おれは渋るロレッタを着替えさせ、彼女を引き連れてご近所の村へ足を運ぶのだった。
◇
「——というわけで、うちの家に来た同居人です。村の住民として、今後よろしくお願いします」
「おやおやおや、まあまあまあ、可愛い奥さんねえ。レオンさん結婚していたなんて残念だわぁ〜」
村のあちこちでロレッタを紹介するたびに勘違いされる。
「いや奥さんではなく……」
「じゃあ少し先のお話ね。うふふ、今が一番楽しい時期ね」
「そういう関係でもなく、ただの友達で……」
なんでアラフォーのおれと、見た目は10代の美少女のロレッタがそういう関係に見えるんだ。親子とか、せいぜい歳の離れた兄妹に見られるならまだわかるが……。
「あと、この子は魔族でもあるんです。和平を結んだってことで、人間を学ぶためにこちらに来てて、おれが面倒を見ているんです。みなさんも、よろしくしてくれればと」
そういうことにしている。下手に魔族だと隠しておくと、あとでバレたときに騒ぎになるかもしれないからだ。だったら、最初から無害な者だと紹介しておくほうがいい。
それからおれは、「はい、ご挨拶」とロレッタを促す。
「ロレッタ、です。よろしく……」
ローブのフードを外して、そっとお辞儀。
顔が非常に凛々しくなっている。魔王だ。おれの知ってる魔王の顔だ。
緊張すると本当にこの顔になるのか。
これでは村人を威圧してしまうのでは……と危惧していたのだが杞憂だった。
「よろしくねえ、ロレッタちゃん。はい、りんご。りんご食べる?」
このおばさんも、他の村人と同じでまったく動じず、りんごを手渡してくれる。
おれの背中に隠れてのご挨拶なので、みんなまったく怖くないのだろう。
「あ、ありがとう……」
「他にも困ったことがあったら言ってね」
「あの、それなら女の子用の古着とかが余っていれば譲っていただければと。この子、ろくな着替えがなくて」
「ちょうど嫁に行った娘が置いていったものがあるわ。ちょっと待ってて、持ってくるから」
おばさんが持ってきたのは予想以上の量の古着だった。さらに余ってるからと、さらにいくつかの野菜も持たされる。
他の村人から譲ってもらった物も含めると、両手いっぱいの山となってしまう。
「あの、お代を……」
「いいのよ、そんなの。どうせ使わないし、食べきれないもの。捨てるだけだから、もらってくれるだけでも助かっちゃうもの」
と、半ば押し付けられる形で色々といただいてしまう。
「あ、ありがとうございます」
本当はまだ用事があったのだが、この荷物ではもう無理だ。
一応、村のみんなには挨拶できたから良しとして、一旦、家に帰る。
「つ、疲れたぁ……」
帰ってきて早々、ロレッタはベッドにうつ伏せになった。
「はい、起きて起きて。まだ用事あるから。荷物置いたしもう行くよ」
「え〜、もうやだよぅ。わたし今日すごく頑張ったよ。もうゴロゴロしてようよぉ」
「しょうがないなあ。じゃあおれひとりで行ってくるから、古着の整理でもしてて。あとお客さんが来たら対応よろしく」
「お、お客さん対応……ひとり、で?」
「頑張って。大丈夫、魔王城では対応できてたでしょ」
「あれはレオンだからだし、台本があるからだし」
「じゃあ、行ってくるねー」
「わ、ま、待って待って。ひとりにしないで、わたしも行くからぁ」
結局ロレッタは嫌々ながらも付いてくるのだった。