翌日、眠ったのは夜中3時を過ぎた時間だった。
入浴を済ませた後にはそれくらいの時間になっていたのだ。
起きてから入浴も考えたが埃っぽい体でベッドに入るのを躊躇した芽依。
これもお母さんの教育の賜物なのだが、今日は昨日の自分を悔やみたい。
ふかふかの布団は体温で温められ芽依の体をぬくぬくと温めてくれるから、深い眠りにつく芽依の起床を遅くさせる。
眠った時間も3時であるから、芽依は自分の起床は早くても9時か10時だと思ってた。
しかし、仕事熱心なアリステア達は朝七時には朝食を開始していつ来るかもわからない芽依を待つ。
勿論待っても来ることは無く、セルジオは目を瞑り腕を組んだまま足でタンタンとリズムを刻んでいた。
「セルジオやめてください、気が散ります」
「なら出ていけばいいだろ」
「もう!お正月から喧嘩はやめなさいな!」
「喧嘩などしていませんよ」
「する価値もない」
「セルジオ!!……まったく困った人達ね」
足を組みなおし、眼鏡を拭くセルジオに紅茶を飲むシャルドネ。
相変わらずこの2人の相性は悪く、さらに芽依から薔薇のケーキを渡された事でセルジオの機嫌を低下させてから、余計にシャルドネへの当たりがキツイ。
「…………アイツが来ないな」
「また寝てるのかもしれんな。昨日は疲れたであろうし」
アリステアは芽依の部屋のあるを見る。
疲れて寝ているのだろう芽依を心配し、時間をずらすべきか考え始めた時、セルジオが静かに立ち上がった。
「どうしました?」
「起こしてくる、待ってろ」
「え?セルジオ……行っちゃいましたね」
ブランシェットの声にちらりと見るだけでセルジオは歩いていった。
「………………起きろ」
「まって……あと3時間……」
「寝すぎだ」
8時になっても来ない芽依を起こしに来たセルジオは腕を組みベッドに沈んでいる芽依を見ている。
今のセルジオは飢餓状態に近いので、無防備な首筋を晒す芽依に噛み付きたい衝動が波のように押し寄せるのを耐えるしかない。
そんな事を考えているとも知らない芽依は、眠気と貧血で体が重いのだ。
まだ寝てたい。むしろ一日中動きたくない。
ベッドから箱庭の世話しかしたくない。
しかし、昨日の話をしたいセルジオは容赦がなかった。
布団を勢いよく剥ぎ取られ、ぬくぬくと暖まっていた芽依はピャ!と震えた。
「な……なにをしますか」
目を擦りながらまだ足元にある布団を引っ張る芽依の腹部に腕を差し入れ持ち上げられる。
「うぁ…………」
ぐぇ……と力が込められ腹部が圧迫される。
肩に手を置き顔を上げると、呆れた表情をしているセルジオと目が合った。
「なんだその髪は。寝る前にちゃんと乾かしたのか?」
「……………………かみ……かみは……かみ?」
「起きろ阿呆め」
「うぅぅん……」
椅子に降ろされくたりと座る芽依の髪にスプレーするのは杜若の新芽から抽出された油を使った髪用ケア商品。
セルジオが芽依の髪質用にオリジナルで作った美容液入のトリートメントである。
爽やかな香りが髪から広がり、櫛を通す度に跳ねて変な方を向いている髪が美しくツヤを帯びて真っ直ぐに直っていく。
これも最近改良されて今使い心地を確かめているセルジオは満足そうにうなずいた。
髪をひと房取り、鼻に近付けると移民の民特有の花の香りがかなり薄まっている。
「…………………………ん?」
髪が引っ張られる感覚に首を傾げると、セルジオは手を離してまた櫛を通した。
そして、珍しくツインお団子に結んだ。
髪を緩く巻いて、上の方から緩く編み込み真珠の飾りを埋め込みながら低い位置でツインお団子にしたセルジオは、横に置いていた紺色の細いリボンで髪を飾った。
「…………なんでこんなに器用なんですか」
「さあな」
わざわざ手袋を脱ぎ、芽依の首筋を少しだけ触ったセルジオは目を細めて笑みを浮かべた。
「………………おまたせしました」
「ああ、おはよう……大丈夫か?」
「はい、眠いだけです」
目を擦りながら食堂に来た芽依は、ラベンダー色のロングワンピースにモコモコのスリッパという可愛らしい部屋着のような格好で現れた。
一瞬アリステアは顔を背けたのだが、咳払いをして芽依を見る。
「昨日遅かったのに悪かったな、メイ昨日の話を聞かせて欲しいのだが」
「…………わかりました」
朝食を食べていない芽依の為にブランシェットが用意を頼んでいたサンドイッチとフレッシュジュース。
今特に収穫量の少ない生野菜とベーコン、卵をたっぷり使ったサンドイッチを見て芽依はパチパチと瞬きをした。
「…………美味しそうブランシェットさんありがとうございます」
「いいのですよ」
うふふ……と笑ったブランシェットに礼をしてからいただきますをした芽依をアリステア達は見ている。
あえて、いただきますとはなんだろうと聞かず芽依がゆっくり食べるのを眺めているのだが、美形集団に見守られての食事は全然落ち着かない。
「……………………皆さん食べたんですか?」
「ああ、食べているよ」
「お前待ちだ」
「大丈夫。ゆっくり食べてください」
(……………………食べにくっ)
もぐもぐと口を動かしつつ、チラッとアリステアを見れば芽依をじっと見ていて、また、チラッとシャルドネを見たらこちらも目を離さず見ている。
セルジオは目を瞑り腕を組み待っているし、ブランシェットは紅茶を優雅に飲んではいるがいつも入れない砂糖を間違えて入れていた。
「………………あの、えーっと」
「もういいのか?」
半分も食べずにお皿に戻すとアリステアはテーブルに握った手を置き聞いてきた。
(…………食べれる雰囲気じゃない)
ため息を我慢してアリステアを見た芽依はこれから聞かれる事に身構えていた。
少年のことは内緒なのだ。
何処まで話せる内容なのかと精査しなくてはならない。
「……では、聞かせてもらう。あの少年から聞いたのだが、過去に落ちた時リンドリンデに居たのは本当か?」
「………………リンドリンデ?」
「木工職人が多くいた小さな村だ。家の中を見たか?家具や家財一式が全て木製で出来ている」
セルジオが教えてくれた事で芽依はああ……とうなずいた。
今でも思い出せる。埃を被ったあの家屋の中は汚れてはいたが全て1級品の木工制作であった。
綺麗に整頓された室内に暖かくも埃に塗れた悲しい風景に今思い出しても胸がギュッとする。
あの村がどうして廃村になってしまったのか、その理由を芽依は知らないが、それでもあの村では確かに沢山の人や人外者が住み、交流や貿易の為に行き来のあったのだ。
芽依は目を伏せ、初めて見た無人の廃村に思いを馳せる。
「たぶん、そうだと思います。とても暖かく温もりのある木製の家具や家財はとても素晴らしいものでした。埃が沢山被ってしまっていてとても残念です」
「………………埃、か。危なかったな」
「ああ、メイが無事で本当によかった」
「…………無事?」
ため息を吐き出し言うセルジオに、アリステアも安堵する。
なんの話しだろう?と首を傾げると、アリステアは眉を寄せて首を振った。
「メイあのな、リントリンデが廃村になったのは今から500年前の事でそれからもずっと続いている事件があるのだ」
「事件……あ、移民の民を殺すってやつ、ですか?」
「………………知っていたのか」
目を見開き聞くと、知ったのは昨日ですと話す。
「二……少年に、昨日聞いたんです。あの村に移民の民を殺していた妖精がいたって」
「………………妖精だと?」
「え?……はい」
セルジオは顔を上げて芽依を見ると、何か失言でもあったのかとセルジオを見上げる。
組んでいた腕を外し芽依に体を向けるセルジオに首を傾げる。
「移民狩りをしている人外者は周りの被害も与えながら様々な場所に突如として現れるんだが、その期間はバラバラだ。連続して2~3件立で続けに起きる事もあれば100年以上現れない場合もある。その情報は少なすぎてほぼ実態が掴めていない。目撃者を全て殺しているからだ。あの人外者はなぜ妖精だと言った?」
「………………わかりません。私は注意されただけだったので」
「注意?」
「移民の民だから殺される標的になる、気を付けてって……」
眉を下げながら言った芽依に、アリステアとシャルドネが目を合わせる。
「………………前回現れてから確か150年か」
「そうですね、以前は西の諸島にある小さな一軒家に住む移民の民とその精霊の伴侶、そして伴侶と比較的仲の良い人間が2人犠牲になったと聞いています。保護する領主が連絡を取れず確認に行くと既に襲撃されてから1週間は経っていた様子だったらしいですね」
「……………………なら、また現れてもおかしくはありませんね」
「どんな理由であっても、移民の民を無差別に殺していい訳にはいかん」
真剣に話す4人に芽依は標的になり得る1人である事にあまり実感がわかなかった。
それよりも、その妖精を探す少年のあの執念が気になってしまう。
だって、500年だ。
仕事と言っていたが、そんな長期間なんて優しい言葉で言い表せない時間を少年は1人で負っている。
仕事の他に執着する程の何かがあるのだろうか。
それ以前に500年。
それを軽く超えるほど長寿なのかと今更ながらに慄いた。
「………………皆さん、何歳なの?」
移民狩りについて話す4人に、ポツリと呟いた独り言が聞こえ静まり返った。