昇降口で粋先輩と別れて教室に入ると、珍しく月ちゃんが席に座っていて、その机に星ちゃんが軽く腰かけていた。
「おはよう、月ちゃん、星ちゃん」
「おっ! セイ! おはよ! ねぇねぇ、昨日の話は何だったの?」
「ちょっときらこ。唐突過ぎるでしょ。セイ、おはよう。本日は良いお日柄で」
「るなちは遠回しすぎでしょ」
何やらコントを始めた二人の声を聞きながらリュックを下ろして、二人の顔を見比べた。二人の声は俺より高くて良く響く。ボクにとっても彼らにとってもデリケートな話だし、場所を移した方が良いかもしれない。
「あのさ、昨日の話は、ちょっとあれだから……」
「あれ?」
「どれ?」
揃って首を傾げる二人。ボクは言葉選びに悩んで少し言葉を口の中で転がした。
「えっと、ちょっと他の人には聞かれたくないんだよね。だから、上で話しても良いかな?」
ボクの言葉の意味を理解した二人は黙って頷くと、ボクに先立って教室を出て行った。ボクもリュックから貴重品だけ出して教室を出ると、いつも通りロッカーに仕舞って鍵を掛けた。それから二人の後ろを追いかけるように三階に続く階段を一段飛ばしに駆け上がった。
少子高齢化の影響なのか空き教室になってしまった三階にある四室のうち、一番人が来ない奥の部屋。そこを覗くと、星ちゃんと月ちゃんが教室の端に追いやられた机と椅子のうち、椅子だけを三つ引っ張り出して向かい合わせに置いてくれていた。
「ありがとう」
「いや、三十分でホームルーム始まるしゆっくり聞けなくてごめんね。でもセイが私たちだけに話したいってことは、かなり重大なことかと思って」
フッと不敵に笑いながら月ちゃんは脚を組んで椅子に座る。星ちゃんもその右隣の椅子に目を輝かせて腰かけた。
「それでそれで? なんだったの?」
「じゃあ、時間もないし、単刀直入に」
ボクは空いた一席に腰かけると、腿に手をついて息を大きく吸った。
「鬼頭さんと粋先輩に告白されました」
ギュッと目を閉じながら、たっぷりの良きに乗せて言い切る。すると辺りがシンと静まり返って、下の階のざわめきだけが聞えた。
そっと目を開けて二人の顔を見ると、それぞれ何とも言えない顔のまま固まっていた。変顔をしているわけではないはずなのに、そんな感じの顔になってしまっている。そんな二人の前で手を振って意識を戻してもらうと、二人は急に目を見合わせた。
「はぁぁぁっ!?」
口を大きく開けて、学校中に響き渡りそうなくらいの大合唱。慌てて二人の口を塞ごうと立ち上がったけれど、あまりの声の大きさに近づくこともできずに自分の耳を塞いだ。そんなボクの様子に気が付いた二人が自分たちで口を押さえてようやく静かになった。
念のため三人で縦に並んで教室の外にそろそろと出ていくと、階段中央の壁の隙間を覗いて一階まで見下ろした。誰もこちらに意識を向けていないことを確認して、再び空き教室に戻って椅子に座り直す。その瞬間、二人がグイッと顔を寄せてきた。
「それで? セイはどっちを選んだの?」
祈るように手を組みながら聞いてくる月ちゃん。不思議に思いながらも首を振ると、月ちゃんは良きを吐きながら背もたれに身体を預けた。一方の星ちゃんはガクッと項垂れると、つまらなそうに唇を突き出してため息を吐く。
「どっちも振っちゃったのかぁ」
「いや、二人には考えたいって伝えた」
「は? 保留にしたの?」
「へぇ? やるねぇ」
月ちゃんは眉間に皺を寄せるし、星ちゃんはニヤニヤと笑う。不味かったのかと不安になると、それが顔にでていたのだろうか。星ちゃんはゴホンっと咳払いした。
「不味くはないよ? ちゃんと考えることも必要だと思う。ただ、すぐに断らなかったってことはどっちもタイプってことでしょ? 学力以外は完璧と言われる生徒会長と、学内最強のヤンキーと恐れられる鬼の弁慶。パッと聞いた感じは両極端じゃん。守備範囲広いなぁって感心してたの」
「面白がってたんでしょ」
「まあ、その気持ちがなかったとはいえないけど」
月ちゃんに指摘されて、星ちゃんは視線を逸らしながらニシシッと笑った。それにつられてボクも思わず笑ってしまう。
「ボクは今まで人を好きになったことはあったから。自分の気持ちを馬鹿にされることが辛いことはよく知ってる。だから真剣に向き合いたいんだ。まあ、その逆はなかったから、単に好きだって言われて嬉しかったっていうのが一番の理由だけどね」
ボクは異性と身体が触れても何も思わないのに、同性の友達に肩を組まれたり手を引かれたりすると緊張してドキドキした。それに気が付いてからは少数派である自覚を持っていたけれど、初めて恋をしたときは驚いた。それでも、これも恋だと割り切って想いを伝えて見事に玉砕して、まあいろいろあった。あのころのことは思い出したくもない。
「良いんじゃない? それで」
俯いて記憶を振り払おうと奥歯を噛み締めていたら、ぽふぽふと柔らかく癖毛を撫でられた。ゆっくり顔を上げると、星ちゃんは少し大人びた顔でボクを見ていた。
「でもそう思ったのなら、最後まで自分の気持ちに素直でいないとダメだよ? 道場は逆に相手を苦しめることになるし、それはセイ自身も同じ痛みを感じることになるんだからね?」
普段はふざけたことを言ったりやったり。そんな星ちゃんだけど、たまに見せるこういう大人っぽいい表情だったり達観した考え方だったり。それが彼女の計り知れない強さを垣間見せてくれる。ボクの知らない真っ黒な世界で道標のように手を引いてくれる彼女と出会えたことは、ボクにとって大きな財産だと思う。
自分で言うのもなんだけど、二人に出会うまでは碌な人間関係を築くことができていなかった。最初は普通に話したり遊んだりしていても、お菓子作りや裁縫が好きだと言ったら仲間外れにされるようになった。教室に居づらくて図書館に逃げ込んでも、冒険小説よりも児童向けの恋愛小説がすきなことを馬鹿にされた。
理解してくれる人が現れたと思っても、結局裏ではボクのことを馬鹿にしていたこともあった。ボクは家族以外誰も信用できないまま高校生になった。
だけど、周りのどんな言葉だって二人と出会えた今なら何も怖くない。
「うん。もしボクが自分の気持ちを見失いそうになったら、星ちゃんと月ちゃんに導いて欲しい。ボクは人間関係の経験が乏しいから」
頬を掻くと、星ちゃんも月ちゃんも深く頷いてくれた。
「ま、私たちも似たようなものだけど」
ニシシッと笑った星ちゃんが月ちゃんの脇腹を肘でつつくと、月ちゃんは苦笑いを浮かべて頷いた。
「きらこはまだマシだろうけど、私も人間関係は微妙だし。ここに得意なひとなんていないからね。まあでも、だからこそ一点集中で力になれる」
「私たちは二点集中だと思うけど」
「そういう話?」
なんだかんだ言いつつゲラゲラと笑っている二人。明るくて楽しくて優しくて。本当に頼もしくて心が温かくなる。
「ボクも二人の力になるからね」
ボクがそう言うと、二人は笑うのを止めて顔を見合わせた。そしてボクにニィッと笑った。
「よろしくっ!」
「頼んだよ?」
二人に抱き着かれて頭をこねくり回される。
「うわっ! 髪がぼさぼさになるっ!」
普段から大してセットとかしたことないから、怒るようなことでもない。なんだかんだ三人揃って笑っていると予鈴のチャイムが鳴った。慌てて椅子を片付けて、やっぱり笑いながら階段を駆け下りた。やっぱり二人は最高の友達だ。