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第3話 告白

 午後も授業に集中していると、あっという間に放課後。一日を締めくくる掃除。ゴミ捨てから帰ってくるといつも通り教室には誰もいない。星ちゃんと月ちゃんは担当場所が違うからそこからそのまま部活へ行くし、同じ掃除場所のクラスメイトも自分の仕事が終わったらすぐに塾や部活に行ってしまうのが普通。

 入学当初は悲しかったけれど、待っていてもらったところでボクは帰らない。それなら逆に申し訳ないんじゃないかと考えるようになったら気にならなくなった。早く戻らなければと焦ってしまうと階段で転ぶこともあるから、良いことの方が多い。

「数学の宿題でもやってよう」

 吹奏楽部が個人練習をする音が不協和音になって響く。一生懸命頑張っている人には申し訳ないけれど、勉強をするには騒々しい。楽器の音を和らげるために曇りガラスの窓を閉め切る。椅子に座ると、キィッと軋む音がする。引き出しから取り出したテキストとノートを開いた。

 どれくらい時間が経ったのだろう。授業中の暇な時間では終わらなかった課題を、あと一問というところで手を止める。背中が痛い。シャーペンを置いて身体を伸ばす。クッションもない硬い木の椅子でずっと座りっぱなし。お尻から背中にかけて痛みが出てくるのは頑張った証とも言える。

 最後に時計を見てから三十分と少し時計が進んでいる。軽くストレッチをしていると、廊下からトントンと階段を上がる音が聞えてきた。こんな時間にここに来る人はいつもはいない。ということは手紙の差出人だろうか。テキストとノートを閉じて椅子に座り直す。なんとなく髪が乱れていないか気になって、手で撫でつける。

 ドアの小窓から一瞬だけ、廊下の窓から差し込む夕日に照らされてオレンジ色に煌めく髪が見えた。顔も見える位置にあったはずだけど、何よりもその美しさに目を奪われたせいで記憶にない。

 ボクが美しいものが残したふわふわとした良いんに浸っていると、ガラガラと立て付けの悪い木戸が引き開けられた。姿を見せたのは、右手をポケットに突っ込んだ明るい茶髪の生徒。彫の深いはっきりした顔立ちに映える目元は少しつり上がっていて睨まれているようにも見える。けれどグッと引き結ばれた口元からは緊張が伝わって来る。

「いてっ」

 彼を見ているうちにボクも緊張してきて、話しかけようと立ち上がった瞬間に後ろの黒板の粉受に背中をぶつけた。席が後ろの壁ギリギリに配置されているせいで、粉受の存在を忘れたり他の考え事をしていると毎度ぶつかる。だから慣れてはいるけれど、痛いものは痛い。

 ちなみに粉受というのは黒板の下についているチョークを置いたり黒板消しを置いたりするあのレーンのこと。月ちゃんが教えてくれたから間違いはない。

「大丈夫か?」

 鬼頭さんらしき生徒は心配そうに眉を顰める。ボクは心配させないようにへらりと笑ってみせた。

「ああ、うん。いつものことだから。大丈夫だよ」

「それはそれで」

 鬼頭さんは言葉を濁して視線を彷徨わせる。けれどしばらく考え込むと、一転して真剣な顔でボクの方に向かってきた。あまりにも真剣で緊張もしているから、圧が強い。そのオーラに当てられて思わず後退ると、鬼頭さんは眉をピクリと動かして足を止めた。

 そして視線を落とすと背負っていたリュックを星ちゃんの机に下ろす。一番大きな口のチャックを開くと、手紙の柄に似た四葉のクローバーが描かれた小さな紙袋を取り出した。

「吉良聖夜くん。待っていてくれてありがとう。これを返したかったんだ。貸してくれて、ありがとう」

 一定の距離を保ったまま差し出された紙袋。受け取ってそっと覗くと、見覚えのある刺繍が見えた。取り出してみると、やっぱりハンカチ。角に付けられたツツジの刺繍は間違いなくボクが縫い付けたものだ。お気に入りだったけれど、夏休みの間に街中で知らない人に貸してしまった。だからもう帰ってこないものだと諦めていたのに。

「よくボクだって分かったね」

「顔は覚えていたから」

「凄い! あ、ごめんね、ボクは全然覚えてなくて」

 申し訳なくて声が尻すぼみになる。鬼頭さんは律儀な人だ。ハンカチは確かあの日、泥や血がついていたはず。だけど真っ白な状態に戻っているし、アイロンだって掛けてある。

「い、いや、俺はその……」

 鬼頭さんが口を閉じたリュックを背負い直しながら視線を逸らす。ボクはそれが嫌で、その視線を追うように鬼頭さんの視界に割り込んだ。さっきからずっと目も合わないし距離を置かれているし。ジッと目を見つめると、鬼頭さんはピシッと動きを止めた。よく見ると瞳は色素が薄いのかグレーがかっていて、縁は緑に近い色をしている。

「綺麗な色」

「き、きれ、い?」

 思わず感嘆する声が漏れてしまった。鬼頭さんはその瞬間に眉間に皺を寄せる。グレーの瞳に蛍光灯の光がギラついて、怒らせてしまったと委縮した。

「ご、ごめん、嫌だった、かな?」

「嫌なわけじゃない。ただ、そんなことを言われたことがなかったから驚いただけで」

 鬼頭さんは食い気味に否定して口元を手の甲で隠す。その耳は心なしか赤く見える。外の夕焼けが映っているわけではなさそうだけど、黙っておこう。

 無言の時間が続く。しばらくして、目を閉じて大きく深呼吸をした鬼頭さんが目を空けた。その瞬間、辺りの空気がピンと張り詰めたのを感じた。大きな瞳で真っ直ぐにボクを見つめながら、鬼頭さんが一歩、ボクに近づいてきた。

「吉良聖夜くん」

「は、はいっ」

「好きだ。俺と付き合って欲しい」

 刹那、ボクの心臓はドクリと跳ねた。言葉に詰まる。

「え、えっと」

「あの日、手を差し伸べてくれた吉良くんに一目惚れして、今日また惚れたんだ。返事はすぐにとは言わない。だけど」

「ちょっと待った」

 鬼頭さんが話す声を遮るように声が二人きりだったはずの教室に響く。どこかで聞いたことがある声。鬼頭さんが言葉を止める。声がした方を見ると、開けっ放しだったドアの前に生徒会長が立っていた。

 生徒会長は静かな足音とともに青くも見える黒髪をサラリと揺らして教室に入ってきた。ボクたちの前まで歩いてくる堂々とした佇まいに圧倒されながら、ボクはどこかホッとしていた。

 鬼頭さんの気持ちが嬉しくなかったわけでも、妄想していなかったわけでもない。だけど、全く知らない人から告白されては、やっぱり戸惑ってしまう。

「鬼頭武蔵くんと吉良聖夜くん、だね?」

「はい」

「そうですけど、何か?」

 ボクたちの前で立ち止まった生徒会長は、迷うことなくボクたちの名前を口にした。生徒会長って凄い。鬼頭さんくらい目を引く容姿をしているなら名前を憶えていても納得できる。だけどボクみたいな朝の挨拶くらいしかしたことがない多くの生徒の中の一人の名前まで覚えているなんて。

 単純に感嘆しているボクとは違い、喧嘩腰で返事をした鬼頭さん。そんな彼にも生徒会長は柔らかく微笑んだ。

「僕は生徒会長の北条ほうじょうすいです。安心して。別に同性同士だからとか、学生の分際でとか言って告白を止める気はないよ。ただの一人の男として、見過ごせなかっただけだから」

 ボクが何が言いたいのか分からなくて困惑していると、鬼頭さんは眉間に皺を寄せて一層臨戦態勢になったようだった。ボクの前で見つめ合う、というより睨み合っている二人。その顔を見比べていると、突然生徒会長の目がボクに向いた。視線を逸らした鬼頭さんは何かに耐えるように唇をグッと噛み締めた。

「吉良聖夜くん」

「ひゃいっ!」

 鬼頭さんに意識を向けていたから、急に名前を呼ばれて変な声が出た。恥ずかしくて顔が熱くなる。顔を冷まそうと扇ぐ手をそっと引かれて視線を上げると、やけに甘ったるい顔をした生徒会長がボクの手を握っていた。生徒会長はそのまま跪く。

 ボクは驚きのあまり口がポカンと開いてしまう。真っ黒な、漆黒と言う方が似合う深みのある瞳に捉えられる。逃げる気を起こさせないほど深く囚われる。

「僕は聖夜くんが好きだよ」

 ボクは声も出ないまま固まってしまった。



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