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第4話 熱さを抱えて


 鬼頭さんに言われるよりも信じ難い話だ。だって生徒会長はこの高校の生徒のトップ。そんな人が、どうしてしがない一般生徒の一人でしかないボクなんかに。情報の処理が追い付かなくて頭がパンクしそう。

「えと、生徒会長が、ボクを、好き?」

 どうにか言葉を絞り出す。すると生徒会長は柔らかく微笑んだ。

「こんな状況で言うつもりではなかったんだけどね。でも、誰かに掻っ攫われていくのを指を咥えて見ているだけなんて耐えられないから。困らせて申し訳ないけど、引く気はないよ」

 生徒会長の瞳があまりにも真剣で、ボクはゴクリと唾を飲んだ。吸い込まれてしまいそうだ。

 ボクをジッと見つめる生徒会長と鬼頭さん。ボクの答えを待っていることは分かるけれど、何をどう言えば良いのか分からなくて口を開けたり閉じたり。パクパクするだけで時間が過ぎてしまう。二人の視線にどんどんドキドキしてしまって、自分の気持ちが見えない。

「え、えっと、ボ、ボクは、二人に好きだって言ってもらえて、嬉しい、です。その、ドキドキし過ぎて、今はそれしか自分の気持ちが分からなくて。だから、その、もし良かったら、これから二人のことを知りたい、です。答えはそれからでも、良いでしょうか」

 頭がこんがらがって、言葉も気持ちもぐちゃぐちゃだ。言葉が尻すぼみになってしまう。伝えたいことが伝わったのかも分からなくて、恐る恐る二人を見上げる。

 そういえば、鬼頭くんはボクより背が高いから分かるけど、どうしてボクより背が低いはずの生徒会長を見上げてしまうんだろう。ぐちゃぐちゃになった頭の端で、やけに冷静なことを思った。生徒会長の堂々とした佇まい。それに対して、生徒会長の瞳に映るボクは身を縮こまらせていた。

 こんなに自信がなくて、過去に縛られていて。そんなボクのどこを二人は好きになったのだろう。ボクはボクが嫌いじゃないけど、好きでもない。

「聖夜くん、僕はそれで良いよ。確かに何も知らない相手と付き合うなんて怖いだろうしね」

 生徒会長は歯を見せて少年のように笑った。いつもは冷静沈着で大人びている印象なのに。

「ああ。俺もそれで良い。俺のこと、吉良くんにちゃんと知って欲しいから」

 鬼頭さんは顔全体でくしゃりと笑う。少し犬っぽい笑顔。少し強面だと思っていたから、少しびっくりした。

 告白をされたからだろうか。二人の始めて見る一面を見つけただけで、妙に意識してしまう。ただ笑っているだけなのに、それだけで二人の周りがキラキラして見える。

 ボクはこれまで恋をしたことがない。だから恋がどんなものかは分からない。今分かるのは、鬼頭さんも生徒会長もとても良い人、ということくらい。

「じゃあ、これからよろしくね。聖夜くん」

「よろしくな」

「はい、よろしくお願いします」

 恋愛なんて、ボクとは無縁のものだと思っていた。だけど違うらしい。ボクなんかを好きになってくれる人がいた。

 もしもこれが偽りだったら。

 不意に二人の顔にかつてのトラウマが影を差す。にこやかな笑みの裏で野生の獣のような瞳と牙を隠している姿が思い浮かぶ。心臓が早鐘を打つ。ああ、まただ。怖くて手が震える。ボクは二人に気が付かれないように震える手を後ろに隠す。

 あのときに感じた痛みと裏切られる恐怖。それが膨れ上がって、言いようのない快感を感じ始める。癖になるような、あの瞬間。

「吉良くん?」

 手が興奮に震えて思考が過去に流されそうになった瞬間、鬼頭さんがボクの顔を至近距離で覗き込んできた。ボクはハッとして、慌てて笑顔を取り繕った。

「ご、ごめん、ボーッとしちゃった」

「そうか。大丈夫か?」

「うん、大丈夫。ごめんね」

 鬼頭さんは眉を下げて不安げにボクを見つめる。やっぱり犬っぽい。尻尾と耳を垂らしているように見えてしまう。鬼頭さんは綺麗な人だと思ったけれど、どこか可愛く見えてきた。

 目の前の二人に意識を集中させて、二人の背後に見える影から視線を逸らす。思い出したらいけない。二人に迷惑をかける。そして、ボクが今度こそ戻って来られなくなってしまう。自分でも大嫌いなあの日の自分が、戻ってきてしまう。

「聖夜くん、髪に粉が付いてるよ」

 突然生徒会長の手が髪に伸ばされた。その瞬間、腹の底がゾクリと疼く感覚に襲われて慌てて身体を引いた。

「あ、ご、ごめんなさい」

 避けるようになってしまって焦る。生徒会長は笑っていたけれど、悲しそうに見えて申し訳なさでいっぱいになる。

「あ、あの、その、嫌とかじゃなくて、ただびっくりして」

 しどろもどろになりながら説明すると、生徒会長は柔らかく微笑んでくれた。悲しそうな感じがしなくてホッと息を吐いた。

「驚かせてごめんね。粉を払いたいから、髪に触れても大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

 生徒会長の手が伸びてくるところを見ないように目を閉じる。息を飲むような空気を感じて、それからすぐに頭を撫でられた。優しくて温かい、そんな触れ方。あの日を思い出すともどかしくて、腹の底から沸々と沸き上がってくるものを感じた。

「聖夜くん、取れたよ」

「ありがとうござい、ま、え?」

 目を開けた瞬間、生徒会長の顔が至近距離にあって目を見開いた。驚きのあまり固まっていると、生徒会長の手がそっと頬に添えられる。この先を勝手に想像して身体中が熱くなる。

「おい、それ以上は許さねぇぞ」

 ドスの効いた声と共に生徒会長が後ろにグイッと引かれてボクから引き離される。生徒会長の後ろにいたのは鬼頭さん。怒ったような顔で生徒会長の肩を強く握っていた。けれどボクと目が合うとハッとした顔をして、すぐにシュンとした。

「その、吉良くんが嫌じゃなかったなら、ごめん」

 苦しそうな声に、ボクは反射的に首を振った。

「嫌ではなかった、けど、びっくりしてどうしたら良いか分からなかったから、助かったよ」

「そっか。なら、良かった。ん、いや、良くない、のか?」

 鬼頭さんはうーんと悩む。自問自答をする鬼頭さんはやっぱり可愛く見える。だけどボクは今、それどころじゃなかった。腹の奥の疼き。その果てを感じて、ボクは一歩後退った。

「あの、ごめんなさい、ボク、トイレ、行ってきます。待っていなくても、大丈夫、なので。その、さようなら」

 気が付かれないように笑いながら、自然な行動を装ってその場を離れる。二人は不思議そうにしていたけれど、見送ってくれた。

 教室の隣にあるトイレに駆け込んで個室に籠る。いつもこうだ。あの日を思い出してしまうと、こうなってしまう。良くないことなのに、身体が反応してしまう。気持ちなんて無視されてしまう。今日は生徒会長をあの人に重ねてしまった。ボクは、ダメな人間だ。好かれるべきではない、汚れた人間。

 パンツを下ろして便器に座る。それから時間をかけて用を済ませて、ようやく外に出る。汚れた手で他の場所を触らないように。ボクは入学してから既に何度か同じことを繰り返している。だから悲しいことに、こういうときの動きにも慣れてしまった。

「聖夜くん」

 誰もいない、そう思ったのに。手を洗っているボクの背後に、生徒会長が立っていた。鬼頭さんの姿はない。

「生徒、会長……」

 ボクは今、どんな顔をしているんだろう。恐怖、罪悪感、期待。感情がぐるぐると巡る。

「まさか、聖夜くんにそんな趣味があったとはね」

 生徒会長はボクを抱き寄せる。身体が硬直する。ああ、まただ、腹の底が熱くなる。吐き出したばかりの欲が膨らむ。

「ご、ごめん、なさい」

「別に良いよ。このことも誰にも言わない」

 生徒会長の手がボクの背中を撫でる。その優しすぎる手つきに戸惑ってしまう。

「僕はね、嬉しいんだ。聖夜くんの意外な一面を知ることができたことも、鬼頭くんよりも聖夜くんのことを知れたことも、ね」

 生徒会長の声ははちみつのようにドロリとしていて、甘ったるかった。生徒会長はボクから身体を離すと、漆黒の瞳にボクを深く捕らえた。

「すぐじゃなくても良いよ。でも僕は、聖夜くんの全てが知りたい」

 ボクの髪を撫でる手。もっと触れてくれても良い。そう思ったのがボクの心なのか身体なのか、熱さに思考を飲み込まれてしまって分からなかった。

「さあ、鬼頭くんも待っているから戻ろうか」

「は、はい」

 生徒会長の背中を追って教室に戻る。昇降口までは三人で歩いたけれど、二人の顔がまともに見られなかった。生徒会長は生徒会室へ、鬼頭さんは家の方向が反対。自然な流れで昇降口までで別れることができて、正直ホッとした。



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