相談されるのは嬉しいのだけれど――。
『なぁ先生よぉ』
「何ですか? マイルズさん」
『おいらの嫁さんは今幸せなのかい?』
「それは聞いてみないと分からないですねぇ……」
切りさらしでぼさぼさの黒髪を右手でガシガシと掻き揚げながら、左手は無精ひげの生えた顎をじょりじょりと音を立てつつなでる。
話しかけてきたのは近所に住んで
そんな人が、突然家の中に入ってきたかと思えば、目の前までやってきて今日の授業で使う資料を書き上げている事を邪魔するように、同じような質問を繰り返してくる。
はっきり言うと邪魔である。
しかしそんな事を言っても追い払う事が出来るくらいで、自分ではどうしようもないのが現状だ。
『なぁ先生よぉ~』
「あぁもう!! うるさいですよマイルズさん!! そんなに心配なら会いに行けばいいじゃないですか!!」
『先生……会えるくらいなら、こんなところに来たりしないよ……』
マイルズは資料の山に埋もれて、足の踏み場もない状態の部屋の中をぐるっと見回しながら、ため息交じりに言い放つ。
『まぁ……会ったとしても、たぶんアイツは怖がって逃げちゃうでしょうけどね』
両手を上げて『まいった』という様なジェスチャーをするマイルズさん。
「まぁそうでしょうねぇ……。だってあなたは既に死んでいるんですから……」
大げさに残念がるマイルズさんを見ながら、俺自身もまた大きなため息をついた。
そう、マイルズさんは既に亡くなっている。つまり今俺の前であーだこーだと駄々をこねている人は、他の人には見えていないらしい。
――だってゴーストなんだもんなぁ……。
俺は再び大きなため息をつきつつ、とまっていた手を動かし始めた。
下級貴族のそのまた下級騎士として地道に働いていた父・ケインズと、同じ下級貴族である家でメイドをしていた母・メリッサの間に生まれたのがケントと名付けられた男の子。つまり俺なのだが、下級貴族の家に勤める下級騎士の子――まぁ要するにただの庶民なのだが、同じ年代に生まれた周りの子供達よりも、少々頭の回転が良かったようで、勉強だけは人並み以上にできた。
その代わりと言ってはなんだが、運動能力はといえば見るところはほとんどない。まぁ一般庶民と大して変わらないという事で、小さい頃に早々と父と同じ道を歩むことは諦めた。
しかし父の勤める貴族のご当主様は、とても領民思いの善政を敷くと有名なお方で、自分は貴族という事を鼻にも掛けず、生活は質素倹約を良しとし豪華なものは一切受け付けない。
基本的にはご当主を含め、平等を謳って領地運営なさっている。
とはいえ、下級ではあるが貴族は貴族なので、色々な柵があるとある程度の事は貴族らしい生活を送る様にしているようだ。
そしてこれもまた珍しい事ではあるが、領地に住む領民ならば、能力があれば召し抱える事も躊躇することがなく、小さな子供でも見どころがあるようだと分かれば、その能力向上のために出資することをいとわない。
長年勤めている父と、メイドであった母の子という事もあるし、他の子よりも頭脳の面でちょっとだけ抜きんでていた俺も、ご領主様の施政のおかげで基本的には貴族しか通う事の出来ない国立の学校へと7歳で送り込まれ、それから18歳になり学校を卒業することが出来た今年の春まで、支援を続けてくれたのだ。
その恩に報いるために、俺は自分の生まれ育った領地であるアノへと戻ってきた。
因みにこのアノという町はご領主様が治める領地の領都であり、ロイデン・アノ男爵様ご一家の住む町でもある。
街に戻ってきた俺はというと、何かで役に立とうとしていたわけだが、ご領主様のお眼鏡にかなった様で、すぐに職にありつくことが出来た。
それが先程からいそいそと書いている資料を使う職業。街中の中心街にほど近い場所にある一軒家をポンとご領主様が貸し与えて下さり、そこで小さな子供達から既に結婚して子供のいる大人たちまで、ある程度の知識を身につけさせる小さな学校を開いている。
学校とは言っているが、内容的には私塾に近い。
違いといえば、その学んでいる生徒の中に、ご領主様のご息女であるお二人の姿がある位だ。
長女でこの春15歳になったセイラン様と、10歳になられたヨウラン様。ただこの二人はどちらかといえば家庭教師の様なもので、もともと貴族のご息女という事で、国立の学校へと通われているのだけど、長期休暇の度に領地へと戻って来て滞在する。その滞在している間だけ、お二人に勉学を教える事になっている。
春が過ぎて夏の暑い季節になり、もうすぐその長期休暇のために領地へと戻って来ることになっているので、俺も忙しくその準備をしているという事だ。
だから――。
『なぁ先生よぉ~』
「何ですか!! 忙しいのですよ!!」
『あぁ……忙しいのかぁ。じゃぁいいかぁ……』
そういうとマイルズさんは顔を窓の方へと向けてしまった。
「それはそれで気になりますね!! 何ですか? 手短にお願いしますね」
カリカリと筆を走らせていた手を止め、マイルズさんの方へと身体を向ける。
『お客さんみたいだぜ?』
窓の外を指差しながらマイルズさんは答えてくれた。
「あなたが……ケント様でいらっしゃいますか?」
家にある一番大きい部屋を改装して設えた応接間に、それほど高級ではないが出来る限りの金額で揃えたソファーやテーブル。
できればお手伝いさんやメイドなども雇いたいところだけど、あいにくそんなゆとりは無いので、自分で頑張ってお茶を用意し、ソファーに座っているお客様の元へと静かに置いていく。
「はい。私がケントです」
「そうですか……しかし随分とお若く――」
「あなた!!」
ソファーに座り、三人で挨拶をしてお茶を一口飲み終えると、男性の方から声がかる。しかし何か不穏なワードが出てくる気配がすると、隣に座っている女性がたしなめた。
「し、失礼しました!! 決してその……」
「わかっています」
慌て始めた男性に落ち着いてと笑顔で返事をした。
「自分がこの若さでこうして先生の真似事を出来ているのは全てご領主様のお力が有ってこそです。決して私一人の力じゃない。それに私はご領主様のご息女お二人の家庭教師という肩書があるとはいえ、貴族でもないですし偉い訳ではありませんよ。ですから気になさらないでください」
「は、あ、ありがとうございます……」
二人そろって頭を下げる。そんな様子を見て大きなため息が漏れた。
「それで、お越しになられたご用件は……」
「あ、は、はい。まずはこれを……」
そういうと男性は俺に一通の封書を手渡してきた。
封書で来るという事は、そういう階級の方々と面識があるという事。紙は思った以上に高額なので、なかなか庶民では手が出せない。
「え? この紋章って……」
封書にしっかりとなされている蝋封。その上には国の中でも有名な家柄の紋章が押されていた。
「……拝見します」
「はい」
パキっと音を立てて蝋封を解き、封書の中を確認する。
時間をかけて読み、一息入れてから封書をテーブルの上へと置いた。
「内容は分かりました。しかしどうして私に?」
「内容を読んで頂いたのでお話しいたします。少し前からなのですが――」
男性は俺の顔をしっかりと見つめつつ、ゆっくりと話し始めた。
「――と、いうわけでケント様にどうかご助力していただけないかとご相談に伺ったのです。なにぶん前触れもなく不躾に訪れてしまった事、どうぞご容赦ください」
男性は話し終わると同時に立ちあがり、頭を下げた。それに寸分たがわぬタイミングで女性もまた同じように頭を下げる。
「あ、いえ!! 頭を上げてください!!」
「しかし……」
「話はお伺いしましたし……。その……質問しても?」
「どうぞ。何でも仰ってください」
「どうして私にこのお話を?」
最初に気になった事をそのまま聞いてみる。
「あぁその件ですか……。実はこの件を相談に伺ったところ、丁度その場にいらっしゃいまして、
「え? だ、誰がですか? まさかご当主様ご本人がですか?」
「いえいえ。ご息女のリラ・ジオルグ嬢でございます」
「あぁ……。彼女ですか……」
なるほどと、疑問の答えに納得した。
リラ・ジオルグ嬢とは、侯爵家であるジオルグ家のご長女であり、俺の学校時代の同期でもある。
元々の身分が違いすぎる為、接点が出来るはずもない存在であると思っていたのだけど、毎回のように行われる学校の考査により、順位が上下だったという縁からリラ嬢から話しかけられるようになり、とある一件を経て以降はリラ嬢が何かあるごとに一緒に行動するようになった。
当時から俺の事は理解してくれている第一人者であると同時に、俺にとっては唯一信頼できる友達といった存在なのだ。
そんな彼女が俺にと持ちかけて来たこの話。
「……分かりました。彼女が俺にならという事でしたら、微力ではありますがお力添えさせていただきたいと思います」
「「おぉ!!」」
俺の返事に抱き合いつつ喜ぶ二人。
「それで……その……」
「はい?」
「失礼ですけど、お二人と侯爵家様とのご関係は……」
「あぁ!! これは失礼した!!」
失敗したとばかりに男性は手を打つ。
「私はデュラン・ゲオルグ。そして横にいるのが妻のマリネ・ジオルグだ」
「へ? えぇ~っと……ということは?」
「うむ。リラ・ジオルグの兄であり、ジオルグ侯爵家の次期当主という事だな」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
まさかの人物が目の前にいた。
侯爵家という雲の上の存在であり、その次期当主様ご本人である。
侯爵家の家の者から直接手渡される封書を持っているという事で、かなりの高位権力者か、もしくはそれに準ずるような位置に立たれている方だとは予想はできていた。
予想はできていても、まさか身内の方とは思いもしない。
「言ったはずですよ? 家の中で相談したと。その時にリラ嬢もそこに居たと」
ニヤッとしながら俺に話す男性。いやデュラン・ゲオルグ様。
「あ、は、はい!! 申し訳ありませんでした!!」
「あ、いやいや。そうかしこまらないでください」
「そういうわけには……。侯爵様ですし、それに確か兄上様は3歳歳上とリラ……いえ、リラ嬢からも聞いておりますし……」
「先ほども申し上げた通り、気にしないでください。非礼はこちら側にありますし、それに……あのリラが認めている人なのですから、私たちもケント様を頼ろうと思ったのですから」
「あの……様はつけないで頂きたく……」
「ならば私も妻も名前で呼んでください。敬語もいりませんよ?」
今度は夫婦そろって俺にニコッと笑う。
「え? いえそれは……」
「おかしいですね? 先ほど妹の事はリラと――」
「で、ではデュラン様とマリネ様で!! 敬語を外すのは……」
何となく突っ込まれそうな気がしたので、こちらから先手を打つ。
「分かりました。
「あ、ありがとうございます……」
「では、ご相談の件……われらの娘の事をよろしくお願いいたします」
二人が並んで一緒に頭を下げる。
「はい……。出来る限り頑張る所存です……。リラに怒られたくないので……」
最後はぼそっとこぼした。
心の中での言葉にしたつもりだったが、お二人共にニヤッと笑った。
――どうやら聞こえちゃったみたいだな……。
大きなため息が漏れた。
しばらくは今後の事について相談しながら、結構な時間を過ごし、陽が沈み始める前に馬車に乗って帰って行った。
離れ行く馬車を見つめつつ俺は気合を入れた。